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弥生土器のルーツ。
「弥生時代になると、朝鮮半島を経由して多くの北方系のモンゴロイドが渡ってきます。彼らはコメや金属の道具を伝えました。彼らは縄文人と混血して、その子孫が九州北部から瀬戸内、近畿にかけての地域に多く住んでいました。」 上記の説明文は、ある歴史博物館のHPの一部です。 この例に限らず、このような記述はよく目にします。 「彼らはコメや金属の道具を伝えました。」と書いてありますが、想像をたくましくしていきますと、次の疑問がわいてきました。 「コメ」をつくるために、稲籾を何らかの容器に入れて運んで来たと思います。 容器は多分、土器だと思いますが、日本の遺跡から中国製の土器は発掘されているのでしょうか。 土器を作る技術を持つ人びとが縄文晩期に渡来してきたとすると、 「弥生土器」が、「縄文土器」とは大いに異なっているそうですから、弥生土器のルーツは中国にあるのでしょうか。 また、「金属の道具を伝えた」とあります。 これは、中国製の鉄器が多数出土していることから証明されているようです。 水田耕作の技術を持ち、鉄器を所有できる生活レベルの人びとを統率してきたリーダーなら、「文字(漢字)」を使えたと思います。 誰が製作したかは別にして、文字の入った弥生土器は出土しているのでしょうか。 学会で認められていない説でも、想像から導いた独自の説でも歓迎しますから、聞かせてください。
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弥生式と縄文式は野焼きか覆い焼きかのちょっとした違いです 大きく違うのはデザインであり作り方ではありません。 縄文と弥生式土器の焼き方の違い http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2008/02/000458.html 弥生時代の開始年代(最古の弥生式土器が載ってます) http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yayoi.htm 稲作(陸稲ではありません)の渡来については稲のDNA検査において日本の稲の一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部から確認されない事分かり朝鮮ルートと南方ルートが共に有ったと考えられる 弥生文化の起源 http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku266.htm -DNAから見た稲の道- 佐藤洋一郎 http://inoues.net/study/japonica1.html
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- no009
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>「コメ」をつくるために、稲籾を何らかの容器に入れて運んで来たと思います。容器は多分、土器だと思いますが、 土器はありえないと思います。第一重たい。中身より土器の方がずっと重たくなります。さらに薄い磁器の大皿でもかなりの重量があります。荷物は軽くするのが原則です。しかも途中で割れたらおしまい。 米俵があったとは言いませんが、編んだ布は縄文時代にあったので、わらで編んだもの、貴重な布で袋状にしたものなどで運んだと考えるほうが素直な考え方と思います。(これは独自の説です。) >文字の入った弥生土器は出土しているのでしょうか。 2世紀前半から中ごろと見られる高杯の破片から文字らしきはっきりした刻書が今のところ一番古いようです。もっとも文字として認識していたのか、単なる記号、飾りと認識していたかは不明。 >リーダーなら、「文字(漢字)」を使えたと思います。 支配者が支配する手段の必要性(意思の伝達)から大陸から連れてきたり、移住してきた知識人の助けを借りて導入されたと考えられています。(小学館 日本の歴史3より)リーダー1人だけ使えてもあまり意味をなさないです。
お礼
私の単なる空想に付き合ってくださりありがとうございます。 >わらで編んだもの、貴重な布で袋状にしたものなどで運んだと考えるほうが素直な考え方と思います。 そうですね。荷物を軽くすることが第一ですから、「袋」と考えるのが素直ですね。 米作りの経験がないので、大事な種籾を「壺」で運んだと想像しました。 ただ、煮炊きするための土器を持ち込んだと思います。 この土器を作る技術が、後世、弥生土器と呼ばれる土器のルーツだと想像して質問しましたが、親切な回答をいただいてからいろいろ調べてみますと、素人が想像できるような生易しい問題ではない、ということが分かりました。 >2世紀前半から中ごろと見られる高杯の破片から文字らしきはっきりした刻書・・ 後日調べてみます。
- hitokotonusi
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ああ、そういう意味ですか。 中国から直接伝播した証拠のように読んでしまいましたが、 そのPDFに書いてあることならわかります。 そのPDFの黄色のところに >中国で製造された鋳物製の鉄斧などの破片を日本で割るなどの再加工して使用する事が始まる。 とかいてあるように、多くは道具ではなく鉄素材として輸入し、 加工して使用したようですね。一部はそのままつかったでしょうけど。 それと、後の時代のこととしてもう少し後ろのほうに >鍛冶材料として広く交易商品として中国朝鮮で流通するようになる。 とかかれていますが、鉄器が日本に伝来したころも事情は同じで、中国で製造されたものが交易品として朝鮮半島に渡り、それが日本にも来たものですね。中国人が直接「金属の道具を伝えた」わけではないですよ。
お礼
重ねて回答してくださってありがとうございます。 鉄器が日本に伝来した事情について、よく分かりました。 とにかく自分の都合の良いように解釈したものですから。 弥生土器が無文土器と強い関連性があることも、調べて理解しました。 福岡・曲り田遺跡から出土した朝鮮半島系無文土器や稲刈り道具などは、水稲耕作が半島からきたことを示す好例だそうです。 散歩しながら想像したことですが、当時の家財道具としては最重要な「土器」を渡来してきた人びとが、異郷の地で作ったとすれば、何かの「文字」を土器に記したのではないかと考えました。 弥生時代には何十万人という人びとが半島から来たそうですから。 古墳から出土した刀剣には、いっぱい漢字が彫ってありますね。 少し前の弥生時代に、文字の入った土器が(現在のところ)無いということは、私にとって新しい疑問です。 それとも、縄文土器を作ってきた人びとが、弥生土器と呼ばれる薄手の堅牢な土器を作るようになったのか、素人の想像はいくらでも広がりますが、あまりにもスケールが大きすぎて、何が何だか分からなくなりました。 もっと下調べをして、考えをまとめて再度、質問を投稿したいと思います。
- hitokotonusi
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北方系のモンゴロイドは中国とは限らないですよ。 むしろ、何処かは明確にわからないゆえ、北方系のモンゴロイドと広く書いているんだと思いますね。 稲作や金属器のような伝播は、遠距離の直接の伝播よりは、近接地をつないで、つないでという何段階にもわたる過程を考えるほうが自然でしょう。ですから、そのルーツが何処かということは別にしても、直接わたってきた先は朝鮮半島南部でしょう。 >日本の遺跡から中国製の土器は発掘されているのでしょうか。 出土したと聞いたことはないですね。出ているかもしれませんが。 ただ、上で書いたように、遠くから直接の伝播というのは考えにくいので、 朝鮮半島系の土器は出ても中国系の土器はごく少数でしょう。 >弥生土器のルーツは中国にあるのでしょうか。 弥生土器の成立には朝鮮半島の無文土器の影響が強く認められます。 >中国製の鉄器が多数出土していることから証明されているようです。 これは聞いたことがありません。 時代が下がると中国製の金属器が出土することは珍しくありませんが、初期の鉄器ではどうでしょう? >文字の入った弥生土器は出土しているのでしょうか。 文字かどうかは意見が分かれますが、紀元前後には文字かもしれないマークが刻まれた土器が出土しています。 確か、それが最古で、弥生時代の開始時期とは数百年の差があります。
お礼
素人の単なる思い付きに過ぎない質問に早速回答くださってありがとうございます。 「コメや金属の道具を伝えました」ということから、中国から渡来してきたと考えました。 それに、朝鮮半島は寒いので、稲作は半島南部から始まったと考えました。 それなら、中国のどこからか、コメは海を渡って半島南部に伝わると同時に日本列島にも伝わったのではないかと、想像しました。 文字の入った弥生土器は無さそうですね。 では、文字の入った最古の土器はいつ頃のモノなのか、また新しい疑問が出てきます。 文字の入った弥生土器が見つかれば面白いのですが、楽しみに待つとします。 「弥生土器の成立には朝鮮半島の無文土器の影響が強く認められます。」 これをヒントに無文土器を調べてみます。
補足
中国製の鉄器について。 歴博国際シンポジュウムの2ページの記述を参考にしました。 http://www.ne.jp/asahi/mutsuo/nakanishi/jstlbb12.pdf 「弥生の時代の始まりは鉄器使用に裏付けられた水田稲作によると言われる。 しかし、現状弥生時代には種々の鉄製工具が使われ出したが、いずれも日本で作られた鉄ではなく、大 陸から持ち込まれた物と見られている。 一番古いもので紀元前 2 世紀頃から日本各地で鉄斧など鋳鉄製品が出土しているが、これらはすべて大 陸からもたらされたもので、日本で鋳造された痕跡はない。」
お礼
すばらしい論文を紹介してくださって真にありがとうございます。 これです。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yayoi.htm この中に「これまで水田稲作は、朝鮮半島から伝わったとされていましたが、弥生時代の 開始年代が500年早まると中国の江南(長江流域)から直接、朝鮮半島南部と日本に 伝わった可能性がでてきます。」と書いてあります。 私が、散歩しながら想像した筋にピッタリです。 さらに、想像が膨らみます。 水田稲作が伝わったということは、「米を炊く方法」も同時に伝わってきたわけですから、 当然「土器」を作る技術も伝来したはずです。 朝鮮半島経由にしろ、大陸から直接来たにせよ、弥生土器のルーツは中国ではないかと 思ったのです。 漢字文明の国から遠く海を越えてやって来た人びとは、大切な土器に懐かしい故郷の 文字を印したいという気持ちになったはずだと想像しています。 土器の線刻画の中には、何を表そうとしたのか、今となっては不明のものがありますね。 これらを見るにつけ、どうして「文字」を残してくれなかったのだろうか、と思います。 漢字を知らない階層の人びとばかりが、日本にやって来たとは思えません。 権力闘争に敗れた上層階級の人びとも渡来してきたはずです。 論点を整理して、再度質問して教えていただきたいと思っています。