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大東亜戦争

において、日本人が東南アジアの独立のために戦ったらしいのですが、 なぜ戦ったのでしょうか?どんな思いで?当時日本本当は支配地になることまで覚悟していたんでしょうか? あと、石油を採りに行ったのであれば、ミャンマーのインパール作戦とかは気になりますが。

質問者が選んだベストアンサー

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  • shirouuda
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回答No.6

No.3の続きです。 1930年代の日本は、政府は「平和」と唱えているのに、勝手に軍が中国大陸に攻め込んでいきました。「口では平和、でも、腕が勝手に人を殴る状態」。 世界から非難を受け、国際連盟も脱退し、アメリカを敵に回し、後は周知の通りです。 「東南アジアの独立」なんて、後からつけた理屈。まあ、本気に取り組んだ日本人もいたでしょうけども、政府は本気ではありません。そもそも、人種差別大国ナチスドイツと同盟し、共産主義国ソ連と不可侵条約。理想もへったくれもありませんよ。 アメリカは日本を植民地にする気なんかありません。そんなもの儲かりませんから。アメリカが欲しているのは、アメリカの工業製品を買ってくれる、豊かでおとなしい先進国。つまり、戦後の日本です。 「侵略」か「防衛」という議論は、論理的思考が欠けています。なぜなら、「侵略」と「防衛」は相互背反ではありませんから。「侵略」かつ「防衛」というパターンは多いのです。

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  • tanuki4u
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回答No.5

キューバをスペインから独立させるためにアメリカはスペインと戦い、勝利し、キューバに利権を確保して事実上の保護国にした。 朝鮮を中国(清)から独立させるために日本は清と戦い、勝利し、挑戦を独立国にしたあとで日韓併合を行った。 南米をスペインから独立させるためにイギリスは独立を支援し、政治支配なき経済支配を実現した。 大東亜戦争における日本の行動が特別であるという理由は見いだせないのだが。

  • mekuriya
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回答No.4

「東南アジアの独立のために戦った」というのは余りに単純な見方です。欧米列強と対等に対峙する為には、欧米列強に植民地化されているアジア人を味方につけるしかないという発想なんです。 そういう発想は古今東西の歴史に普遍的に見られることであって、日本だけが特異であった訳ではない。 例えば米西戦争でアメリカとスペインがキューバやフィリピンを戦場として戦いましたが、アメリカはフィリピンに独立を約束していました。アメリカと一緒に戦ってくれたらスペインから独立させてあげるよと吹聴しました。それを信じてフィリピンはアメリカに協力しました。ところが米西戦争がアメリカの勝利で終わると追い出したスペイン人に代わってアメリカ人がのさばってしまいました。話が違うじゃないか。フィリピン人は1899年から1913年まで断続的に独立戦争を戦いましたが、アメリカに敗れアメリカに植民地化されてしまった。スペイン人の地主がアメリカ人の地主に代わっただけで、フィリピン人は農場労働者として搾取されました。アメリカは民主主義の国ですから、誰の独裁でもない。約束通り独立させてあげようという勢力もあっただろうし、いやまだ独立には早いという勢力もあっただろうし、いろんな考えがあっただろうとは思いますけど、結局ああなった訳で。 朝鮮だってそうです。日清戦争は、朝鮮を独立国として清の朝貢国から脱皮させようという日本と、朝貢国に留めたいという清の対立が戦争に至ったものでした。しかし日本の判断は甘くて、朝鮮に独立の能力が無く、案に相違してロシアによる植民地化が進んでしまった。朝鮮も一枚岩でなくて親日派や守旧派は親露派が入り乱れて権力闘争をしていたんです。 というわけで例えばフィリピンについていえば、日本は大東亜戦争さなかの1943年に約束通りフィリピンを独立させ、ホセ・ラウレル大統領を東京で開催された大東亜会議に招聘しました。ところが大東亜会議も虚しく日本が大東亜戦争に敗れると、日本という後ろ盾を失ったフィリピン政府は瓦解して再びアメリカの植民地に戻ってしまった。正確に言えば、アメリカは親日政府を打倒して、親米政府を樹立させたかったということです。元々フィリピンは一枚岩でもなくて、日本と助けを借りて独立しようという考えの指導者もいれば、大東亜共栄圏を信用せずアメリカと結んだ方が良いという指導者もいたんです。 東南アジアと一口にくくるのは乱暴な話で、それぞれの地域に複雑な事情がありました。 まあ、この回答ではそれぞれの地域全部の説明は一冊の本になるから、ここで止めておきます。 結局、日本は力が足りず、大東亜戦争に敗れ、東南アジア諸国はすんなりとは独立できなかったけれど、少なくとも日本は大東亜戦争で、東南アジア諸国に独立の機運、きっかけを作ったということは否定できない事実です。だから感謝してくれなんていうつもりは全くありませんけどね。 これだけはいっておきたいが、日本は東南アジアを侵略したという見方は余りにも単純すぎる嘘だし、また逆に日本は東南アジアを独立させる為に戦ったという見方も単純すぎる間違いです。 日本は独伊と結んでしまったばかりに、独伊と対立する米英蘭とも対立してしまった。追い詰められて局面を打開する為に大東亜戦争に打って出るほかなかったんです。 以上が私の見解だけど、当然ながら私と異なる見解の論者もいるでしょう。それをどう受け止めるかは質問者さんに任せるしかありません。

  • shirouuda
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回答No.3

「理由があればいきなり殴って良い。」は、不良少年とそのモンスター親の論理です。 近代の国家間ではそんな野蛮な論理は滅亡の一里塚。世界を敵に回してしまいます。 帝国主義の時代は、侵略OKでした。が、 軍人は外交官と綿密な打ち合わせを行い、国王・大統領・議会などの承認を得てからしか、本格的には戦ってはいけませんでした。なぜなら、国際関係は複雑であり、戦争のような大きなアクションは思わぬ波及効果を列国に及ぼします。 外交官が、他の列国の政府に対して、 「今朝、我が国は、○○国に宣戦布告を行い戦っています。理由は貿易商人の保護のためです。貴国に迷惑をかけないように配慮し、貿易港の半径10キロ以内までしか侵攻せず、一ヶ月以内に主力は撤兵します。どうか、承認、中立または支援をお願いします。」 いささか漫画的ですが、外交官が説明できる戦争しかしてはいけないのです。その点、1930年代の日本は落第。外交官との打ち合わせなどないし、天皇陛下の許可も無し。日本国内でも不法行為でした。

回答No.2

>日本人が東南アジアの独立のために戦ったらしいのですが、 ↑の部分は、文脈から質問の範囲ではないと判断しました。 これを質問とすると↓の戦う理由の回答になってしまいます。 当時の日本は、欧米の植民地となっているアジアを何とかしたいと思ってはいましたが、当時は自国の事で精一杯でしたので、大東亜戦争の主目的ではないと思います。 (日本が勝てば、結果としてアジア諸国は独立することになりますが) しかし、日本は戦争の過程で解放した国々から欧米のような搾取や差別はせずに、 将来の独立の為の教育や指導をしており、 アジア諸国は、日本の戦争によって独立は早くなったと言ってくれています。(動画参照) >なぜ戦ったのでしょうか?どんな思いで?当時日本本当は支配地になることまで覚悟していたんでしょうか? 回答:太平洋戦争(対米戦)の目的は、講和によりアメリカの資源の禁輸を解除させ、中国への支援をやめさせる事です。 アメリカ本国の占領は考えていません。(不可能です) 負けた場合、植民地になる可能性はありました。 明治以降の日本の戦争は、領土的野心による侵略戦争ではなく、国防上の必要からのものです。 日本の植民地だったのはパラオと台湾ですが、どちらも侵略によるものではありません。 朝鮮は併合であり満州国は傀儡政権ではありますが植民地ではありません。 (↑は太平洋戦争以前の事で質問の範囲からはずれるので詳細な説明はしません) 中国との戦争ですが、併合によって日本となった朝鮮に、国民党軍が侵入してきて破壊活動やテロなどの挑発を行ったために、日本の部隊が暴発したのがそもそもの始まりです。 日本は、朝鮮内だけで応戦していたのですが、彼等は奥地の本拠地に逃げて、また同じ事を仕掛けてくるということを繰り返しました。 日本軍は、彼等の本拠地を叩く必要を感じて、奥地まで軍を進めました。 (来る敵を叩くだけでは問題の根本的な解決は不可能です) これが日中戦争です。 当時の中国との関係ですが、日本は日露戦争の勝利の後、朝鮮を併合し中国と国境を接することになりました。 ロシアからは、満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。 同時に、これらの防衛や、現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。 ↑のように日本は、南満州の特殊権益を認められていました。 当時の中国の状態は、清が滅亡し複数の政権が争っている内乱状態で、それらの出自は馬賊や地方軍閥で、まともな行政・司法・警察等の能力がない上に、国際法や条約への理解が乏しく、協定を結んでも守られる保証がありませんでした。(実際、何度も破棄されています。) 中国には、日本以外にも多くの国が投資しており、在中外国人(日本人も含む)も多かった為に、日本は彼等の保護のため、中国に干渉しました。 当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺されています。 満州事変は、このような状況から起ったもので、これを日本の侵略と断定することはできないと思います。 満州事変以後も、国民党は満州国内に侵入して、日本軍に挑発行為(テロ)を続けました。 日本軍が中国と戦ったのは、この状態は、中国奥地の彼等の本拠地を叩かないと、解決しないと考えたからです。 日本がアメリカと戦った理由ですが、 当時の中国は、アジアに残った最後の市場でした。 欧米との競争に出遅れたアメリカは中国を欲しており、 その為に、中国の国民党(蒋介石)には支援を行っていました。 一方で、日本の戦争行為を侵略と見なして、日本へ資源の禁輸を行い、最後通牒としてハルノートを出しました。 この類の問題では、全ての情報を知っていると思っている平和を愛する良識人気取りの人が、 「ハルノートを受諾した方が被害が少なかった筈だ」 とか言いますが、 ハルノートの受諾は、【資源禁輸の解除】ではなく、【資源禁輸の解除の交渉をする為の条件】に過ぎません。 それだけの為に、日本は明治以降に得た全ての海外の利権の放棄を要求されていました。 そして、禁輸が解除されない場合、日本は戦争以前に、国を守る力すらなくなります。 そうなった場合、当時の世界情勢で日本が独立を保つことは不可能です。 また、ローガン弁護人(東京裁判の日本側弁護人)は、アメリカの中国への支援と、 ↓の経済制裁は武力による戦争行為とかわらず、むしろより激烈なものであり、 対中・対日政策は、交戦状態にある他国に対する、「中立国」の行為として公平なものはないと述べています。 1938年 航空機の対日輸出に同義的禁輸を実行 1939年 通商条約の半年後の失効を通告 1940年 多くの対日輸出に統制を行う 1941年 米国人が蒋介石の政治顧問になる。フライングタイガース派遣。 1941年7月26日 日本人の在米資産凍結。 だとすると、太平洋戦争以前から日米は戦争状態にあり、日本の真珠湾攻撃時に宣戦布告をする必要すらなく、卑怯とか国際法違反と言われる筋合いはないことになります。 以上から、私は、大東亜戦争を日本の侵略と考える人の知能と国籍を疑います。 「侵略」についてですが、この類の話題では、 他国で戦闘をした=侵略 という短絡した思考で結論を出してしまう人がいますが、それは間違いです。 私は旧日本軍の↑の行為は↓の理由で国際法上の侵略とは見做せないと思います。 私は、人の数だけある正義感とやらによる 「ぼくのかんがえるしんりゃく」 を語るつもりも聞く気もありませんし、時代によって変化する上に、人によって解釈が違う正義や人道とやらを振り回して、善人を気取るつもりもありません。 裁判を行う以上、拠り所となる法律が必要です。 ところが、侵略戦争が国際法で違法とされたのは、WW1後のパリ条約によるものですが、 加盟国の様々な事情で、侵略か否かの決定が 「当事国の自国裁量権に任せる」 となっており、事実上ザル法になっていました。 これでは、当事国が 「私は侵略をしました」 と言わない限り侵略にはなりません。 しかし、ザル法でも侵略が違法となった以上、正当な戦争の条件である「自衛権」も問題になりましたが、 当時のアメリカは、↓のように言っています。 【この条約は自衛権を制限するものではなく、その内容と範囲は各国が判定できる】 【当事国が決定するものであり、その自衛の範囲は海外への軍隊の配備まで含む】 ↑は、他国に軍隊を出して戦闘を行っても、侵略の十分条件にはならないということです。 他にも日本はパリ条約以外に、ソ連と↓の内容の 「侵略を定義する為の条約」 を結び日ソ間での侵略の定義を決めています。 1:先に宣戦布告する 2:先に戦争行為を行う ソ連とオランダは日本に宣戦布告をしています。(それまで日本はソ連に↑の行為はしていません) これを侵略ではないというなら満州事変も同様であり、侵略を合法とするならこの条約は無意味です。 ソ連のこの行為は裁かれておらず、それらの侵略行為の結果として占有された北方領土も返還されていません。 ↑のことは、東京裁判では全く問題にされず、日本だけが連合国の都合で侵略をしたと決め付けられ、多くの人が戦犯の冤罪で処刑されています。

noname#179745
質問者

お礼

ありがとうございます。いろいろ複雑ですね。だいぶ前巨大な日の丸などアンチアメリカで統一して過激な暴走でアメリカの侵略を防いだのは暴走族であるという見方はどうですかね?

  • ennalyt
  • ベストアンサー率29% (398/1331)
回答No.1

大東亜共栄圏というベクトルがあったからじゃないでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E6%A0%84%E5%9C%8F

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