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日本語→英語・ドイツ語など→日本語の詩の違い
原詩が日本語の詩があります。 それを海外で翻訳されて、英語・ドイツ語などになり、その国で歌われます。 その後、外国語に翻訳された詩を日本語にすると、原詩と二アンスが違ったり、 考え方が違ったり、見方・見ている方向が違ったりします。 アジア人と洋人との違いなのでしょうか。 たとえば、 日本だと、「○○して社会貢献したい」という内容が、 外国だと、「これから私が行うことは、後の世に莫大な富をもたらすことになるだろう」的な 表現になっていたりします。 人間性?お国柄? 何が違うのでしょうか? どうもアジア圏は世界の末席的な自虐思想で後ろ向きな感じがします。 確かに日本の位置は、東洋の隅っこですし、文明の吹きだまり的な位置ではありますが。
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- gldfish
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たまたま訳した人のセンスではないですか。 別言語の歌詞を作る場合、どうしても発音数が合わなくなったりしますから、「出来るだけオリジナルのニュアンスに忠実に歌詞を作る」というのはほぼ無理ですよね。「アルプス一万尺」"Yankee Doodle"や「蛍の光」"Auld Lang Syne"のように各国で全く違う内容の歌詞に作り換えられるということも珍しくないと思います。 あと、「アジア圏以外」と一言で言っても、例えばヨーロッパと米国では趣味嗜好がかなり違ったりしますよ。 まず、米国はヨーロッパ等に比べて「ビジネス主義・権力主義」等にはるかに抵抗感が少ない(好意的に受け取る)のは、言うまでもありません。一方ヨーロッパの多くの国では「ビジネス・権力」というのは「批判や軽蔑の対象」と言っていいと思います。 それから、ウジウジしみったれた歌詞や後ろ向きな歌詞や陰々滅々した歌詞なんて、英国なんかのアーティストであればたくさんありますよ。これも英国のお国柄かもしれませんが、勿論明るい歌詞もたくさんありますが。tax_sosさんが東アジア(ですよね?)の歌詞を「自虐思想で後ろ向き」と感じるのは、殆ど米国音楽としか比較していないからではないでしょうか。 まぁ確かに英国も日本と同じく「大陸の果ての島国」ではありますけど。 ただ、所謂日本の「演歌・歌謡曲」文化が出来上がったのは近代(戦中と戦後)以降で江戸時代以前には全く無かったジャンル・センスでしょうから、国の立地はあまり関係無いのではないかと思います。むしろ戦争・貧困といった世相が当時の日本の音楽にも影響していたのは感じられますが、それは日本人の普遍的なアイデンティティというよりもむしろその時代だけの世相。「演歌・歌謡曲」は今後どんどん消えていく存在・・・というかもう既に相当下火になってますよね。 あと「莫大な富をもたらす」という日本語訳ですが、それこそこれも元の外国語のニュアンスそのままとも限りませんね。「利益をもたらす」と訳したとしたら「社会貢献になる」とまぁ似たようなものですが、「富をもたらす」と訳したらどうしても金の印象しかない。・・・そういった違いもあるかもしれませんよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 例題は、私が即興で考えたもので実際にそういう詩があるわけではありません。 英国はかつて世界を席捲していた国ですよね。 日本で言うところの京都のようなところですね。 地域の呼び名からも察しが付くことでしょう。 確かに米国はハッピーエンドでなければならないらしいですね。 日本でバッドエンドの映画でも、米国に行けばハッピーエンドに書き換えられます。 中国ではなぜか最後に主人公が死ぬ、もしくは不幸になるような印象を受けます。 たまたまでしょうかね。