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日本史B 水田について
(1)縄文時代には灌漑用の水路を整えた水田が作られた。 (2)縄文時代末期の西日本を中心とする遺跡からは 水稲耕作が始まったことを示す水田跡や炭化米が発見されている。 正誤判定の問題なのですが(1)は✕、(2)は◯でした。 両方とも縄文時代の水田について書いてあるにも関わらず 何故(1)だけが誤文になってしまうのか分かりません。
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質問者さんは灌漑=水田と理解しているのではないかな。それは間違いです。灌漑というのは人工的な給水設備を意味しますが、灌漑は水田の必須条件ではない。言い換えれば、自然条件に恵まれれば灌漑しなくても水田は実現可能だということになる。つまり縄文時代の水田には灌漑用の水路は無いのです。そういう水田を天水田といいます。天水、すなわち雨です。河川や溜池からの水ではなくて雨だけに頼った水田が縄文時代の水田です。 ここまで説明すれば(1)は✕、(2)は◯の理由はお分かりと思うけど。
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- tanuki4u
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回答No.1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A8%E6%B0%B4%E8%B7%AF 「古くは佐賀県唐津市の菜畑遺跡(推定年代縄文 - 弥生時代)や、新潟県村上市の元屋敷遺跡(同縄文時代晩期)、徳島県徳島市の庄遺跡(同弥生時代前期前半・紀元前3世紀頃)、佐賀県の吉野ヶ里遺跡、福岡県福岡市の板付遺跡などに遡る。」 現在の日本史の理解では http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C 「稲作が生業であったかどうかは別にしても、縄文時代後期・末期頃に陸稲(熱帯ジャポニカ)が栽培されていたことは確実になった。」 1)では縄文時代開始時点から稲作が始まっていることになる。
質問者
お礼
回答有り難うございます。
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