- 締切済み
八重の桜のまげ
八重の桜を観ていると、月代のあるひとないひとがいます。 八重の桜の時代にまげを結う際、月代のあるなしがあったのでしょうか? あったならば、身分や職業でまげの形を変えていたのでしょうか? 詳しい方、教えて下さい。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- shin1417
- ベストアンサー率27% (199/721)
回答No.2
仕官している侍は月代のある髷を結うのが『義務』です。 事情も無しにちゃんとしていなかったら謹慎処分を喰らいます。 月代が無い侍は浪人です。 どっかの藩に所属している侍は月代のある髷を結わなければなりません。 これはマナーとかじゃなくて『義務』です、仕事の一部と思って良いです。
- kurikuricyan
- ベストアンサー率14% (440/3139)
回答No.1
きちんとした藩出身者は、武士としてのステータスで月代をそったのではないでしょうか? 藩によっては、きれいに剃ることが出来る様に指導もされたそうです。 新撰組の土方とか近藤は、農村出なので、月代にはしない。 が、沖田や山南は武士の出なので、月代にする。 坂本龍馬は、脱藩したので総髪にしたのでは? 彼の場合、かなりの天然みたいですから、月代は、そもそも、無理だったとか。 長州人は、月代にすると、長州の出、、、というのが、バレるので 総髪にした、、、と何かの本で読んだことがあります。 町人の髷は、武士の髷とは、微妙に違ったそうです。 浪人は、さかやきを剃るお金がなかったので、ザンバラだったとか。 粋な町人のお兄さんは、髷を横に流すようにシャレたそうです。
質問者
お礼
長州人は、月代にすると、長州の出、、、というのが、バレるので ということは、長州藩特有の月代があったのでしょうか。 覚馬が襲われたのは「言葉」で会津藩とバレたからだというくだりがありました。 命がけの時代なので、身を守るための工夫があったのでしょう。 ありがとうございます。
補足
ありがとうございます。 八重の桜の時代は『義務』なるものが緩んでしまったということでしょうか。 八重の兄、覚馬は京都にいたころまで月代がありましたが、長崎に行ったころから月代がなくなりました。 旅先なので、気持ちが緩み義務を怠っているということでしょうか? http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/cast/story02.html 八重の桜の登場人物を見ると 会津藩家臣、家老の佐川官兵衛には月代がありません。 同様に会津藩家臣、軍事奉行添役、秋月悌次郎(北村有起哉)にも月代がありません。 西郷隆盛(吉川晃司)にも月代がありませんが、脱藩しているからなのでしょうか? 久留米藩出身の真木和泉(島田久作)にも月代がありません。 勝海舟(生瀬勝久)は幕府の人物とおもいきや月代がありません。 佐久間象山(奥田瑛二)は信州・松代藩士、吉田松陰(小栗旬)は長州藩藩校・明倫館の兵学教授ですが月代がありません。 川崎尚之助は次週から会津藩にとりたてられるとのこと。次週から月代のある姿になるのでしょうか? 長州藩の木戸孝光(桂小五郎) 及川光博も今週も月代がありません。 (なぜかHpでは月代がある)