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源氏物語翻訳の間違いと理解しづらい文について
- 『TALE OF GENJI』(帚木 The Broom-Tree)の翻訳について、わからない箇所や間違いがあるか教えてください。
- 1つ目の文では、少女の慎み深さと情熱の激しさについて明かされます。
- 2つ目の文では、完璧な仲間の印象や彼女の恋情について不適切な状況で公にすることについて言及されています。
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今晩は。寒いのにもやや飽きましたね。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。 1)『All this may seem to be the pretty shrinking of girlish modesty; but we may later find that what held her back was the very violence of her passions.』 >このことすべては、少女の慎み深さのかわいらしい委縮することのように思われるかもしれません。しかし私たちは後で、彼女を抑えたものは、まさに彼女の情熱の激しさだったということを見出す可能性があります。・・・・・? ●完璧だと思います。ここは、原文は「なよびかに女しと見れば、あまり情けにひきこめられて、とりなせば、あだめく」で、Waleyは、「しとやかで女性らしいと思うと、やたら交情にこだわりをもつ」と解釈しているようですが、何となく、ずれているようにも感じられます。原文の意味自体、難解ですね。 >shrinking・・・委縮すること?動名詞ですか? ●動名詞ですね。意味は「委縮すること」です。可愛らしい仕草ということで pretty を添えています。 >the very violence of her passions・・・・・・very+名詞で「まさに彼女の情熱の激しさ」・・・・? ●very+名詞の訳し方は、私の丸暗記ですと、「まさに、こそ、~そのもの」です。しかしまあ、強調構文だと思えば、it was the violence of her passions that held her back.と考え、「彼女を控えめにさせていたのは、ほかならぬ情熱の激しさだった(と後で分かる)」などと訳す方法もあります。慎み深い女性と思って契りを交わしてみると案に相違して現実の彼女は...ということだと思います。 2)『Or again, where all seems plain sailing, the perfect companion will turn out to be too impressionable and will upon the most inappropriate occasions display her affections in so ludicrous a way that we begin to wish ourselves rid of her.』 >あるいはまた、すべては明白な航海であるように思われる場所で、完璧な仲間は結局あまりに影響されやすいということがわかるでしょう、そして(完璧な仲間は)、私たち自身が彼女を取り去ることを私たちが願い始めるくらい、とても馬鹿げた方法で、最も不適切な機会が彼女の恋情をあらわにすることに、向かうでしょう。・・・? >訳し方が変なのだと思いますが、そのため内容を理解するのが難しいです。 ●難しいですね。古い英語(plain sailing)や凝った構文(wish ourselves rid of her)などで、頭をひねられたはずです。 >where all seems plain sailing, ・・・・もう少し具体的にいうとどんな場所のことを言っているのでしょうか? ● where はここでは関係副詞ではなく、接続詞として使われています。「~の場合には」という意味です。 plain sailing は、古風な言い方で「順調な航海」という意味です。 http://eow.alc.co.jp/search?q=plain+sailing&ref=sa >too impressionable・・・・・「too」は「あまりに」? ●その通りです。impressionable は「ものに感じやすい」です。 >文の後半will upon the most inappropriate~以下の意味がわかりません。。。 >and will upon~・・・・ここは「turn」が省略されているのでしょうか?「and will turn upon~」 >turn upon・・・・・「~に向かう」?(turn on~で「~を表す」、「~を示す」がありますが・・・) ●will (upon the most inappropriate occasions) display her affections で、will display と繋がっています。「きわめて不相応な場面で愛情を表明したりする」 >in so ludicrous a way that~・・・・・・in 以下が「so~that構文」になっていますが、「・・・・なくらい~」の訳し方でいいのでしょうか? ●ここは「たいへん~なので」のほうが勝っているでしょう。「きわめて不相応な場面で、たいへん馬鹿げた方法で愛情を表明したりするので、こんな女からは逃げ出したいと思うようになる」です。 >「so ludicrous a way」・・・これはどんなことを指して言っているのかがわかりません。 ●たとえば、男性の方が腹が減って散文的な気持ちでいるときに、恋の歌を詠んでよこすとかされると、男性は ludicrous だと感じます。 wish ourselves rid of her のところ、語法的に難しいです。wish + O + C の構文で、rid が rid(原形) の過去分詞です。したがって、we are rid of her(彼女を取り除かれる)ことを願う=彼女から逃げる、ということになります。 全体を訳しますと また一方で、なにもかも順風満帆の結婚生活に思える場合でも、その「完璧なる伴侶」が、あまりにものに感じやすく、とんでもないときに、興ざめのするような愛情表現をしたりして、ああこんな女だったら厄介払いしてしまいたい、などと思い始めたりすることがあるものです。 くらいでしょうか。 >少女の作為がわかってしまうと興ざめしてしまうでしょうか? ●ここらあたりは紫式部の男性心理の解剖の見事な例だと思うのですが、残念ながら Waley は端折って訳しています。「作為」というより、男の気持ちを察することができない女性に対して、男が感じる、疎ましさの感情です。 しかし『自由学校』の銀子ではないですが、女性に言わせれば、男も女の気持ちを察することが苦手ですね。紫式部の描写には、そういう男の一方的な女性批判に対する微笑が感じられます。 ************************* 《余談》sweetapplechocoさんの読書はスピードもさりながら、細部にも注意深いのですね。辺見が『エゴイスト』を読んでいたとはまったく知りませんでした。面白い本がありましたら逆に教えて頂きたいと思います。 文学座の話に戻ります。岩田豊雄、岸田国夫、久保田万太郎のトリオですが、岩田は横浜、岸田は「山の手」、久保田は「下町(浅草)」出身です。東京が「山の手」と「下町」に大きく分かれていることはご存知と思いますが、この時代の「山の手」人種は独特の性格を帯びていたようです。獅子文六に「山の手の子」という好エッセイがありますので、機会があったら読んでみて下さい。 明治維新で、それまで旗本屋敷があったような「山の手」に、薩長等の下級武士が移り住んできたわけです。(徳川勢は駿府に退きました。)一世は田舎侍まるだしですので、当時ちゃきちゃきの江戸っ子を以て任じていた「下町」の人たちは彼らを「浅葱裏」とか称して蔑んだと言われています。しかし時代が進み、二世の時代になると、彼らは彼らなりに都会の水になれ、独特の気質を持つようになったのですね。「山の手の子」に出てくる水上瀧太郎や、この文学座の岸田国夫などその典型です。岸田国夫は劇作家で、向田邦子的な微妙な心理のやり取りに長けています。 岸田国夫の娘さんの1人が女優の岸田今日子で、彼女も最初は文学座にいました。(つづく)
お礼
こんにちは。今日は日差しが暖かいです。 いつも大変丁寧に回答をして下さってありがとうございます。 「なよびかに女しと見れば、あまり情けにひきこめられて、とりなせば、あだめく」の部分は いくつか現代訳を見てみましたが、微妙に解釈が違っているようでした。 紫式部はどう意図したのでしょうね。 「the pretty shrinking 」は(意味的に)可愛らしい仕草、ということですね。 訳文にすると「萎縮すること」という言葉がすっきりしていませんでした。 「what held her back was~」ここは強調構文と考えてもいいわけですね。 very+名詞の訳し方は、「まさに、こそ、~そのもの」ですね。 激しい情熱を持っていることは控えておいた方が好まれそうですが、後で驚かれてしまいますね。 2)はさっぱりわかりませんでした。 「where」は「場所」という考えしかありませんでしたが、 辞書を見てみたら《状況の副詞節を導いて》・・・・する場合には、と載っていました。 『Where ignorance is bliss,’tis folly to be wise.』(:PROGRESSIVE) 接続詞の「where」というのは《場所の副詞節を導く》用法以外ほとんど馴染みがなかったです。 「plain sailing」というのは 「順調な航海」なんですね。 (サイトのご紹介ありがとうございます) 辞書をあらためて引いてみたら「plain」の意味で(古)じゃま物のない、 とあったのでこの意味に近いのかなと思いました。 「will upon the most inappropriate occasions display ~」は will display~とつながるのですね。そもそもここが間違っていました。 「so ludicrous a way that we begin to wish ourselves rid of her」の so~that構文は「たいへん~なので・・・」の訳の方ですね。 「~表明したりするので、逃げ出したいと思うようになる」 「so ludicrous a way」(大変馬鹿げた方法)の具体例を示してくださって 理解できました。相手の状況を読んでいないということですね。 「wish ourselves rid of her」は「rid」が過去分詞だということは 気がつきませんでした。「彼女から逃げる」と意訳するのですね。 「companion」は「伴侶」ですね。 正しい訳を教えてくださってありがとうございます。 こういう内容のことは今でもありますね。 すぐれた作品というのは自分と反対の性(女性なら男性、男性なら女性)の心理も 的確に描写できることですね。 羽根田に言わせると『男は、概論が好きで、女は、各論を得意とするのかな』ということですが。 紫式部は男性のことも俯瞰して見ている感じですね。 ******************************* いつも細部に注意して読めているわけではないです。。。 まだまだご紹介できるほど本も読んでいません。 (今は紹介していただいた本や有島武郎、獅子文六などなど読んでいます) 岩田豊雄、岸田国夫、久保田万太郎は近い場所の出身なんですね。 獅子文六の「父の乳」を読んだ時に「山の手」と「下町」の描写があったと思います。 (獅子の通っていた老松小学校に下町の庶民の子供たちが通っていて 獅子の気質(もともとは山手風)の中に下町風というものを身につけたのが その小学校だったということ。) 「山の手の子」、読んでみますね。 「浅葱裏」というのは(江戸っ子のいきとは反対で、見える表地だけ豪華に見えるが、 実際は粗末な服を着ている野暮な田舎侍の意味ですね。:ウィキペディア) 水上瀧太郎も小説家、評論家、劇作家ですね。 岸田今日子は存じていましたが、父親の岸田国夫のことは初めて知りました。 向田邦子は家族間における個々の心理描写を書くのが上手い作家というイメージです。 岸田今日子はたくさんの作品に出演していますが、文学座にいたのですね。 *********************** 前回紹介して下さった『エゴイスト』(朱牟田夏雄訳)読みました。 すごい本でした。 もちろん原文は目にしていませんが、これを訳すのは相当な労力と知恵が必要だったのではと 思いました。こういう本があるということに感動しました。 ジョージ・メレディスの格言にもたくさん触れることができました。 (一つ、一つ上げきれないぐらいです) 第49章「リチシアとサー・ウィロビー」における「小鬼」の描写が圧巻でした。 『一つの対象をじっと思いつめて、どうしてもそれを手に入れずにはおかぬという 人間に、小鬼らは住みつく。そういう人間が目に見えぬものと話をかわし、 また驚くほどの錯乱を見せるのが、彼らの奇癖として人目を引くのだ』 の個所が喜劇をよく表していると思いました。 まさに一級品だと思います。 ****************** ところで前回のお礼のところで「先見の目」と書いてしまいましたが「先見の明」の 誤りです。あと、「弱冠」は女性には使えない言葉でした。失礼致しました。 火曜日にまた投稿します。