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タゴールの詩の和訳|センセーショナルなタイトル
- タゴールの詩「I leave no trace of wings in the air,but I am glad I have had my flight」の日本語訳にアドバイスをいただきたいです。
- 私が試訳した「空に跡が残っていないけれど、私がすでに飛びきっていた」という文に対して、ニュアンスの変化について教えてください。
- さらに、「飛び切る」や「空には」などの表現についてもアドバイスいただけると助かります。
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1.「飛び去っていった」ならむなしい感じがしますね。そのむなしさを消すために、「飛び去っていく」を「飛び切る」に変えました。「飛び切る」の部分にほかの言葉もあるでしょうか。「飛び通す」、「飛び尽くす」などありますか。でも、この二つは力を入れすぎた感じもします。 : 英語は詳しくありませんが、I have had my flight は「飛ぶという状態が(終了ではなく)完了している」という意味に解釈して、「わたしはたしかに(すでに)飛んでいる」のように捉えたいと思います。 全体的には、 「航跡こそ残していないが、わたしはたしかに大空を飛んでいる!」と訳してみました。 2.「飛びきっていた」を「飛びきった」と「飛びきっている」に変えたあとのニュアンス。 : 「飛びきっていた」は「飛ぶという行為を終わった状態であった」という意味。 「飛びきった」は「飛ぶという行為を終えた」という意味。 「飛びきっている」は「飛ぶという行為を終える、という体験をした」という意味。 3.「空に」を「空には」に変えたあとのニュアンス。 : 特にとりたてる気持ちを表す係助詞「は」が加わっています。 「空に」という場所を強調しているニュアンスです。 しかし、この文脈で強調したいのは「空に」ではなく、むしろ「跡が残っていない」という内容のほうです。 つまり、「空には」よりも「空に」のほうが適しているでしょう。 4.「空に跡が残っていないけれど」を「空に跡が残っていなかったけれど」に変えたあとのニュアンス。 : まず、この構文では、「跡が」は不自然な表現になってしまいます。 3の記述もご参照の上、「空に跡は残っていなかったけれど」とすると自然になります。 5.「空に跡が残っていないけれど」を「空に跡が残っていないが」に変えたあとのニュアンス。 : 4の理由により、 「空に跡は残っていないけれど」と「空に跡は残っていないが」を比較してお答えします。 どちらも逆接関係を表わしますが、後者は端的な表現、前者は良く言えば丁寧、悪く言えば緩慢な表現、ということになります。 因みに「けれど」は砕けた表現で、正式には「けれども」となります。 6.「すでに」を「もう」に変えたあとのニュアンス。 : 前者は「飛びきるという行為が早くも終わっていた」というニュアンスですが、後者は「飛びきるという行為に移行していた」といったニュアンスになると思います。 後者の場合、「それまでの状態から変化していること」に着目した表現であるように感じます。 7.「私が」を「私は」に変えたあとのニュアンス。 : 今回の場合、「私がすでに飛びきっていた」は不自然な表現で、「私はすでに飛びきっていた」とするのが自然です。 前者は「飛びきっていたのは私である」というニュアンス。 後者は「私の状態について話してみれば、飛びきっていた」というニュアンスです。
その他の回答 (12)
- marbleshit
- ベストアンサー率49% (5033/10253)
いかなる賞賛も浴びなかったが、確かに生きたという自負こそが我が人生の誇り。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。いろいろな解釈ができておもしろいですね。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- yanhua
- ベストアンサー率72% (508/701)
他の方の丁寧な解説が付いているので理解なさったと思いますが、 tenseの部分に補足させていただきます。 「I leave no trace of wings in the air,but I am glad I have had my flight」 英語の完了相を再確認。 「助動詞 have + 過去分詞形動詞」 その意味すること: [経験(過去の事実)] or [過去の経験で現在もその状態が続いている] 手近のSPACE ALKから文例です. Spring has come.春が訪れた。…今も続いている. I have had relationships with five woman in my life. 今まで、5人の女性と付き合いました。…今は? I have had my lunch. 昼食はすませた。…既に完了した. 他に多数あり. 参考。 中国語版《流萤集》散文诗《萤火虫》(英文漢訳の妥当性は不明)、 “天空不留痕迹,而我已飞过”. “天空不留痕迹,但我已飞过”. ⇒ 何れも過去の経験を示すのみ。現在までの継続を明示する訳ではない。 さて、 ⇒ I have had my flight. 飛行を終わった。…既に完了した. と解釈するのが妥当と考えます。 ⇒ 空に跡を残さずに、飛び終わった。 空に跡を残さずに、飛びきった。 空に跡を残さずに、飛びきれた。 などが訳の候補。 文案材料です: 空に跡が残っていないけれど、…振り返って見た情景描写、残っていてもかまわなかった。 空に跡を残さずに、…残さないように意思を持ってやり遂げた情景描写。 ・跡が→何の跡も残さずに…残したくなかったことを強調。 私は飛びきっていた。…いた は状態の継続なので悪くはないが、切れ味がない。 私は飛びきったのだ。…とすれば、完遂した情感が出る。 私は飛びきった。…やり遂げた情感も出て、かつ簡潔です。無駄な語句がない。 ----------------------------------- ところで、このような解釈はありませんか? 過去形と完了形は、過ぎ去った一定の時間(帯)=日本語で あの時 とも表現。 「空になんの痕跡も残していないが、あのとき飛んだことが嬉しい」 英文用例: 「~,if the people had been cool-headed, ~」…もしあの時国民が冷静であれば、 「If I had won the lottery, ~」…もしあの時、宝くじが当たっていたら、 *gladは主たる動詞ですから積極的解釈と表現をしたいのですが。 いかがでしょうか。 日本語文なので 私 を省きました。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。補足させていただきました。もう一度ご指導いただければ嬉しく思います。よろしくお願いいたします。
補足
ご親切に教えていただきありがとうございます。タゴール氏はインド人でもしかして、英語もただの訳文に過ぎないかもしれませんね。私はこの詩を初めて知ったのは中国語文です。印象深かったです。はっきり何を言いたいのか言わないのはかえって人々を自由にいろいろ解釈ができるようにさせます。そういうことが好きです。 タゴール氏の詩の訳文として適切かどうか知りませんが、「天空不留痕迹,但我已飞过」という中国語が気に入った言葉です。その言葉を英語のニュアンスを参考しながら、日本語に訳してみたいと思います。 >空に跡を残さずに、飛びきった。 空に跡を残さずに、飛びきれた。 「飛びきった」と「飛びきれた」の違いを教えていただけないでしょうか。「飛びきれた」のほうがもっと達成感が強いのでしょうか。 >私は飛びきっていた。…いた は状態の継続なので悪くはないが、切れ味がない。 亡くなった人は心にずっと残してほしいという気持ちの現れだと思います。 「ている」にしたいです。 「た」にしたくありません。 でも、事実はもう「た」です。 ということで、「していた」にしました。 でも、やはり「た」にしたほうがすっきりします。 >「空になんの痕跡も残していないが、あのとき飛んだことが嬉しい」 個人の好みのことで申し訳ありませんが、今回は「嬉しい」という言葉をストレートに出したくありません。
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お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。乱筆ながら大変失礼いたしました。もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願い申し上げます。
補足
>英語は詳しくありませんが、I have had my flight は「飛ぶという状態が(終了ではなく)完了している」という意味に解釈して、「わたしはたしかに(すでに)飛んでいる」のように捉えたいと思います。 全体的には、 「航跡こそ残していないが、わたしはたしかに大空を飛んでいる!」と訳してみました。 最近、身内の者が亡くなりました。 それがきっかけに、タゴールのこの句のことを思い出しました。 いまはとても悲しいです。 死んだ人はもうこの世にはいません。 I leave no trace of wings in the airという部分にあたると思います。 でも、この句のことを思い出すと、一生懸命最後まで生きてきたんだ、それなりの人生も生きていたんだって思うようになり、心の悲しみが緩和されます。 元の英語文より、中国語訳のほうが好きです。 中国語訳は「空に跡が残っていないけれど、私がすでに飛びきっていた」のような感じです。 日本語が下手で、まだそのニュアンスを出すことができません。 「飛び切る」と「飛び通す」と「飛び尽くす」のそれぞれの意味を教えていただけないでしょうか。 「飛び切る」で「風を切って颯爽に最後まで飛んだ」という意味を表したいです。 最後までがんばって生きたという意味を表したいと思います。 「飛び去っていた」なら、むなしく世から消えたという意味でしょうか。 もともとは「飛び去っていた」にしていますが、むなしい感じがするので、変えました。 死んだ人とは同じ世でもう二度と会うことができなくなりました。 でも、確かに死んだ人はがんばってこの世を生きていたのようなニュアンス。 「飛過」の適切な日本語表現を探したいと思います。 「飛び過ごした」、「飛び過ぎた」とかあるでしょうか。 >3の記述もご参照の上、「空に跡は残っていなかったけれど」とすると自然になります。 「が」が不自然で「は」が自然の理由はよく理解できません。 「は」にした私なりの解釈は航跡は残っていないが、ほかの何かのものは残っているというニュアンスです。 あっているでしょうか >前者は「飛びきるという行為が早くも終わっていた」というニュアンスですが、後者は「飛びきるという行為に移行していた」といったニュアンスになると思います。 後者の場合、「それまでの状態から変化していること」に着目した表現であるように感じます。 すみません、これは良く理解できません。 わたしはただ「すでに」を書き言葉と、「もう」を「話し言葉」だと捉えています。 もっと深い両者の意味の違いが知りたいと思います。 いつも文章を整理しながら補足を書いていますが、今回整理はしていません。 たぶん混乱です。 このままの状態で補足させていただきました。 申し訳ありません。 わかりにくいところがありましたら、聞いてくださるようにお願いいたします。