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江戸時代。「伊勢屋」「丹波屋」などの屋号。
伊勢商人の屋号は主に「伊勢屋」「丹波屋」などだそうです。 伊勢屋とするのは分かりますが「丹波屋」とか「越後屋」とするのはなぜですか。 屋号は自由に付けることができるので、何かちょっとした理由があったからという程度の話でしょうか。 では、伊勢出身以外の人が「伊勢屋」を名乗った店(宿を含む)はありますか。 他国の名を冠した屋号、例えば丹波の商人が自分の店を「越後屋」としたとき、何かトラブルことはないのですか。 よろしくお願いします。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>伊勢屋とするのは分かりますが「丹波屋」とか「越後屋」とするのはなぜですか。 例えば、菓子商などでは「丹波屋」などがありました。 これは、出身地が丹波であったり、「丹波栗」が有名なことから、丹波から栗を仕入れてお菓子を作っていたから、などと言う理由です。駿河国から茶を仕入れていたので「駿河屋」などもありますね。 基本的には、江戸では「講中」(こうちゅう・後の「株仲間」)というものが次第に発展していきました。これは、同じ職種の商人同士が集まり、統一した制度や価格などを話し合いで決めました。現在で言う、いわゆる「談合」または「カルテル」です。 こうした「講中」では、同じ商売では同じ商号を付けない。という「暗黙の了解」もあったのです。 とは言え、丹波屋などにしても、菓子商で付けられていても、団子屋でも丹波屋を名乗った例などもあります。 しかし、どちらも言い分があって、「お菓子と団子は違う」などと言うものでした。 また、同じ出身地で同業種で同じような商号をどうしても名乗りたい場合は、例えば、先に「伊勢屋」と名乗っていた方に対して、後からの方は「伊勢屋三郎平」などとチョコット手を加えて、同じ商号ではない。と言い張る場合もありました。 もっとも、現代のように「商標権」はなく、あくまでも「暗黙の了解」であったので、特にイザコザは起きませんでした。 講中で集まった時などは、「伊勢屋さん」「三郎平さん」などと使い分けていたのだと思います。 江戸に限って言えば、同業種または異業種であっても、「伊勢屋」または「伊勢屋〇〇」が多いのは、毎年年末になると伊勢神宮の「御師」(おし)と呼ばれる神職の下位の者が一斉に江戸へ出て来て、来年の新しい「御札」や「暦」を庶民に無料で配って回りました。 そのため、江戸では「お伊勢参り」が盛んになり、伊勢神宮にあやかろうとして「伊勢屋」という商号が多かったのです。 さらに、この御師は現代で言えば伊勢神宮へのツアーコンダクターの役目もしており、「お伊勢参りをしたい」と相談すると、あらかじめ懇意にしている街道筋(宿場町)の旅篭などの斡旋もしてくれました。 従って、街道筋などでも旅篭や茶屋などでも、伊勢の出身かどうかに関係なく、「伊勢屋」を商号とする店が多くなったのです。 >>例えば丹波の商人が自分の店を「越後屋」としたとき、何かトラブルことはないのですか。 何らかの理由があって名乗ったのでしょうから、特にトラブルはありませんでした。 同業種の場合は、先にも述べた通り、後からの者は「越後屋〇〇」とか、「三井越後屋」などと少しばかり商号を変えていました。 また、永年勤続者だったりした場合は「暖簾分け」をすることができましたので、こうした人々は、例えば「越後屋」から暖簾分けをしてもらってからも「越後屋」を商号としました。講中で集まった時でも「ああ、あれは暖簾分けをしたのだから仕方がない」で済みました。 もっとも、現代でもそうですが、「本家〇〇」とか「宗家〇〇」と紛らわしい場合もありました。 「三井越後屋」については、先祖が武士で「越後守」を名乗っていたことから、伊勢の出身でありながら「三井越後屋」と名乗りました。
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- fujic-1990
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伊勢出身の「三井高利」が「越後屋(後の三越)」を屋号にしたのは、先祖が「越後守」だったからだそうです。 > 伊勢出身以外の人が「伊勢屋」を名乗った店 は、おそらくなかったと思います。 というのは、伊勢出身の商人は、江戸では非常に評判が悪かったからです。伊勢出身でも、伊勢と特別な関係もないのに、わざわざ評判の悪い「伊勢」を冠した名前を名乗るというのは、ま、常識的にはありませんから。 ちょっと辞典を引いてもらえば、今の時代の辞典でさえ「江戸に多きものは、伊勢屋稲荷に犬の糞」や「近江どろぼう伊勢乞食」などという、罵倒の言葉が載っているくらいですから。 つまり「伊勢屋」と名乗ること自体が、トラブルの種です。 ただ、そう言われる者どうしでは結束が強くなるのが人の世の常ですので、「伊勢屋」どうしでは、仲が良かったのではないかと思います。 事実、伊勢屋の評判が悪くなったのは、全伊勢屋が同じ経営方針を採用してゼニを貯めたせいですから、考え方は同じだったのでしょう。 また、伊勢屋や越後屋にかぎらず、屋号が同じだったせいでトラブルになったという話は読んだことがありません。 ということで、質問者さんが期待されるような商標権トラブルはなかったものと思います。 せいぜいが、同じ師匠から学んで独立した兄弟弟子が、ほんの近くで、同じ屋号(師匠の屋号)で同じものを商った場合に、例えば「本家伊勢屋」「宗家伊勢屋」みたいな争いをしたケースがいくつかあったくらいだと思います。 小田原のういろう(外郎)を商った店でもそんなトラブルがあったような・・・ (水戸黄門漫遊記)。
お礼
ご回答ありがとうございます。 > ……今の時代の辞典でさえ「江戸に多きものは、伊勢屋稲荷に犬の糞」や「近江どろぼう伊勢乞食」などという、罵倒の言葉が載っているくらいですから。 なるほど、そういうことですか! これらの言葉は知っていましたが、ただ単に、「江戸の町でよく目にするありふれたもの」くらいにしか解釈していませんでした。 諺や言い伝えは、深読みしないとダメですね。 「伊勢屋」も「稲荷」も同類で、「犬の糞」と同列に扱われたということですね。 >特別な関係もないのに、わざわざ評判の悪い「伊勢」を冠した名前を名乗るというのは、ま、常識的にはありませんから。 なるほど、よく分かりました。 私は逆に、「伊勢」はブランドネームだと思っていました。
- yymddttmm1
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一番有名な例では三越百貨店の前進である越後屋呉服店の創設者三井高利は伊勢松阪の出身ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なぜ伊勢松阪出身の三井高利が「越後屋」と名乗ったのかの疑問でしたが、#2のご回答で分かりました。
お礼
いつもご回答ありがとうございます。 具体例を示して易しく書いてくださるので、分かり易くって助かります。 江戸で「伊勢屋」が多いのは、一つには「暖簾分け」もあっただろうが、伊勢神宮の御師の働きも大きな理由の一つだったのですね。 なるほど、納得しました。 「丹波屋」「駿河屋」のように取り扱う商品の仕入先の国の名を店の名にした例もあったのですね。 なるほど、納得です。 >こうした「講中」では、同じ商売では同じ商号を付けない。という「暗黙の了解」もあったのです。 言われてみると全くそのとおりだと思います。