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哲学

画像にある、キェルケゴールの語ったことについて、深く理解したいので具体例や皆様の考え・意見などを交えて説明していただけませんか? よろしくおねがいします

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  • 5555www
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回答No.2

人間には、一人ひとり、存在の価値があるのです。ただ、その「生まれて来ただけでいい、ただひたすらに生きているだけでいい」ということが理解できないのです。 これには、「自分の力では抑えきれない、どうしようもない性、あるいは欲」みたいなものがあって、「存在意義」とか「善悪」とかを常に、他のものと比べながら、その意識の中で、「私が悪いわけじゃない」とか、自分をかばいながら、なおかつ、「私は生きていてもいいのだろうか???」と悩みつつ、自己を確立できず、「ついつい他人と比較してしまう」ことの悩ましさを表現しているのだと思います。

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  • Nakay702
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回答No.1

>画像にある、キェルケゴールの語ったことについて、深く理解したいので具体例や皆様の考え・意見などを交えて説明していただけませんか? ⇒以下のとおりお答えします。 まず、添付資料の文章は何からの引用でしょうか。それと、前後の文章や見出しは何でしょうか。また、この質問をなさった背景も教えていただければ助かります。 とりあえず、画像の全文はこうありますね。 ①「反省が勢力を増して無感動を育成していくにつれて、妬みはますます危険なものとなる。それは妬みが自分自身の意義を自覚するだけの性格をもっていないからで…妬みは無性格性の原理として成り立つことになり、自分は無きに等しいものだといって譲歩しておいてたえず自分をかばいながら、その実なんとかみじめな境遇から抜け出して、ひとかどのものにこっそりのしあがろうとする。無性格の妬みは、否定しながらも実は自分も傑出したものを認めているのだということが自分でわからず、むしろそれを引きずりおろし、それをけなして、それで実際にそれをもはや傑出したものでなくしてしまったつもりでいるのである。」 ②「妬みが定着すると水平化の現象となる。 情熱的な時代が励ましたり、引き上げたり突き落としたり、高めたり低めたりするのに反し、情熱のない反省的な時代はそれと逆のことをする、それは首を絞めたり足を引っぱったりする。それは水平化する。」 以上ですが、これはおそらくキルケゴール著作の翻訳、「あれかこれか」・「おそれとおののき」・「不安の概念」・「哲学的断片」・「死に至る病」などのうちの、いずれか1編からの引用と思われますが、上述のとおり、これだけではほとんど分かりませんので、以下の記述は多分に推測と想像が交じります。 1.この文をつらつら眺めると、キルケゴールが如何に自己という「主体的存在」を強く意識していたか、ということがうかがえます。「妬みが自分自身の意義を自覚するだけの性格をもっていない」、「自分は無きに等しいものだといって譲歩しておいてたえず自分をかばい」、「みじめな境遇から抜け出して、ひとかどのものにこっそりのしあがろうとする」などのくだりにそのことが如実に表れているように思います。 2.「否定しながらも実は自分も傑出したものを認めているのだということが自分でわからず、それを引きずりおろし、それをけなして」、「それをもはや傑出したものでなくしてしまったつもりでいる」という、鬱屈したような心的態度によって、キルケゴールが「人間存在の有限性や不条理」を感じ、それを自分の身をもって引受けている、という印象もうかがえるような気がしました。 3.「妬みが定着すると水平化の現象となる。情熱的な時代が励ましたり、引き上げたり突き落としたり、高めたり低めたりするのに反し、情熱のない反省的な時代はそれと逆のことをする、それは首を絞めたり足を引っぱったりする。それは水平化する」のくだりを読むと、「人間存在が全体的状況にある」こと、すなわち、「私は私と私の環境である」(オルテガ)や「世界内存在」(ハイデッガー)の標語にも似た、キルケゴールの認識が表現されていると見ることもできるかも知れません。 以上の3つの事項、1.主体的存在の意識。2.人間存在の有限性・偶然性・不条理の引受。3.人間の世界内存在(全体的状況にあること)に関する認識は、他ならぬ「実存主義」の特徴そのものなのです。それもそのはず、キルケゴールは、「実存主義の嚆矢(こうし)」とされています。そして、実存主義の第4の特徴は、常に「今の自分でなくなろうとすること(脱自)」への願望で、哲学用語で言う「投企」、すなわち現在の桎梏(しっこく)から逃れて、ex-sistere「そこから出ていく」ことを志すことです。まさに、キルケゴールはそういう憧憬(どうけい)を強く抱いていた、実存主義の先導者でありました。

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