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便宜的な哲学
例えば、自衛のためなら仕方がない、家族を守るためなら仕方ない、など 誰しもそう思うと思います。 果たしてそれだけでいいのかと戒めを込めて考えると、その先にはどのような考えがありますでしょうか?
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noname#194996
回答No.2
>その先にはどのような考えがありますでしょうか 先賢はいろんな示唆をわれわれに与えています。たとえば 「汝の敵を愛せよ」 「右の頬を打たれたら 左の頬を出せ」 「身を捨ててこそ 浮かばれる」 「善人は救われる なら悪人が救われないはずはない」等々 難解な思想ですが。
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- hekiyu
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回答No.3
”その先にはどのような考えがありますでしょうか? ” ↑ 仕方が無い、といはどういうことか、善悪とは何か、 自衛とななにか、家族とは守るとか・・・。 そういうことになると思いますどうでしょう。 そして、行き着く先は、善悪など、所詮人間が 自分の都合で勝手に作ったもの、という結論に至る と思います。
質問者
お礼
結論というのは、精神的な割りきりに過ぎないと思います。 なぜ善悪の問題に集約されるのかが不明です。 仕方がない、自衛とは、家族を守るとは、について深く考えることはありますでしょうけれど ご回答誠にありがとうございました。
- cowstep
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回答No.1
「自衛のためなら仕方がない、家族を守るためなら仕方ない」というのは、基本的には自己(或いは身内)中心的発想です。世界平和や人類愛というもっと大きな視点から見れば、考え方が変わる筈です。お互いに助け合ったり、譲り合ったりして、競争社会から共存社会へ向かうでしょう。
質問者
お礼
助け合いがあってこそ自分があると私は思います。 ただし、だから他人を傷つける者は排除、というのは便利な考えだと思います。 ご回答誠にありがとうございました。
お礼
親鸞の考え方には共感できる点が多くあります。 これを機に色々と調べてみようと思います。 ご回答誠にありがとうございました。