秀吉の朝鮮出兵
1592年~1598年に、秀吉が朝鮮に出兵した事についての2つの質問です
一般的にも学校でも、「秀吉が明、インド、西洋を征服しようとし、まず明を攻撃するために途中の朝鮮を侵略した」とされて、教えられています
その1
一説には、これは秀吉の企みともう一つ、「百済滅亡時日本に亡命した百済人の子孫による祖国回復のための戦いだった。」と言われる説もあると聞きました
つまり、「朝鮮出兵は秀吉の構想実現の戦争と、古代百済人による祖国再建戦争と復讐戦争だった」と言うわけです
だから、鼻や耳をそいだり、残虐な事を「古代百済人がさせた」という説なのです
歴史的な一説としては非常に興味深いのですが、ふと思ったのが、亡命してきた古代百済人はその後何百年も日本人との血の交わりもほとんどなく、朝鮮百済人としての意識を持ち続けた、というのは本当でしょうか?
この説の出が韓国だ、というのも興味深いです
その2
「秀吉の朝鮮戦争は、明の日本侵略を阻止するための防衛戦争だった」という説はどれほど信憑性があるのでしょうか?
「朝鮮出兵は日露戦争や朝鮮併合と同じ動機だった」という説です
秀吉は日本侵略の足がかりとなる李氏朝鮮を抑えるために侵攻した、という話は世間でほとんど聞いた事がないのですが、真実はどうなのでしょう?
この2つの質問、どなたか回答お願いします
お礼
もうしわけありませんでした。