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源氏物語の翻訳について
- 織姫と牽牛の話で、頭中将は馬頭に彼女が針仕事に少し下手でも気にしなかったことを伝える。
- 馬頭は高い生まれの女性とも会ったことがあり、彼女の詩歌の技術や話術に魅了される。
- この時代の人々も『源氏物語』について話しており、親近感を感じる。
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今晩は。朝晩寒い日が続きますね。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。Waley も、こんなに綿密に読んでもらえるなんて果報者ですね。 1)『 ”The Weaving-lady and the Herd boy,” said, To no Chujo, ”enjoy a love that is eternal. Had she but resembled the Divine Seamstress in this, you would not, I think, have minded her being a little less skilful with her needle. I wonder that with this rare creature in mind you pronounce the world to be so blank a place.” 』 >「織姫と牽牛は」頭中将は言いました。「永遠である恋人を持っています。もし彼女がこれに対してただの神のお針子にすぎないようであったとしたら、あな た(馬頭)は、私(頭中将)は思います、彼女の針仕事に関して、彼女が少しより少なく上手であることをいやに思わなかったであろう、ということを。私は心 の中にこの稀な創造物を持って、あなたが世間はとても空虚な場所であるということを宣言するのを不思議に思います。」・・・・・? ●難しい英文です。 a love that is eternalは、「永遠の愛」ですね。an eternal love の凝った言い方です。 >in this・・・・・「this」は 「a love that is eternal」ですか? ●その通りです。 >a little less skilful・・・・ここがうまく言葉にできませんでした。 ●確かにless がつくと訳しにくいですね。「腕(技術)がやや劣る」くらいでしょうか。 >「Had she but resembled the Divine Seamstress in this, you would not have minded her being a little less skilful with her needle.」 ここの全体的な意味がよくわかりません。神のお針子にすぎないようであったら、いやに思わなかった??条件節の「神のお針子」が帰結節にどういう意味でつながっているのかわかりません。(お針子では気に留めることはない、という意味合いでしょうか?) ● まず知っておくべきは、前に出てきた人物を他の表現で言い換えることが英語は好きだということです。この場合、The Weaving-lady=the Divine Seamstressなのです。 次は、but が、only の意味であるのは確かなのですが、「ただの神のお針子にすぎない」なら、resembled but the Divine Seamstressになるはずです。Had she but resembled=if she had only resembled ですので、訳は、「もし彼女が~に似ていさえすれば」となります。 訳しますと「もし彼女がこの永遠の愛ということにおいて、織女に似ていさえすれば、針の(縫物の)技術が少しばかり織女に劣っていたとしてもあなたは気にしなかったことでしょう」となります。 >I wonder that with this rare creature in mind~・・・・ここは馬頭の心に類い稀な彼女がいるなら世間は空虚な場所ではないでしょう?と頭中将が言いたかったのでしょうか? ●this rare creature=指噛みの女、ですね。馬頭は、世の中にはこれという女はいないものだという主張でした。頭中将は、そんなに君のことを心に掛けてくれ、しかも裁縫は織女なみの女性に好かれていたということであれば、この世は(いい女性という点で)空虚だなどとあなたがおっしゃったのはどうも解せませんね、と言っているわけです。 2)『 ”Listen,”replied Uma no Kami. ”About the same time there was another lady whom I used to visit. She was of higher birth than the first; her skill in poetry, cursive writing, and lute-playing, her readiness of hand and tongue were all marked enough to show that she was not a woman of trivial nature; and this indeed was allowed by those who knew her.』 >「聞いてください」と馬頭が答えました。「ほぼ同じ頃、私が以前よく訪れていたもう一人の女性がいました。彼女は最初の女性より高い生まれの女性でし た。彼女の詩歌の技術、草書、そして琴を演奏すること、彼女の技量と話の用意のできていることは、すべて彼女が些細な人ではなかったということを示すのに 十分に特色づけられていました。そしてこれは実に彼女を知っていたそれらの人たちによって認められました。・・・? ●marked は「特色づけられていました」というより、「際立った」の意味だと思います。後は完璧です。 >tongue・・・・話? ●口八丁、能弁、弁が立つ、という意味です。 >this indeed was・・・「this」はher skill in poetry, cursive writing~woman of trivial natureですか? ●その通りです。正確に捉えられました。 >allow・・・認める?「allow」と「admit」との違いは何かありますか? ●ほぼ同義と考えていいと思います。admit を使うと、表立って「ああそうだね」と言う感じがしますが、allow だと暗黙の了解のようなニュアンスがあり、そこが違いといえば違いです。 >この時代の人も「織姫と牽牛」のことを話していたのだな、と親近感が湧きました。 ●本当ですね。天体や季節の風物詩などは、伝統が途切れず流れている感じですね。娯楽の少なかった時代、天体は眺めるのが楽しいものでもあったと思います。月が昇るのやら沈むのやら、よく眺めていることが、文学に窺えますね。「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」なんて、今ではしませんね。尼門跡で、茄子に穴を開けてその穴から名月を眺めるという儀式について読んだことがあります。まことに雅なことですね。 ********************* 《余談》先週末、東北の被災地に行ってきました。3つの市をみただけですが、瓦礫がかなり撤去され、復興のための下準備が整いつつあるという印象でした。とにかく現場に行ってみるということは大事なことだと思います。 ダブリンでは、6月16日は「ブルームズ・デイ(Bloom’s Day)」といって、世界中からジョイス愛好家が集まってくる日になっています。私もダブリンはあちこち歩いて、ジョイスゆかりの地を見ました。それが作品を読む上でかなり役立つように思います。(つづく)
お礼
今晩は。3月の気温に逆戻りですね。 いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。 (正しく読まないとWaleyにがっかりされそうです。綿密に教えてくださってありがとうございます。) 「a love 」は冠詞がついているので「愛する人」「恋人」の意味になるのかと 思いましたが、「a love that is eternal」で「永遠の愛」ですね。 「an eternal love 」というのはどこかで聞いた事があります。 「a little less skilful」・・・これをどのように言葉で表現したらいいのかわかりませんでした。そもそもこれは肯定的に言っているものなのか、否定的に言っているものなのか考えてしまい・・・ (lessだけどa littleがついているから・・・どういう言葉がぴったりくるのだろう、など) 「腕(技術)がやや劣る」というとそれほど否定的でもない感じでしょうか。(劣っているのには違いないのですが) 「前に出てきた人物を他の表現で言い換えることが英語は好き」なのですね。 「the Divine Seamstress」・・・神のお針子というのは何を意味して言っているのか全然気づいていませんでした。「The Weaving-lady」織女のことなのですね。 「Had she but resembled the Divine Seamstress 」の「but」は「resembled」に かかっていますね。(お針子の単語の印象が強くてそちらに「but」をかけてしまいました。) 「もし彼女が~に似ていさえすれば」ですね。 ここの訳は「but」を「the Divine Seamstress 」につけてしまったせいで 言っている意味がよくわからなくなってしまいました。 「~her being a little less skilful with her needle.」 ここは「針の(縫物の)技術が少しばかり織女に劣っていた【としても】」、という風に 仮定法的な文章で訳せるということですね。(「being」が譲歩の分詞構文?) (前回彼女は織女に劣らないぐらい針仕事の技術がある、という内容でしたので 「織女よりやや劣る」(少しより少なく上手である)と断定して訳すのはどうなのかなと悩んだのですが、「劣っていたとしても」、と訳すと前回の文とのかみ合いで自然な感じがします) 本当になぜ馬頭は「心に掛けてくれ、しかも裁縫は織女なみの女性に好かれていた」のに満足していなかったのでしょうね。(矢張り「嫉妬」がネックになっていたということでしょうか) 1)は難しかったです。 (仮定法のところで)こういうことを言おうとしているのだろうな、という漠然としたものがそもそも掴めませんでした。 「marked」は過去形の動詞ではなく、形容詞の「際立った」ですね。 「tongue」は「弁が立つ」などの意味ですね。 「allow」は許す、「admit」は認める、というイメージがあったのですが、 どちらも同義なのですね。(若干の違いがありますね) 「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」は芭蕉の句ですね。 (確かに月を見ながら池の周りを歩いていたら夜が明けてしまった、なんていうことは今はないですね。) 「茄子に穴を開けてその穴から名月を眺める」というのは何か特別な意味があるのでしょうか。 (高貴な方の儀式は趣きがありますね) 空に月があって本当によかったですね。 どれほど人々の心を情緒豊かにしたことかと思います。 ******************************** 東北の被災地に行かれたのですね。 復興に向けて頑張っていらっしゃる方々には本当に頭が下がります。 そうですね。百聞は一見にしかずですね。 現場がすべてですね。 「ユリシーズ」は1904年の6月16日の物語ですね。 「ブルームズ・デイ(Bloom’s Day)」という名前もついているのですね。 ダブリンをあちこち歩かれたのですね。街の様子を詳しくご存じなのですね。 今「セイレン」を読んでいます。 (解説の本も一緒に読んでいます。この解説の本の中にダブリンの写真がいろいろ載っています。) 建物がしっかりしていて大きな街の印象です。 本の中ではダブリンの街の中のことがたくさん描かれていますね。 登場人物たちがいろんな場所を歩きまわっていますが、地図と照らし合わせて想像を巡らせています。 実際の場所を思い浮かべながら読めるとしたらとても楽しいことですね。 しかし、この本はどこまで読んだら「読んだ」と表現できるのかわかりません。 一生かかっても把握しきれないと思われます。(笑) (金曜日にまた投稿します)