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源氏物語の翻訳について
- 『TALE OF GENJI』(帚木 The Broom-Tree)の翻訳について、わからない箇所や間違いを教えてください。
- A.Waleyの翻訳による源氏物語(帚木 The Broom-Tree)には、理解できない表現や誤訳がありますか?教えてください。
- 源氏物語のA.Waleyによる英訳(帚木 The Broom-Tree)において疑問や間違いを見つけた場合、教えていただきたいです。
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今晩は。日中晴れましたが、夕風は氷のようでした。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。読み残した点をいつも学ばせていただいております。 1) >今やすべては失われます。というのは彼女は絶えず支えを懇願していることはできないからです。そこで(彼女は)彼女が尼僧になるために病気をしたという 罪深い考えを彼女の心の中にそっと忍び込ませます。そして彼女が彼女の誓いを立てる前であったより、仏陀さえ今彼女はより不道徳である、と思うはずのこの罪を彼女はたびたび犯します。・・・・・・? ● for since のところと、do ill の部分に誤解がありますが、それ以外はきちんと捉えられています。 訳しますと、 今やすべてが崩れてしまう。というのも、彼女はいつもいつも仏道精進のための力を与えてくれるよう祈ることもできないので、尼になったのは間違いだったかという罪深い考えが心に忍び込み、それがしょっちゅう起こるものだから、仏様でさえ、彼女は出家以前よりも悪くなったのではないかと思うに違いないからである。 となります。 >all is lost・・・・すべて無駄になる、という意味ですか?(出家したことが無駄になるということですか?) ●その通りです。 >for since・・・・「for」は「というのは」で、「since」は「~だから」・・・? ● for の後には、文が来ます。その文が、since A, B. です。A=she … strength で、B=there … vows したがって、訳は、「というのは、AゆえにBということになるからです」となります。入り組んでいますね。 >strength・・・・「支え」?「たよりとなるもの」の意味ですか?(彼女は絶えず信心深く仏に身をささげる訳ではないと言っているのでしょうか?) ●「自分を仏の道に精進させる力、支え」だと思います。pray for の for は「獲得の for」で、「どうか~を与えて下さいと祈る」ことです。 >illは「病気」ですか?(尼僧になるために病気をしたという罪深い考え・・・の解釈がよくわかりません) ●do ill は「悪いことをする」というイディオムで、次の to 不定詞は「判断の根拠」(~するなんて)と考えればいいでしょう。 >does she commit this sin・・・・「does」は強調で使われているのでしょうか? ●so ~ that 構文の so を文頭に出していますので、「強い副詞を文頭に出すと倒置にする」というルールによる代動詞の does でことさら強調と取る必要はないと思います。ふつうの語順なら she commits this sin so often that even Buddha must think …. となります >this sin・・・・「この罪」とは罪深い考えを心の中に忍びこませて誤魔化す(?)ことですか? ●仏道に精進せず、世俗に戻りたいと思うことです。尼になるとき一応仮の受戒をしますので、その戒を破る罪です。 >Buddha must think・・・・「must」は当然の推量の(きっと)・・・のはずだ、の意味ですか? ●その通りです。一番いい訳だと思います。 2) 『 and she feels certain that these terrible thoughts are leading her soul to the blackest Hell. But if the karma of their past lives should chance to be strongly weighted against a parting, she will be found and captured before she has taken her final vows. 』 >そして彼女はこれらのひどい考えは、彼女の魂を最も真っ暗な地獄へ導いていることを確かに感じます。しかしもし万一彼らの過去の生活のカルマ(業)が引き離すことに反して、はからずも強く悩まされるなら、彼女は見出されそして彼女の最後の誓いを得る前に捕えられるでしょう。・・・・・? ●be strongly weighted against以外完璧です。 >be strongly weighted・・・・強く悩まされる? ●天秤を考えて、一方の皿に、A:「夫と別れ(parting)て仏門入り」、もう一方の皿にB:「還俗して復縁」を載せたところをイメージして下さい。Aに反対する業、すなわちBがずっと重ければ、ということになります。 >she will be found and captured~・・・・尼僧になる前に家に戻される、という意味でしょうか? ●そういうことですね。 >一度夫婦になって共に生活したという縁があったことに思いが断ち切れないでいるなら、尼僧になる前に夫とよりを戻せるという意味ですか? ●「思いが断ち切れない」=「前世の業が仏道精進を妨げる」という脈絡で、おっしゃる通りです。 3) 『 In such a case their life will be beyond endurance unless she be fully determined, come good or ill, this time to close her eyes to all that goes amiss. 』 >そのような場合に、彼らの生活は、悪くなるすべてに対して、彼女が彼女の目を閉じるこの折を十分に決心しない限り、忍耐を越えるでしょう。・・・・? >全体的な文の構造がわかりませんでした。 >unless she be fully determined, come good or ill, ~・・・ここの「come good or ill」をどう訳したらいいのかわからなかったので訳の中に入れていません。(良くか悪くなる?という訳ですか?) >「unless」が「come good or ill」までかかるのか?? (their life will be beyond endurance unless she be fully determined this time to close her eyes to all that goes amiss.という文の構造で訳しました。) ●難しい構造です。be determined toという語法を確実に自分のものにしているかどうかが試されます。come good or illは挿入句、this timeは副詞で、close her eyes を修飾します。to 不定詞の副詞は to の前に出すというのが伝統的な文法です。(今はこれがよく破られます。) come good or ill は、譲歩の文句で、whether good come(s) or ill come(s) 「良いことが来ようが悪いことが来ようが」を簡潔に言ったものです。rain or shine(雨が降ろうが晴れようが)、big or small(大きかろうが小さかろうが)など、似ています。また前回の do what she will とも少し似ていますね。 >this time to close her eyes・・・「time」は(繰り返される行為・出来事の)「折」「場合」の意味ですか? ●「今回は」という意味です。「今回は、うまくいかなかった(夫婦関係の)すべてに目をつむって」(元の鞘に納まる) >結婚生活で悪いことが起きる事に対して、黙認する決心がついていないならば忍耐を越えてしまうでしょう、という意味ですか? ●その通りです。今度はどんな不遇にも耐えて結婚生活を貫き通す覚悟ができていなければ、(やり直そうとする夫婦は)耐え難い苦しみを味わうことになるだろう、ということですね。 >尼僧になったらなったでまた悩み・・・でも元の結婚生活に戻ってもそれはそれでまた難しく・・・と、どこに救いがあるのだろうと思います。 ●まったくです。われわれ凡夫は、進学、就職、結婚という人生の節目で、いやになったら、ドロップアウト、離職、離婚という選択肢を持っているわけですが、よくよく考えて決断しないかぎり、ひどい後悔の臍を噛むことになります。一生を台無しにしてしまいかねないですね。 ************************* 《余談》『春の雪』の途中です。日本の大正時代の high society の話で、それだけでも興味深いです。 文学座のトリオに話を戻します。久保田万太郎は、浅草の袋物製造業の家の出身で典型的な下町人です。岩田と岸田という山の手人種との取り合わせが面白いですね。岩田が久保田を選んだ理由は分かりませんが、ともかく奏功したわけですね。 脱線しますが、下町出身の作家で有名なのが谷崎潤一郎(日本橋)と芥川龍之介(本所)です。私は最初にそれを知ったときは意外な気がしたものですが、今ではよく納得できます。文章の巧さ、都会的洗練、意地の強さなど、下町人の特徴です。辰野隆『忘れ得ぬ人々』、江口渙『わが文学半生記』など全体的に面白いですが、谷崎や芥川の印象的な逸話が記録されていますので、興味があればお読みください。(つづく)
お礼
今晩は。あまりの風の冷たさに凍えてしまいました。 いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。 いろんな方面のおもしろい本や作家を紹介してくださって、読みたい本だらけになっています。 正しい訳を教えてくださってありがとうございます。 自分で訳して意味をとっていたのと違っていたので、そういう意味だったのかと理解できました。 「since she cannot at every moment be praying for strength」 (彼女はいつもいつも仏道精進のための力を与えてくれるよう祈ることもできないので) このことが「尼になったのは間違いだったかという罪深い考え」になるわけですね。 (「祈ることができない」ということと「罪深い考え」は別物として切り離してしまっていました) since A, B=「AゆえにBということになるからです」、という文の構造になっているのですね。 「she cannot at every moment be praying for strength」・・・・ここは彼女がいつも何か頼りになるようなものに対して祈ることはできないのかと思いましたが、「仏道精進のための力を与えてくれるよう祈ることはできない」という意味になるのですね。 「獲得の for」に注目して、「どうか~を与えて下さいと祈る」と訳すとよかったのですね。 (桐壺の「call for music」、「strove for self-possision」で獲得の「for」を教えていただいたのを思い出しました) 「do ill 」が「悪いことをする」というイディオムだというのは全然わかりませんでした。 辞書で「ill」の訳を探したのですが、結局「病気」と訳してしまいました。 「she did ill to become a nun 」は「尼になったのは間違いだった」という訳になるのですね。 (「to不定詞」を尼になるために、と訳してしまったので更に意味がとれませんでした) 「判断の根拠」(~するなんて)というのが正しい訳し方ですね。 「so often does she commit this sin that even Buddha must think ~」 ここが「so ~ that 構文」というのは教えていただいて気付きました。語順に惑わされていました。 代動詞の「does」というのがわかりました。 「this sin」は「尼になったのは間違いだったかと思うような、仏道に精進せず、世俗に戻りたいと思うこと」ですね。 (she did ill to become a nun が正しく訳せなかったので解釈が間違っていました) 「be strongly weighted against a parting」・・・わかりやすい説明をしてくださってありがとうございます。天秤のイメージができました。「be strongly weighted against ~」は「強く」、ではなく「ずっと重ければ」という意味になるのですね。 「前世の業が仏道精進を妨げる」・・・カルマという言葉は耳にしたことはあったのですが、今回訳してみてイメージが湧きました。 3)はどう考えても文にならなくて困りました。 「be determined to」は「決心していた」となりますね。 (いつも出てきては間違ってしまい、教えていただいていて申し訳ありません。) そうなるとここは「決心していない限り」ですね。 全体の訳は「そのような場合に、良いことが来ようが悪いことが来ようが、今回は、うまくいかなかった(夫婦関係の)すべてに目をつむって、彼女が十分に決心していない限り、彼らの生活は忍耐を越えるでしょう」になりますか? 「this time」が「副詞」というのは訳していてわかりませんでした。(名詞にとっていました) 「come good or ill」のところは譲歩だったのですね。 「do what she will 」は「彼女が何をしても」でしたね。 昔は簡単にドロップアウトはできませんでしたね。 よくよく考えて決断して、最後に幸せだったと思える人生をその後送れるかどうかですね。 ****************************** 『春の雪』は大正時代の雅な世界に浸りました。 下町の久保田万太郎が入ってバランスがとれた感じかもしれませんね。 (みんな名字に「田」がつきますね) 谷崎潤一郎は『細雪』と『痴人の愛』を読んだことがあります。 芥川龍之介は読んだ短編は昔であまり覚えていません。 獅子文六の『山の手の子』では下町は「イキ」と表現していましたね。 下町人は「意地の強さ」があるのですね。 辰野隆の『忘れ得ぬ人々』、江口渙の『わが文学半生記』読んでみますね。 ********************************** 前回お話してくださった『1984年』と、合わせて『水晶の精神』を読みました。 確かに気持ちのよくなる話ではなかったですが、ジョージ・オーウェルという人の 炯眼は驚くばかりです。物事を感情で見ることなく、いかに正しく見るかということが できていた人だと思います。 個々に正しい判断が培われても、一旦全体主義の波が起こると個人は飲み込まれて いってしまう恐れがありますね。人間や社会の本質というものを教えられました。 (火曜日にまた投稿します)