難しい質問ですね・・・それが本当に解った人が有史以来何人いるのでしょう?
と言うことで 昔 寺などに篭ったことがあるのですが 私なりの勝手な解釈>足ることを知りながら全宇宙の発展を求める心ですかねぇ?
自分自身のおかれている環境状況に満足しながらも 自分以外の(自分も含めても良いのかもしれませんが)幸福と発展を追及していく事。
難しくて何を言っているのか解らないと思いますが 何も考えないのでは 何の発展も有りません、それでは悟りと諦めは同じになってしまいます(本人に取っては違ってもハタから見たら一緒)小乗仏教(今はこの呼び名は使ってはいけないそうですが)では自我の悟りがあるかもしれませんが大乗仏教では 多くの人を救えるのが真の仏教であるとしていますので 世の中の発展・幸福を考えなければならないということだと思います。
昔聴いた話に 二宮金次郎が私財をなげうって人々の為に潅漑事業をしたのを 褒め称えある人が「貴方は本当に欲の無い人だ」と言うと二宮は「私ほど強欲なものは居ない、なぜならば人は皆自分自身の幸福や利益を求める、しかし私はその人々全ての幸福や利益を求める、よって私は強欲なのだ」と 答えたそうです。
これこそが悟りを得た人の言葉だと思います。書きたい事は まだ有るのですが 後はきっちと仏教等を学んだ専門家の人に委ねます。
素人の勝手な解釈ですので あしからず・・・・
PS>『悟空』と言う言葉を仏教では聞いたことが無いのですが 孫悟空の悟空ですか?もしそうなら仙術を修行したにも拘らず悪いことばかりやる悟りの部分が まるで無い空であるという皮肉の意味ではないでしょうか? 間違っていたらごめんなさい。
お礼
ご回答ありがとう御座います 『足りたるを知る』近年、特に大事ですよね。 二宮金次郎さんのお言葉、、身に染みる思いです。貴重なお言葉感謝致します。 孫悟空の悟空は、玄奘三蔵が弟子にした時に与えた名前とされており、それ以前は斉天大聖、中国では一般に大聖と呼ばれます。故に『悟空』という名前に特別な意味があるのかな?と思っているのです。