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画文帯四仏四獣鏡は古墳時代の仏教徒が作った物?

5世紀頃の副葬品と言われていますが 日本で造られた物なのでしょうか? 3、4世紀以前の物は存在しないのでしょうか? それともこれは渡来品ですか?

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回答No.2

ここにある説明では、日本で製造したコピー品があるような説明になっています。 http://www.iida-museum.org/cgi-bin/bunkazai/weblib.cgi?mode=read&indx=&class=&word=%89%E6%95%B6%91%D1%8El%95%A7%8El%8Fb%8B%BE&cond=%91S%82%C4%82%CC%8F%F0%8C%8F%82%F0%8A%DC%82%DE&page=0&view=1 「本鏡と共通したものに河内国金剛輪寺伝来の一面(現京都国立博物館蔵)がある。本鏡は大和王権による配布鏡である可能性が強く、当地方の重要度を物語る資料といえる。」 http://www.museum.city.nagoya.jp/siryohokan03.html 「この故宮鏡は、大須二子山古墳、千葉県鶴巻塚(つるまきづか)古墳と岡山県王墓山(おうぼさん)古墳の、3面の画文帯仏獣鏡と同型の鏡の可能性が高い。同型の鏡というのは、もとになる1面の鏡から型取りして複数の鋳型(いがた)を作り、その各鋳型で鏡を鋳造する。もとが同じ鏡だから、文様や銘文、傷までそっくりな鏡ができる。」   コピーは、原型を使って作るので、原型ができた後で造られたことになり、   http://www.emuseum.jp/detail/101143?d_lang=ja&s_lang=ja&word=&class=10&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=1&num=5&mode=detail¢ury= 「文様や図像からみて、原鏡は4世紀頃に中国で製作されたと考えられる。しかし、日本出土品は、いずれも原鏡を粘土などに押しつけて鋳型を作り鋳造した踏返し鏡で、確認できる例は5~6世紀の古墳から出土しているので、その製作年代は5世紀以降に下ると考えられる。」   また、模様から考えて、道教、神仙思想、仏教の混淆したもので中国の当時の宗教事情を反映していて、原型を造ったヒトは、いわゆる仏教専門の信者や仏教専門の帰依者などではないでしょう。   日本では、王権あるいは有力部族が地方勢力を勢力下にしたときに、権力・権威の証し・ステータスシンボルとして配布したもので、いわゆる宗教とは関係がないと考えても良いと思います。 中国や朝鮮からまだ経典がきて、専門の僧が宗教儀式を行うようなことは、この時代の日本にはなかったでしょう。 中国、朝鮮から高度な技術や品物と技術者、有力者が日本にたくさん渡来しましたから、そうした人が自分の信仰や宗教的儀礼を持ってきたことはあるはずです。 日本への仏教の公の伝来は6世紀です。(上記の状況では、それ以前に、個人的に持ち込んだ道教、神仙思想、仏教はあったでしょう) 四獣鏡という名前からもわかるように、もともと、中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣で本来は仏教とは無関係で、後に中国に仏教が伝わったときに、それも取り込んで新たな中国式神仏混淆の宗教になったものです。 鏡を重視するのもそのためです。(仏教には関係ないです)

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質問者

お礼

回答ありがとうございました! 持ち込まれた物かコピーした物ですか。 4世紀以前に渡来人個人レベルで信仰して いた人が居たかもしれないという事ですね。 当時の大陸では混淆仏教道教が主流だった のですね。

その他の回答 (1)

  • maiko0318
  • ベストアンサー率21% (1483/6969)
回答No.1

その時代には仏教は日本に入ってきていないですから、違いますね。 渡来品なら仏教があった地方からということはあるかもです。 世界史はわかりませんので仏教の発生時期は不明です。

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