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源氏物語の翻訳について
- 『TALE OF GENJI』(帚木 The Broom-Tree)の翻訳について、訳の間違いや理解の難しい箇所に関して質問があります。
- 文中の表現や省略された部分において、意図が理解しづらい箇所があります。
- また、彫刻師の役割や彼らの作品への意図についても知りたいです。
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今晩は。威勢のいい春一番でしたね。花粉もさぞ大喜びで舞い飛んだことでしょう。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。自分の読書力の貧弱さを思い知らされます。 前回の補足ですが、 きわめて難しい「仮定法の代用」のshouldを一発で理解されたようで、やはり抜群の語学センスですね。(理解できる人は少ないと思います。)「It can be tested by anyone who should choose to try.」という例文はその通りで、とてもいい例文です。私もこれを、悪いクセですが、また丸暗記させてもらおうと思います。 1)『 The wood-carver can fashion whatever he will. Yet his products are but toys of the moment, to be glanced at in jest, not fashioned according to any precept or law. When times change, the carver too will change his style and make new trifles to hit the fancy of the passing day. 』 >木彫師は彼が作ろうとするものは何でも作ることができます。けれども彼の製品はしかし目下の玩具で、ふざけてちらっと見られるための、どんな指示もしくは決まりにも従って作り上げられてはいません。時代が変わる時、彫刻師も彼の様式を変え、そして日ごとの空想に合致するための新しいつまらない作品を作る でしょう・・・・・? ●but 以外は完璧です。 >he will・・・・「will」の後に「fashion」が省略されているのでしょうか? ●その通りです。 >Yet his products are but toys of the moment・・・「Yet」は 接続詞の「けれども」ですか?「but」が入っているのは何か意味があるのでしょうか? ●「Yet」は「けれども」です。but は only の意味です。また丸暗記方式で恐縮ですが、but は、1)しかし、2)ただ~だけ(=only)、3)~を除いて(= except for)の3つの基本的意味だあり、それはとりあえず覚えておく必要があります。 >of the moment・・・目下の?現在の?もう少しわかりやすい訳はありますか? ●ここは、正統の芸術と当世風のまがいものを比較しているところですので、「当世の、今風の」などが意訳としては考えられます。 >to be glanced at in jest,・・・to不定詞の形容詞的用法ですか? ●副詞的用法の「結果」が近いと思います。「しかし彼の作るものは、今風の玩物にすぎず、ただ一瞥を与えられるだけ」ということです。 to不定詞の形容詞的用法は直前に修飾する名詞が来なければならず、また、名詞と to の間にコンマが入れられることは決してありません。 >make new trifles to hit the fancy・・・・・ここの「hit」はうまくはまる訳がよくわからなかったのですが、「・・・に合う」「合致する」を選びました。 ●「hit」は suit という語義がありますので、「・・・に合う」「合致する」でぴったりだと思います。 >その場の思いつきなどで作品を作る彫刻師がいる、ということを言っているのでしょうか? ●the fancyであって his fancy ではないですので、当世風の好みに合わせて作るということだと思います。 2)『 But there is another kind of artist, who sets more soberly about his work, striving to give real beauty to the things which men actually use and to give to them the shapes which tradition has ordained. This maker of real things must not for a moment be confused with the carver of idle toys. 』 >しかしもう一つの種類の芸術家がいます。彼は彼の仕事に対してもっとまじめに(心を)向け、男たちが実際に使う物たちに本物の美しさを与えて、そして伝統が定めていた形たちをそれらに与える努力しています。本物たちのこの製作者は価値のない玩具の彫刻師と少しも一緒に混同されてはなりません・・・・・? ●完璧です。 >who sets more soberly about his work・・・・「set」はたくさん意味があって選びにくかったのですが<心・意思などを>(・・・に)向けるというのがあったのでそれを選びました。 ●set about が、~に取り掛かる、というイディオムです。しかし本義が「<心・意思などを>(・・・に)向ける」ですので、正しい訳になっています。 >striving to give real beauty to the things which men actually use and to give to them the shapes which tradition has ordained. について >striving・・・・「is striving」で進行形ですか?(there is ~の「is」) ●分詞構文です。「~に取り掛か【り】、…しようと努力する」の、日本語の連用形接続と似た働きです。 >to giveが2回出てきますが、「striving」にかかっているのでしょうか? ●おっしゃる通り、どちらも、strive to に繋がっています。 >to give to them the shapes ・・・「them」は「the things」? ●その通りです。 >彫刻師(木彫師)というのはこの時代それなりの職業だったのでしょうか? ●日本古代では、建築、彫刻ともに木が素材でしたので、彫刻師(木彫師)の大きな職業集団があったはずです。また今でこそ陶磁器大国である日本の古代・中世は、中国・韓国に比べ、(違う意味での「味」はありましたが)洗練からはほど遠く、食器なども、国産陶器ではなく、漆器が一般的だったでしょうから、調度品から日用品に至るまで、上層階級では木彫の洗練が求められたはずです。china には陶器、japan には漆器という意味がありますが、それがよく這般の事情を物語っています。(輪島や根来など、いいものは、もう抜かれることのないほどの、世界一の漆芸だと思います。) それにしても、当世風という流行とそれに対する批判は、現代とまったく同じで、「ちゃらい」ものが平安時代にも量産されていたのですね。 ************************* 《余談》またたくさん読まれましたね。「春琴抄」と「グリーブ家のバーバラの話」は、恋人が火傷で二目と見られない容貌になったときの異性の応接が逆になっているところに、谷崎の「意地っ張り」が垣間見えますね。ちょっと不自然な設定ですが、文章は見事だと思いました。 『春の雪』ようやく読み終えました。(遅いですね。)尼門跡寺院の威風がよく出ていました。(最初と最後に降る春の雪が趣深いです。)三島の言葉の豊かさにはいつも感心します。 尼門跡は、中世・近世を通じ、古典の写本制作が行われていたようで、『源氏物語』の筆写なども多く行われたはずで、高貴な筋に回覧されていたのでしょう。活版印刷以後に生を享けたわれわれは本当に幸せだと思います。 ********************** 脱線の本線(?)に戻りますと、久保田万太郎は、容貌は「粋」とはほど遠いように見えますが、彼の有名な俳句 湯豆腐や いのちの果ての 薄明かり などは、近代俳句の傑作といっていいのではないでしょうか。これは長年連れ添った愛人(粋筋の女性)が亡くなった悲しみの中から生れたものですが、湯豆腐が好きだった久保田万太郎最晩年の生活の中から生れた句です。下町の深い「粋」の伝統を感じますね。(つづく)
お礼
今晩は。花粉も満を持していたのでしょうね。 いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。 今まで紹介してくださった本の豊富さから大変な読書家でいらっしゃると思っておりますが。 前回の「仮定法の代用」のshouldについてですが、辞書を見てこれのことなのかなと 思っただけで、本当に理解したかと言えば怪しいので、ほめられると焦ります。 1)の「but」は「yet」と何かつながりがあるのかなとも考えたのですが、 ここは「only」の意味だったのですね。三つの基本の訳を覚えておくといいのですね。 「of the moment」で「目下の」という訳があったのですが、訳文にいれてみても あまりぴんとくる言葉ではありませんでした。「当世の、今風の」という訳が意味的に 合いますね。 「to be glanced at in jest」・・・ふざけてちらっと見られるための、見られるために、 とどっちにしようか迷った個所ですが、副詞的用法の結果に近いということですね。 訳は「ただ一瞥を与えられるだけ」となるのですね。 「ふざけてみられるだけの玩具」という解釈で形容詞的用法なのかと思ってしまいましたが 直前に修飾する名詞がないことと、名詞と to の間にコンマが入れられているので 形容詞的用法ではないのが理解できました。 「the fancy」は 「当世風の好みに合わせて作るということ」ですね。 「his fancy」と比較してみると意味合いが掴めますね。 2)の「set about 」はイディオムに気がつきませんでした。 辞書を見たら確かに「・・・に取りかかる」「着手する」「・・・を企てる」とありました。 「striving」は分詞構文なのですね。 彫刻師(木彫師)の詳しい説明をしてくださってありがとうございます。 「japan」 には漆器という意味があるんですね。初めて知りました。 「上層階級では木彫の洗練が求められたはず」というのはそうだと思います。 日本の漆芸は本当にすぐれていて洗練されていますね。 紫式部も「ちゃらい」ものには嘆いていたのかもしれませんね。 ******************************* 『春琴抄』は谷崎は自分ならこうする!という意地があったのかなとも思えますね。 美しい日本の言葉が鏤められていて淀み無い文章ですね。 『春の雪』も美しいと思います。あの語彙力はどうやって培ったのでしょうね。 『源氏物語』が現代に受けつがれてきたのも昔の人の「写本制作」のお陰ですね。 活版印刷以後に生まれてたくさんの本が読めるようになった幸せをあらためて感じます。 ******************************** 久保田万太郎の『 湯豆腐や いのちの果ての 薄明かり』ですが 実は紹介していただいた北見治一の『回想の文学座』の中で初めて知りました。 湯豆腐が好きだったのですね。長男にも先立たれるとありましたが淋しい晩年だったのですね。 下町生まれ、愛人の死などの背景を知ると句から深い「粋」が浮かび上がってきますね。 ******************************** 前回紹介してくださった菊池寛の『半自叙伝』、正宗白鳥 の『文壇的自叙伝』を読みました。 菊池寛は江口渙の『わが文学半生記』の中でも書かれていたのでイメージをさらに膨らませて 読むことができました。自分の体験をたくさん小説にしたのですね。(みんな読みたくなりました) 『無名作家の日記』は正宗白鳥も誉めてくれたみたいですね。 芥川龍之介とのエピソードなども興味深かったです。 学校を二度も退学になりながらも世に出る作家になれたのは助けてくれた人がいたお陰ですね。 正宗白鳥は「あの口の悪い」と前々回書かれていらっしゃいましたが、 それがわかりました。 『ところが世はさまざまで、私の暴評でさえ一方では歓迎されたのだ』 『三木氏も「自分で云いたくっても云えないことをあの男は云うから面白い」と云ったそうだ。』 と、ありましたが、口の悪さもプラスになることがあったようですね。 正宗が船に乗ったときの中で 『心の持ち様次第で幸不幸の分れ目は甚しいのである』 と書いていたところが心に残りました。 忌憚のない意見の中にも何か魅かれるものがありました。 (火曜日にまた投稿します)