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東南アジアの独立

 以前、何かで見たんですが、東南アジアの独立は、日露戦争で、日本が勝利したのが、きっかけになったのは、本当ですか。  極東の名もなき小国が、それも黄色人種なのに、大国ロシアに勝った事に、植民地の人達は、自国も出来るんだと自信を持ち、独立運動になったと知りました。   本当のところは、どうなんですか、分かりやすく教えて下さい。

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  • tak7171
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回答No.1

日露戦争は東南アジア諸国の独立にはほとんど影響を与えておりません。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%B9%B4%E8%A1%A8 上のリンクのとおり、東南アジア諸国の独立は太平洋戦争後に続出しています。 日露戦争の影響は、むしろ北・東欧諸国といった、ロシアの圧力を受けていた国々に及んでおり、フィンランドは独立、ポーランドやハンガリーでは労働運動が激化、その余波からかノルウェーがスウェーデンから独立しています。

5044310108
質問者

お礼

 東南アジアでは無く、北・東欧諸国に影響していたのは、意外でした。本当に勉強になりました。

その他の回答 (3)

回答No.4

東南アジアの独立というよりも,いわゆる,当時の,民族自決運動などの活動に一躍買った,影響を及ぼしたといった感じではないでしょうか‥‥‥?日露戦争で,確かに,日本(当時の大日本帝国)は,ロシアに勝利しましたが,賠償金も無く,日本国内では,一般市民などは,あまり実感などが,なかったかもしれません..しかし,日露戦争で,日本が,勝利したことは,いわゆる,西洋列強諸国や,アメリカなどの国には,やはり,衝撃的だったのか,その頃から,欧米では,黄色人種に対する脅威として,『黄禍論(イエロー・ペリル)』が流行し,白人至上主義などの論理が出現し,現在でも,ネオ・ナチとか,K・K・Kなどの団体が有りますが,アメリカでは,日系人排斥運動なども,起こったようです..日露戦争の出来事や事実などについては,当時の東南アジアや,南アジアの国々の,いわゆるエリート層や,中華系の人々などには,伝わっていたかもしれませんし,中国大陸でも,清朝滅亡後の,中華民国の創始者の孫文氏が現れ,日本に,留学したり,当時の神戸で,演説したりしていましたようです..しかし,本格的な,東南アジアや南アジアの,西洋列強やアメリカなどからの独立などは,太平洋戦争中~旧日本軍などの敗戦後(日本の終戦後)などですので,日露戦争が,直接的に,当時の東南アジア諸国などの独立に,寄与したとは,ならないように思います..

回答No.3

日露戦争は直接は関係ありません ただ「白人は不敗の神ではない」事を日本が世界に知らしめたのは事実です 東南アジア独立の契機は日露戦争ではなく太平洋戦争がきっかけですね 日本はミャンマーの義勇軍に軍事訓練を施しています 実際戦後にそれが独立運動に繋がりました

noname#251489
noname#251489
回答No.2

>日露戦争で、日本が勝利したのが、きっかけになったのは、本当ですか。 ↑ そう言うこともあろうかと思いますが、「日露戦争~影響ありません」と資料添付に頭ごなしに誰も否定も肯定も出来きないと思います。 大東亜戦争以前、恐らく日露戦争のことは現地住民に限って言えば、極一部の現地住民だけしか知らなかったと思います。 例え、日露戦争における日本軍のことは知ったとしても武器や弾薬なしでは日本軍のように白人らに立ち向かうことは出来ません。 また、当時、大半の現地住民たちが知ったところでその事の重大さを認識出来なかったと思います。 まず、日本やロシアのことなど全く知らなかったと思います。  西欧諸国の植民地支配は日本のやり方とは正反対で日本の場合、現地住民に対し教養を身に付けましたが、西欧諸国は教養を身に付けさせるなどしません。 西欧のやり方は大半の現地の住民たちは反感を抱いていますので、知識を持てば知恵が生まれるので、後で仕返しされる恐れがあるのでは?と西欧人は支配している現地の住民たちには滅多に教養を教えたりしないのです。  だから、日本やロシアのことを当然知らないものと判断するのが妥当だと思います。 では、東南アジアの独立に日露戦争のことは無関係だったのでは?と言うことになろうかと思われますが、これも頭を捻りたくなります。 関係あるとしたら、戦時中から戦後です。 風が吹くかの如く、何処かより日露戦争の噂を現地の住民たちは「百聞より一見にしかず」だったのではないかと思われます。 大東亜戦争中、現地住民たちは初めて日本軍及び日本兵を実際に見たと思うのです。そして、日本軍を見て、日本の事を知り、中には日露戦争を知った現地の住民もいたと言うことです。 「百聞は一見にしかず」は現地人だけではなく、その地域を支配していた白人らもロシアを打ち破った日本陸軍兵を目の当たりにして驚嘆したそうです。  結果、日露戦争の噂通りに現地の支配した白人らは日本軍によって追い出されました。 その時は、まだ、日露戦争のことは無知です。 日本軍が現地一帯を占領した後に元々支配していた米英らの噂話から「日露戦争」の噂が広まったのです。 その噂の中で現地の住民たちも知るようになって、日本軍の偉大さを目にしたのです。 しかし、本当の事の重大さを認識したのは日本の敗戦で現地の日本軍が帰国した後です。 噂通り、日本軍は白人主義者らに対し勇猛果敢に戦ったと思います。また、日本軍は補給品を「現地調達」としていたので、武器や弾薬などを売り払って食糧などの補給品などを現地の人達から買っていたのです。日本軍部隊の中には稀に強要、強奪した部隊もあった事でしょう。 そう言う稀な悪い部隊の仕業を日本軍の一般的なイメージとして他国のメディアによって全世界に紹介されたが日本悪玉論です。 賠償が貰えるなら当時国の現地人はお金目的なら誰も嘘を付きますよ。 大半は日本軍と現地の住民たちとの全うなビジネスとしての間柄で次第に日本軍の勇猛果敢な戦いぶりに影響されてたのかは分かりませんが、 現地の人達の志願によって、彼らにも武器を持たせ、軍隊擬きを編成させたりして戦わさせたのです。 現地の住民たちは、戦時中から日本人、日本軍との接点を重ねるにつれ、日露戦争のことは知り日本軍に興味を抱いた若者は沢山いたと思います。 実際に日本軍が現地住民らに軍事のノウハウを教えてました。 中には教養も教えてましたから、教養を身に付いた現地の住民たちは日露戦争のことは知ります。 結果、日本軍は敗戦しましたが、現地の住民たちは日本軍の勇猛果敢さに肝銘を受けて、これが戦後における彼らの独立運動の要となって独立を果たせたものと思います。 また、現地の日本兵も帰国せず、独立運動に加担し元日本兵も現地で血を流し現地の土に眠りについたのです。 日露戦争のことより、大東亜戦争中、現地の住民たちは日本軍の戦いぶりを見習って共感したからこそ、独立を果たした。そう言う見方が一般的だと思います。  

5044310108
質問者

お礼

 今まで、誤解しました。すっかり、日本は凄いなとうぬぼれていました。本当に恥かしいです。  でも、日本軍の影響が、大戦後に影響したのは、知りませんでした。