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日本の戦争目的はアジアを独立させる?論拠とは
- 日本の戦争目的はアジアを独立させるという根拠について、歴史的な文献から考察してみましょう。
- 東条英機の施政方針演説や大本営政府連絡会議の決定などを参考にすると、日本の目的は占領地域を日本の領土に組み込むことであり、独立を与えるかどうかは別の考えであることがわかります。
- したがって、日本の戦争目的はアジアを独立させることではなく、占領地域の最終的帰属は別途検討する考えであったと言えます。
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No.4です。 補足を頂戴しました。 補足に 「つまり日本の植民地にする所、独立させる所、独立した中でも実質的な独立の度合は様々って状況を当時の政府・軍首脳の目的でしたが、それを最初からアジアの独立の為の解放戦争って主張するのは可笑しくないでしょうか?」 とありますが、当初のご質問は 「一体何を根拠に言っている事なのでしょうか?」 ではありませんでしょうか。 それはさておき「つまり日本の植民地にする所、独立させる所、独立した中でも実質的な独立の度合は様々って状況を当時の政府・軍首脳の目的でした」とされておられますが、東條が演説した時点では日本が進駐した以降の政策が決まっていなかったためにこのようなこともあるあのようなこともあると言っただけのことかと思います。 東條は演説の中で「大東亞共榮圏建設の根本方針は」と言っていますが、「大東亜共栄圏」という言葉自体は東條内閣の前の近衛内閣時代に使わるようになった言葉ですが具体的な政策に基づいて使われたものではありませんでした。 東條の演説の後で急遽東條を総裁とする大東亜建設審議会が設けられて審議されるようになりました。 つまり看板だけあって内容がないという状態でした。 いずれにしても欧米の植民地であった東アジアおよび東南アジアの一帯から欧米を駆逐して日本を盟主とする新しい政治体制をつくるということですので「アジアの独立の為の解放戦争」だったと考えられる方がおられても差支えがないのではありませんでしょうか。 日本が植民地化しようとしていたから「アジアの独立の為」ではなかったとは言い切れないかと思います。 宗主国の手から離れて独立しても統治機構を持てなかった場合には「委任統治」という形態が当時の国際連盟で認められていました。 現在は国連の承認得たうえで信託統治という形態が取られています。 当時日本は既に国際連盟を脱退していたことから委任統治という手法が使えませんでした。 宗主国を駆逐した後で無政府状態に放置する訳にはいきませんから日本が植民地という形で統治することになります。 つまり植民地化しようとしていたから宗主国からの独立の為ではなかったとは言い切れません。
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- jkpawapuro
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アジアの独立ってのはアジアはアジア人が支配するという意味であって、インドネシアはインドネシア人が支配するとかフィリピンはフィリピン人が支配するという意味ではないのでしょう。 質問者さんがアジアの独立を勝手に現代的な意味に読み替えてるように思えます。
お礼
回答ありがとうございました!!
- ichikawa2017
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ご質問の趣旨が良く分かりません。 ご質問に「東南アジアの占領は一時的にせよ、その地域の英米(&オランダ)の支配を覆しただけで」とありますが、このことを「アジアの“独立”」あるいは「アジアの独立の為に日本は戦った「アジア解放戦争」だと」と考える方がおられても一向に差支えはないのではありませんでしょうか。 アジアの独立と言われておられる方々は個々の具体的な国の独立とはされていないのではありませんでしょうか。 そうであれば根拠は質問者さんが根拠とされているものと同じものだということになるかと思います。 単に史料の解釈が違うというだけのことかと思います。 ご質問の趣旨ははご自分の解釈が正しくて他の人の解釈は間違っているということでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました!!
補足
東南アジアの占領は一時的にせよ、その地域の英米(&オランダ)の支配を覆した事は事実であり、当時のスローガンの通り、単に「米英(蘭)の植民地支配からの解放に繋がった。」と言う主張だけなら問題ないですが、それを最初から「アジアを《独立させる為と言う意味》の解放だった。」と言った《独立前提》の解放だとするのは話が変わってきてしまいます。 上記にある様に1943年5月31日御前会議決定「大東亜政略指導大綱」では現在のマレーシアとインドネシアは、日本の領土に組み込む”、って事になっていました。 東條英機が施政方針演説で言っていた様に 『大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ』 つまり日本の植民地にする所、独立させる所、独立した中でも実質的な独立の度合は様々って状況を当時の政府・軍首脳の目的でしたが、それを最初からアジアの独立の為の解放戦争って主張するのは可笑しくないでしょうか?
- guchiliy
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お礼
回答ありがとうございました!!
- あずき なな(@azuki-7)
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別に日本が「アジア開放戦争」って位置づけで言ってるわけじゃなく 植民地支配されてた東南アジア諸国がそう言ってるんです 彼らにしてみれば植民地から開放してくれた日本は 「アジア開放のために戦ってくれた軍隊」に見えるんでしょう で 日本にありがとうと感謝を伝える→ネットの人たちは「日本がアジアのために戦った」と置き換えてるに過ぎません
お礼
回答ありがとうございました!!
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
これはみんな「後付けの理屈」です。最初から考えていたことではありません。 たまたま日露戦争で勝ったりしたので、日本は強いんじゃないかと勘違いしたのが事変をおこしたりしたきっかけです。 そもそも日露戦争で勝ったのに戦果があまりなかった。どこの国が日本国領土になったわけでもなかった。だから怒った市民が新聞社を焼き討ちしたりしたわけです。日本が強いのになめられてるんじゃないか、と考えたんですね。 で、軍部が強くなければいかん、軍部が予算をもっともって強い日本でなければならん、というような発想が「思い込み暴走」を初めて、最初に海軍が5.15事件を、次に陸軍が2.26事件を起こした。収集としてはこれらは反乱としておさめるしかないわけですけど、市民の側では「兵士たちの気持ちはわかる」というのがどっさりあったのです。 そのうち、我を張り続けた結果孤立していき太平洋戦争がはじまってしまうと、今度は大義名分がほしくなったわけです。 たまたま今の東南アジア(インドシナ)ではヨーロッパの植民地になっているところがいくつもあったから、これらを侵略しよう、そして日本の領土にしてしまえと思ったのですが、このときの大義名分は「不当なオランダ侵略から救った」というのが、言ってみたら気持ちがよかったのです。 それらをすべて大義名分にしようと考えたのが大東亜共栄圏構想というもので、要するに植民地だったところをすべて「解放」して不当な支配から救う、といういい分でこれらの地域を侵略しようと考えたのです。 戦争をはじめてからようやっとでっち上げた大義名分です。それまでそんな知恵もわかなかった。 どう考えたって、自分以外の国の独立のために戦争を始めるようなバカ国家があるわけがないのですが、自国民にそれを信じさせようとしたわけです。 これは耳で聞くと非常に響きがいい言葉です。マグマ大使がゴアから世界を救う、というのと同じような快感です。だけど、正義のためにする戦争なんてあるわけないんです。正義というのは勝ったほうが自分を正当化するための錦の御旗に過ぎません。 実際にはインドシナではいくつもの国がそれまでの支配から解放されたというのは事実です。たまたま日本が戦争に負けたので本当に解放されました。 そういうことを、勝てば官軍でいい気になっていた東京裁判でパール判事が言ってくれたわけです。日本は悪いかもしれないけど自分たちを救ってくれた、と。 そんなこんなを、歴史をよく調べず認識も低い連中が、日本は大東亜の平和のために戦ったんだ、と言いたがるのです。 もちろん、そんなことは誤りで、自分のものにするために盗人からものを奪ったものが正しいわけはないのです。
お礼
回答ありがとうございました!!
お礼
回答ありがとうございました!!