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江戸時代後期、町や村の仲間意識

他国者が地域の連帯感の強い宿場町や門前町で何らかの店を開業しようとした場合、何らかの制約がありましたか。 すんなりと受け入れてもらえたのですか。 「越後屋」「伊勢屋」「近江屋」というような屋号をよく見聞きしますから、よそ者を排除するようなことは少なかったのでは、と思っています。 逆に、まわりの人たちは皆親切だった、という事例でもよいです。 具体的な事例があれば教えて下さい。 城下町や江戸、京、大坂のような都会ではなく、小さな町で開業する場合です。 よろしくお願いします。

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  • tanuki4u
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回答No.2

日野商人のキモは、大名と同道した、つまり「鑑札」を与えるものが、連れて行ったという構造です。 日野の蒲生家が伊勢に移ったので、伊勢に移住した、会津に移ったので会津に移住した、そしてさらに宇都宮に蒲生家が移ったので宇都宮に移った。 新規に進出した北関東の日野出身者と日野や伊勢に残った血縁者・地縁者が連携したという話ですよね。 権力者による商人誘致は、新規城下町を作ったときに●●町というのをつくったように、江戸時代初期からよくあるはなし。蒲生家もそうです。 大宮町の例も 「寛永20年以降と考えられ,また,高野家と姻戚関係を結んでいたと,先に指摘したが,来任にあたっては高野家が仲介した可能悼も十分考えられる。」引用 というように、見ず知らずの外来者を受け入れたのではなく、姻戚関係を結んでおり、しかも飢饉により年貢払いができなくなった番馬の久左衛門の代わりにやってきています。つまり、縁戚者を代替者とし導入したのであって「よそ者が新規で」来たわけではありません。 江戸時代後期でも(人口増加が終わって、経済成長が止まる)各大名家では専売制の進行とともに、特殊なノウハウを持っている商人を呼び寄せています。 http://www.yamakataya.co.jp/company/history 鹿児島の山形屋さんとか。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答、誠にありがとうございます。 いろいろ想像するといくらでも疑問が湧いてきて、私もそれなりに調べるのですが、自分に都合のよい説だけ(よい部分だけ)を選ぶようになってしまいます。 そこで、異なる視点からのtanuku4uさんのご指摘は大変勉強になります。 いまさら“勉強”してもですが、話のタネになりますから。 鹿児島の山形屋のような例は探せばいっぱいあるのでしょうね。 現代でもまったくのよそ者が知らない土地で商売するのは困難ですから、まして土地に束縛された江戸時代ではさらに困難だったでしょう。 よく解りました。

その他の回答 (1)

  • tanuki4u
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回答No.1

他国者が地域の連帯感の強い宿場町や門前町で何らかの店を開業しようとした場合、何らかの制約がありましたか。 ↓ お上から鑑札を取得する必要がある。 しかも、当時の地方自治(?)は、名主という有力者の自治的な部分がありました。 ※ 江戸町奉行配下の役人が少人数でも治安維持ができたのは、そのおかげ。 既得権を持った人間が新規参入を許すことは少なかった。 ※ ちなみに 三越 三井の越後屋の三井さんは越後とは関係ない人。 http://www.daimeikensetsu.co.jp/ayumi.html http://moch.daishodai.ac.jp/floor/floor_guide02.html 鑑札がなければ、ナニもできない。 既得権保持者は、基本的に新規参入排除です。 http://ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/bitstream/10965/174/1/KMR_11_33.pdf 「江戸時代以降の三店魚問屋の特権制度であった魚問屋鑑札が廃止され」以上引用 経済発展がなされている大都市でも新規参入は難しい。 地方においては http://www.asa1.net/siseki-meguri/t32-zaigousyounin.html 在郷商人がメインです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「鑑札がなければ、ナニもできない。既得権保持者は、基本的に新規参入排除です。」ということは、よく解りました。 すると、なぜ近江屋、越後屋、伊勢屋のような屋号をもつ店が各地に数多くあるのだろうという疑問が湧いてきます。 すべてが明治以降に開業した店ばかりではないです。 いろんな制約やいやがらせがある中で、他国者は、何らかの手段で土地と店をもち、鑑札を受けとり、株仲間に入ったはずです。 調べてみますと、近江商人、中でも日野出身者の何人かは、北関東に出向いて、酒や味噌などの醸造業を営んでいます。 年貢となる米を原料とする酒造は、誰でも参入できる業種ではないです。 また、秩父郡大宮町には、他国者を受け入れるためのネットワークがあったようです。 このように調べてみようと思ったのも、私の想定とは反対意見の参考URLを示して下さったtanuki4uさんのご回答のお陰です。感謝します。 他国者が成功した事例の参考URLです。 北関東における近江日野商人と酒造業 http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/3358/1/KJ00004859568.pdf#search='%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%A4%A7%E5%BD%93%E7%95%AA%E5%AE%9A%E5%AE%BF' 秩父郡大宮町における他国商人の定着  https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/bitstream/2241/105393/1/%e6%ad%b4%e5%9c%b0_7-49.pdf  今、気になる疑問は、「伊勢屋」や「越後屋」は、ブランドネームではないか、という疑問です。 つまり、伊勢や越後の出身者でなくても、その屋号を名乗ったのではないかという疑問です。 おいおい調べてみるつもりです。

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