• ベストアンサー

哲学を人に教える事は可能ですか?

哲学とは人に教える事が出来るのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • manuke22
  • ベストアンサー率54% (19/35)
回答No.7

哲学史を教えることはできます。既存の哲学者の思想や術語を解説することもできますし、その術語を誤って使っているときは、その誤りを指摘するという仕方で教えることもできます。 しかし哲学することを教えることはできません。むしろ教える必要がありません。教えなくても哲学するからです。哲学すること、それは考えることであり、考えることは教えられなくてもできる。じゃあ考えることのすべてが哲学することなのか? あなたがそう思ったなら、それはすでに哲学を開始しています。そこから継続するかはわかりませんが。 たしかに考えることのすべてが哲学することではないでしょう。明日は誰と遊ぼうかなぁと考えることが哲学だとは私は思いません。ではなぜそうした考えが哲学ではないと私は考えるのか。まさにこのような省察が哲学することに伴うと私は見なしているからです。 以上の私の記述を私が評価するに、哲学することには省察と、それにくわえて問うことが関わると私は考えているようです。問うことに関して言うならば、たとえばある学生が遅刻して、先生から「遅刻の理由を言え」と言われたとします。そして理由を言ったら「言い訳するな」と叱られたとします。この学生は、理由を言ったのになぜ叱られなきゃならんのかとイライラするでしょう。そのとき、何が理由で何が言い訳なのか、言い訳と理由の違いはなにかと考えはじめたなら、私はそれを哲学しはじめた見なします。 それで問題は、この問うことを教えることができるかですが、それはやはり無理な話でしょう。 また、問うことで哲学を開始してもそこから自作の物語を作ってそれで満足するなら、それは自然現象を説明するために神話を作るようなものであり、そういう物語は空想と大差ないです。物語を考えるのもたしかに考えることの一種ですが、そこではもはや省察がないわけですから。 まとめ。哲学することは教えられないし、人はきっかけがあれば哲学しはじめるので教えようとする必要もない。しかし、哲学することは物語の創作へけっこうな頻度でなってしまうので、それも含めてたえず省察しなければならない。 余談。過去の哲学者はすでに自分と同じ問題を扱っていることがあるので参考にしたほうがよい。「徳は教えることができるか」を扱った岩波文庫の『メノン』をオススメします。

その他の回答 (6)

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.6

学問ですから教えられます。 哲学は、考え方の枠組みについての考え方を研究する分野です。 どんな人が、どんな背景で、どんな考え方を研究したのか、というものを教え、そこから、自分なりの思考の枠組みを研究するという流れになります。 ということで、今まで作られた思考の枠組みを整理して教えることができます。

回答No.5

教えると言うことは,本来不可能です。 相手が自分の意見に賛同し,理解を示してくれれば成功ですが。 哲学に限らず,何学においても言えることでしょう。 学ぶ側に教わろうという気持ちがなければ,何の意味も無い骨折り損です。

回答No.4

哲学の本質は、見えているこの現実そのものの“見え方”を 変える事であり、そうした新たな考えに興味がなく、自己顕示 のためのツールとして哲学をしている人に、「哲学(より認識を 深めるという意味で)を教える」事は困難です。 その人にとって、異なる考えは「教える」事ではなく、「攻撃」と して捉えられるからです。 (むしろ他人からの言葉による指摘ではない、体験の中で学ぶ 事はあるでしょうが)

回答No.3

哲学を学ぼうとする人、哲学を実践しようとする人を支援することは可能と思います。 哲学、哲学すること、に関して興味の無い人に教えるのは難しいでしょう。 何学でも同じですが、特に哲学は自ら考えることを必要としているので、外部からの強要は困難と思います。

noname#183245
noname#183245
回答No.2

可能ですよ。 ただ、哲学って人によっていろいろですからね。 「これが正しいんじゃあ」って押しつけるのは 良くないですね。 「ぼくはこう考えるけど、参考にしてね。 あなたにとって、ピンと来る考えがもてるといいね」 って感じで教えてあげるといいと思います。

回答No.1

"哲学的"な物事の中で、人に教えられる物事が"哲学"だと思います。 人に教えられない物事は学問ではないのではないでしょうか。 物事に名前をつけ、それが説明可能(定義済み)であれば、その物事を人に教えることができます。 人に教えるとは、教える者の頭の中の物事を教えられる相手の頭の中にコピーするのではなく、 教えられる相手の頭の中で、その物事があらたに創造されることです。 教えられた人間の頭の中で創造された物事が、教えた人間の頭にある物事と一致しているかどうか、 それを確かめるためには、物事に名前が付いていて定義済みでなければいけません。