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戦前の日本は何故東南アジアに進出したのでしょう?
先日ある老人と話をしているときに、ふと東南アジアの話になりました。 老人は元軍人で、次のような独自の歴史観を語りました。 「戦前の東南アジアは、西洋諸国の植民地支配下にありとても独立国といえるものではなかった。独立してたのはせいぜいシャムぐらい。そこへ日本軍が解放軍として進出した。だから現地の8割ぐらいの人間が日本に感謝している。戦後独立国になれたのも、半分は日本のおかげである」 戦前の東南アジアについては無知ですので、このことがどれほど本当かは知りません。 日本は中国と長く戦っていました。それにも関わらず戦線を拡大して東南アジアへ進出していったのはなぜでしょうか? 東南アジアの人は日本軍に対してどのような感情を持っていたのでしょう? よろしくお願いします。
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補足
基本的な情報大いに参考になりました。 「統治」「植民地」の実態がよくわかりません。 戦後の日本も統治されていましたが、形式として政治的な決定は国会で日本人によって決められています。(GHQ指導のもと)かなり民主的です。 それよりひどい扱い(資源や労働力の搾取)されていたのでしょうか? ABCD包囲網と南進の経緯を調べてみました。 ・1940年9月23日、日本軍は援蒋ルートの遮断と南進を目的とし、フランスの敗北に乗じてフランス領インドシナ北部(北部仏印)に進駐。 ・1940年9月27日日独伊三国同盟に調印。 ・1941年4月から日米交渉を開始。 ・1941年7月28日にフランス領インドシナ南部(南部仏印)に進駐。態度を硬化させたアメリカは7月に在米日本資産を凍結し、8月には石油など重要軍需物資の対日輸出を一切停止。 ・ABCDラインが成立し、日本は孤立。 http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/56-dainiji4.html これによるとやはり南進の方がABCD包囲網より先になっています。インドシナ進駐を本格的な東南アジア進出ととらえるかどうかで認識が違うのでしょう。 >戦争初期はイギリス・オランダなどからの解放軍として歓迎される。しかし、日本軍の現地研究不足(理解不足)による圧政、資源・労働力などの収奪により、対日観が変化。 最初は歓迎されていたのに残念ですね。 搾取する一方では長続きしません。戦争中ということもありあせっていたのでしょう。 戦後の裁判で多くの日本人が東南アジアで死刑判決を受けたと聞きますが、圧政が理由でしょうか。 アウンサン・スーチさんの父親はずいぶんと活躍をした人だったのですね。日本で軍事訓練をしていたとは驚きです。