• ベストアンサー

大東亜共栄圏

日本はなぜ、大東亜共栄圏などという構想を立てたのでしょうか。 当時は、日本がそれほどアジアを支配できる見込みがあったからなのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.6

日本はキチガイだったから、大東亜共栄圏などという構想を立てたのです。当時、日本がそれほどアジアを支配できる見込みはありませんでした。 「キチガイ」などという言葉を使うと、一気に下品になるから、使うべきではない。しかし、これと同様の趣旨を上品な言い回しで説いた人は、いわゆる進歩的知識人だけでなく保守派にさえ多い。例えば司馬遼太郎である。明治の頃の日本は良かったが、昭和になって自国を丸ごと賭場に放り込むようなことをやった、と書き残している。何しろ司馬は学徒出陣で軍隊を経験しているからな。 そのころの日本が妄想の虜(とりこ)だったことは、昭和天皇も戦後に認めている(認めさせられた)。1946年元日の詔書(いわゆる人間宣言)で、「天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念」と述べた。これこそ、大東亜共栄圏の実相を端的に言い表している。 戦後、日本は妄執から目が覚めたのだが、いまだに覚めてない人もいる。例えば、「大東亜共栄圏は、戦後のアジア各国の独立の契機ともなった」というのは、必ずしも間違いとは言い切れないだろうが、「大東亜共栄圏構想のおかげで」などと恩に着せると、ネトウヨに転落する。 なぜなら、「戦後の世界はアメリカ中心に回っている」という現実認識を欠いて、戦前並みの妄想に耽っているからだ。例えばインドネシア独立を見よう。 敗戦国日本がインドネシアから逃げ去ったあと、オランダが戻ってきて、インドネシアと戦争になった(独立戦争)。泥沼化するとも思われたが、アメリカがオランダに「戦争を続けるなら援助を止めるぞ」と言い渡した。 第二次大戦で疲弊した西ヨーロッパ諸国は、戦後、アメリカから莫大な援助を受けていたのである。オランダはそれを打ち切られたくなかったので、しぶしぶインドネシアと戦うのをやめた。 これこそ、インドネシア独立の決め手となったのであり、それを知らない日本人が多いらしいのは不思議である。戦後の世界はアメリカが中心だったのだから、「インドネシア独立に関しても、日本よりアメリカの影響力が大きかったのでは」と調べてみる気にならないのは、怠慢ではないか。 そして、戦後の世界は第二に共産勢力中心に回っていた。インドネシア独立に関してもそれが見られる。インドネシアの共産主義勢力が、独立闘争を支えた。 そもそも、共産主義のように非道(ひど)いものが、なぜ第二世界(いわゆる東側諸国)だけでなく第三世界(発展途上国)でも勢力を張ったか。彼らは、独立闘争などになると強力な強みを発揮するからである。共産党には、「民主集中制」、「政治将校」などの仕組みがあるのだ。 インドネシア独立を果たしたスカルノも、共産党の功績を認め、気配りせざるを得なかった。のちにスカルノは失脚し、代わってスハルトが政権を取ると、インドネシアは反共国家に転じた。 そもそも、日本がインドネシアを侵略する前から、スカルノらはオランダの植民地支配に抵抗し闘争していたのである。その後、日本が引き起こした太平洋戦争が、「インドネシア独立の妨げにはなっても、助けには全くなっていない」と言い切るのは、へりくだり過ぎでもあろう。しかし、「日本のおかげでインドネシアは独立できた」というのはキチガイである。事実はその中間、「一つの契機ではあっただろう」と思われる。

winterali
質問者

お礼

ありがとうございました。 あそこまで被害を拡大してまで戦争を続けるのは狂疾的だとしか思えませんでしたので、そこが明らかになって良かったです。

その他の回答 (6)

回答No.7

 支配が目標じゃない。  「教育してやろう」というのが元。  当時未開と言われた種族や民族を文明人にしようとする方向。

winterali
質問者

お礼

え。

  • chiha2525
  • ベストアンサー率10% (245/2384)
回答No.5

大義名分 他国を支配し奴隷化して富を巻き上げる、じゃカッコ付かないでしょ。

winterali
質問者

お礼

私が聞いているのは支配の可能性という観点から見た理由です。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

露寇、アヘン戦争・・・ 当時は、欧米列強が虎視眈々と日本を狙っていました。 日本は開国以降も、なんとしても植民地にはされまい と頑張って来たのです。 しかし、欧米に、日本一国で対抗するのは無理です。 それで欧米に対抗出来るようにするため、 アジアが団結すべきだ、という戦略になったのです。 それが大東亜共栄圏構想です。 戦略的にはこれしか無かったのでしょう。 近年では民主党の鳩山さんが、これをやろうと しました。 今のままでは米国に搾取され続け、日本の自律 もままならない。 米国と距離をとり、中韓に接近して、日本の国益を 図ろうとしたのです。 しかし、彼は無能だったので、米国との関係が悪化し、 中韓には利用されるだけ、に終わりました。

winterali
質問者

お礼

ありがとうございました。 今も昔も上手くはいってないようですね。

回答No.3

白人至上主義の打破と東南アジアの開放 当時アジアでもっとも国力があったのは日本です 欧米は日本やアジアをも植民地にしようと狙っていた 自国の危機に立ち上がるのは当然の責務です

winterali
質問者

お礼

どちらかというと自発的な理由ではなく 支配できる見込みはあんまりなかったんですかね。

回答No.2

 1929年の大恐慌とそれに引き続く不況対策として、世界をいくつかの自給自足経済圏に分割する構想が浮かんできました。  日本にとって、食料は満州と中国、仏領インドシナ、戦略物資である石油はインドネシア(当時はオランダ領)、ゴムはマレーシア(英領マレー半島)で確保する必要があり、円を基軸通貨とする経済圏を武力で築く考えが採用されました。  これら諸国には欧米宗主国から独立することを目的とする政党があり、同じアジア人ということで独立運動派を取り込むことは必ずしも荒唐無稽ではありませんでした。現に、太平洋戦争中に、傀儡政権が成立した国もあります。  もちろん、各国の独立運動家にはそれぞれの目論見があり、日本が彼らの独立を助けたという評価は、現地では必ずしも受け入れられていません。

winterali
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.1

winterali さん、こんばんわ。 戦場が欧米列強の植民地である南太平洋や東南アジアである以上、そして敵が欧米列強である以上、植民地で生活している現地人の人々を味方に引き入れる必要があるという政略から大東亜共栄圏という構想が出来たのです。見込みという根拠からは希薄でしたが、うまくいけば、欧米に変わって支配しようと考えていたかもしれません。 日本の軍部は当時の現地民達は上流層はともかく、列強に差別や支配されて嫌気がさしていましたから、日本に戦争協力してもらえればよいと考えていました。 当時の日本は私は満州国を考えれば、どうせ傀儡政権を作って日本に都合の良い政治を行ってもらい、日本の国益を高める狙いがあったものだと思います。例えば、政治的には傀儡政権、経済的には日本を中心としたブロック経済圏です。その程度の構想だったと思います。 但し、戦後になって、植民地がほとんど宗主国の支配から独立したのはこの大東亜共栄圏構想が契機だとは思います。 詳細は下記のURLを参照してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E6%A0%84%E5%9C%8F

winterali
質問者

お礼

見込みはそこまで大きくはなかったのですね。 そして日本の支配に対しては様々な評価があるようですね。 ありがとうございました。