- ベストアンサー
悟りには、ゴータマ・ブッダと同じ身体が必要か?
同じことを経験するには 同じ身体と同じ環境が必要ではないだろうか? つまり、悟りは無理か?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
それでは人の真似であり、自分の悟りになりません。 悟りや目覚めは苦しみを経験した後にくるものと思われますので、いっぱい経験して下さい。 ブッダはただ菩提樹の元で寝ているように見えますが、心の中は混沌として整理するために動きを止めたのでしょう。 一般人は、人から言われて始めて気づくことも多く、人とのつながりが脳細胞のような助けになっています。
その他の回答 (1)
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
この動画の中で語られています。URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM その時とは、『全てを諦めた時』です。この動画では脳卒中で、生死の境をさまよった時ですが、禅などでは、生きたまま『全てを諦めた時』です。 『自我』の力で生きている、と自我意識は思っています。此処が突き崩れた場合です。 自我意識は『自我意識単独では、何もする事が出来ません。』 自我意識単独で眠ろうとする場合では、眠る事が出来ません、この場合を不眠症といいます。 自我意識単独で『心の健康を図る場合があります。』この場合に心を病む、といいます。 自我意識単独で『自分の行動を自在にしよう』とする場合があります。ですが出来ません。この場合に神経症といいます。 自我意識単独で『身体の機能を健康にしよう』とする場合があります、出来ないと感じています。この場合に自律神経失調症といいます。 全ての障害と思っている事柄は『自我意識単独で、事を成し遂げようとしている現象です。』ですが出来ません、重要な事が抜けているからです。 それは『無意識の自分です。』動画に在るように『右脳の意識です。』右脳の意識は『無意識の自分』という意味です。 左脳の自我意識の機能だけでは、正常な人生は送れません。此処が分かる事を『釈迦は悟り』を通して教えています。 右脳の無い人がいない事から、その道は全ての人に開かれています。気が付くかそのまま苦しみ続けるのかの違いはあるかも知れませが?
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど。真似ですか。 本物を追求しても真似でしかない。 自分の悟りというのが興味深いですね。