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秀吉の朝鮮出兵に関して

隣国の者です。 急に、気になって質問します。 普通、こちらでは、秀吉の朝鮮出兵の理由の一つとして、 戦争が終わって多くの武士が失職したため、明国に攻め入るとかして彼らの働き場を まぁ、こんな感じで朝鮮出兵を説明します。 私はこれに否定的で、何か他の明確な理由とか、秀吉の思惑とか 妥当性のある何らかの理由があったわけだと 思ってますが、秀吉は何故明国に或いは朝鮮国に出兵させたのでしょうか?

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回答No.2

似ているけれど、ちょっとニュアンスが違います。日本でのもっともポピュラーな説は、「部下に与える領地を増やしたい」という動機です。 封建制度下では、武士の論功行賞は領地の増減で行われます。戦で活躍した部下には勝利後、領地が増やされ、戦で大きな失敗をした部下や敵対した大名からは領地が取り上げられるのです。しかし、秀吉が国内を統一すると、もう大きな戦がなくなりました。戦がなくなって平和が訪れると、敵から奪える領地もなくなったので、部下が内政で功績を挙げてもこれ以上与える領地がなくなってしまったのです。功績を挙げたのに領地をもらえなければ、部下の不満は高まり、政権の不安定要因となります。 秀吉が茶道の振興を後押ししたのにも、茶器に高額な値打ちをつけて、領地の代わりに部下に与える道具にしたいという動機があったといわれています。しかし、結局茶器では領地の代わりにはならなかったのです。それで、朝鮮や明を攻め取って、部下に与える領地を確保したかったというのが、出兵の動機と言われています。 ちなみに、秀吉の次に日本をまとめた徳川家康以降の政権では、大名のわずかな失敗を咎めて家を潰して領地を取り上げて、空いた領地を功績を挙げた部下に与えるという方法をとるようになりました。多くの武士が失職したというのは主にそうした政策以降に顕著になってきた話です。 そのほかに、これはボクの個人的な考えですけど、朝鮮半島という地域に内在する地理的な不安要素に、秀吉は気づいていたんじゃないかと思います。秀吉の時代にはヨーロッパからの宣教師など、外国人が日本を訪れるようになり、ヨーロッパの国々がアジアにもどんどん進出してきていることを秀吉は知っていました。うかうかしていると、ヨーロッパの国々にアジアや日本も占領されてしまうというような危険にまで気づいていたと思います。そして朝鮮半島というのは歴史上いつも中国大陸の政権の意向に左右されて動く、日本にとっては危険極まりない地域なのです。現に元寇のときは朝鮮人が元の手先になって日本にまで攻め込んできています。中国大陸がヨーロッパのものになったら、今度は朝鮮人はヨーロッパの手先になって日本に攻め込んできてもおかしくありません。日本にとってはそういう難しい地域に朝鮮半島は位置しているのです。だから、先手を取って朝鮮半島に攻め込もうという意識は秀吉にもあったんじゃないかと思います。明にまで攻め込むというのは秀吉一流のハッタリで、本人も周囲もそれほど本気にはしていなかったと思います。

mrym26
質問者

お礼

丁寧そして詳しい回答ありがとうございます。いろいろ勉強になりました~!!

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回答No.6

先ほどの回答に補足すると、徳川家康は弱小ながらも大名の家の生まれでしたから、家臣団とは何代も経た主従の固い信頼関係で結ばれていました。だから、そんなに多くの領地を与えなくても家臣は家康に尽くしたのです。しかし秀吉は農民の子から大名に成り上がったので、家臣はすべて秀吉の代から仕えたのです。秀吉は褒美をふんだんに与えることで家臣の心をつかむ術に長けていましたが、逆に言うと、家臣を掌握するための他の方法を知らなかったのです。だから、家臣に与える領地がないというのは、秀吉にとっては切実な問題だったと思われます。

mrym26
質問者

お礼

(人''▽`)ありがとう☆ ぞざいました!

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  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (415/1290)
回答No.5

戦をするには大義名分を掲げないと集団は力を発揮出来ません、 大義名分んなどに関わる記録が残っていないのです、兎に角、 朝鮮出兵においての秀吉の発言や語録が残っていないので 理由は闇の中なのです。 最終的な戦後処理は徳川家康が行い、起点となった、名護屋城や 関連の軍事施設は取り壊し、日本は朝鮮を攻めたりはしませんと、 取り壊した跡地を見せる為に朝鮮通信使を招待したのです。 家康の命令で関連の書類を破棄させたのではないかと思います。 大名達も朝鮮出兵は誰一人として望んで居た訳では無いので、 各大名も家康の指示に素直に従ったのではないのでしょうか? これだけ見事に記録が残っていないと、そう思わざるを得ないです。

mrym26
質問者

お礼

一理あるお言葉だと思います。回答、ありがとうございます!

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  • samkim1
  • ベストアンサー率12% (55/433)
回答No.4

仕事が無いから攻めると言うのは初めて聞きました。 私が正しいと思う説は、日本の武将は土地が欲しい、広領土を持ってると偉いと考えてるので奪う土地が日本に無いので朝鮮を取ろうとした、という話が一つ。 胡散臭い話だがなるほなーと思った話は、スペインは宗教を先行して他国に入り込ませ、後に兵が入るというやり方を知った秀吉が日本を守る為に朝鮮で食い止め良いと指揮権を得ようとした、という話があって感心しましたが、私は秀吉の侵略を正当化する為の話だろうと思っています。 本当の事は日本人も知りません。 秀吉が侵略を成功させてたら、秀吉の都合の良い話で一本化されてたと思いますが...

mrym26
質問者

お礼

朝鮮出兵に関する史料がもっと発掘されて欲しいですね

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  • webuser
  • ベストアンサー率33% (372/1120)
回答No.3

キリスト教を使った侵攻を食い止める為という説もあります。 宣教師を送り込み教化させて内応者を作り最後に本国から来た軍隊とで植民地化するという事が目的だと知ったためにバテレンを追放した。 ただそれだけでは対抗できないかもしれないので隣国をバテレンに抑えられる前に自分たちで抑えようとした。

mrym26
質問者

お礼

私個人としても、中々魅力的な説であると思っておりました。回答、ありがとうございます~!

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  • f272
  • ベストアンサー率46% (8467/18126)
回答No.1

これといった定説はありません。 鶴松死亡説,征服欲説,領土拡張説とかいろいろあり間瀬が,海外貿易振興説は魅力的な説です。つまり海外との貿易を活発にし,交易による利益を最大化することを目的に朝鮮には明との仲介をさせようとした。 実際には,いろいろな動機が複合的にあっての総合判断だったのではないでしょうか。

mrym26
質問者

お礼

彼の思惑をはっきり知りたいですが、おっしゃった通り、動機の複合性の故、読み取り難いかもしれませんね。

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