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2月24日(火)の日経「大機小機――マルクス再考」を読んだ方
経済を学んでいる学生です。 アダム・スミス、リカード、ミル、マルクスらの経済学の概要については、一応は勉強した(講義を聞いた)のですが、このコラムの意味が理解できませんでした。 特に最後から2つめの段落、「『効用か費用か』で現実を論ずることは限界に近づいている」という部分がさっぱりわかりません。 初心者にもわかるように説明していただけないでしょうか。アホな質問ですみません。
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おそらくポイントはここでしょう。参考URLより引用 「カネボウの化粧品事業の営業キャッシュフローは 年間約三百億円。買収額が約四千五百億円だとすると 営業キャッシュフローの十五倍にあたる。 企業価値の算定には、時価総額と純負債の合計額を使うことが多い。 日本の化粧品会社の時価総額と純負債の合計額は 営業キャッシュフローの平均八倍程度。 それと比べるとキャッシュフローの十五倍という買収額は 割高にも見えるが、全体の四割強の二千億円程度が 商標権への評価だったようだ。 花王はカネボウブランドに二千億円の価値を認めた計算になる。 」 >「株価で会社の価値が決まる」というのは、市場のつけた値段、 >他人の欲望のつけた値段が価値だ、っていうような >プラグマティズムだと解釈していいんでしょうか? アムラー氏は、「・・・アメリカニズムの思考原理は・・・」と 言ってますから、おそらくいいんでしょう。 >だったら、カネボウのブランドの価値を市場が評価し、 >それによって会社の価値が決まることと「効用説」は >矛盾しないんじゃないか・・・って思ってしまうんですけど。 ここで評価しているのは、市場ではないんです。(おそらく) 花王です。花王は、効用に基づいて価値を算出しているのではなく、 カネボウというブランドに価値を見出している、 ということでしょうか。
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私も新聞に載せるような文章かなあ、と思います。 私の解釈が正しいとした上で、 1.限界革命をある程度理解していないといけないこと。 2.「花王はカネボウブランドに二千億円の価値を認めた」 という情報を知っていないといけないのに、 文中では明記されていない(強調されていない)こと。 3.イントロは意外性があってよかったのにその後の つながりが不明なこと。(ほんとにそういう意味で日銀幹部は言ったの?) 4.具体例に乏しい。 「資本主義が抱える矛盾を会社は巧みな『いいとこ取り』で乗り切ってきた。」 私からすると、なんのことがさっぱり分からない。 以上、まとめると欄の大きさのわりにテーマがでかすぎます。 日経は、科学欄なども他紙と比べ異常に詳しかったりするので いいんですけどね・・・ まあ、それが売りだと思えばいいんじゃないでしょうか。
お礼
そうですよね! 1はともかく、2~4は筆者の責任ですね。 それとカネボウ事件の意味をどう捉えるか、この筆者の見方はバランスとれてるのかも気になります。 何度も丁寧にご回答くださりありがとうございました。 とても勉強になりました。
私もその文を読んでさっぱり分からず流してしまったのですが、 今日改めて読み直してみました。 「『効用か費用か』で現実を論ずることは限界に近づいている」 という文の一歩前に「平均的個人」という単語が見えるかと思いますが、 おそらくrepresentative agentにあたる概念だと思われます。 経済学では、個人の多様性は理論的に扱いにくいので、 個人の平均的な特性を仮定して効用理論のようなものが 作られたと私は理解しています。 しかし、日亜化学、カネボウに見られるように 平均的な個人の積み上げではなく、一握りの天才たちのような 偏差値(受験勉強の意味でなく、あくまで統計用語; 平均からずれている、ぐらいの意味)の高い人間によって、 あるいはブランド価値のようなよく分からない価値 (少なくとも興味ない人間にはさっぱり分からない価値) によって、現代の会社の価値は決まってしまいます。 という意味で「限界に近付いている」のではないでしょうか? 私は経済学を勉強しているとは言っても ゲ-ム論なので限界革命うんぬんはあまり知りませんが 参考にしてください。
お礼
ご回答どうもありがとうございます。なんだかだいぶわかってきた気がします。 >経済学では、個人の多様性は理論的に扱いにくいので、 >個人の平均的な特性を仮定して効用理論のようなものが >作られたと私は理解しています。 そうかー、そうですよね。費用説も、その点では同じですよね。 ・・・で、すっかりわかった気分になりかけたんですが、 >ブランド論や発明論に仮託して問われているのは、会社のエンジンを支えてきた平均的な人間の価値そのものである。 の部分と、 >株価が会社を評価するという効用説 の関係がやっぱりわかりません。 「株価で会社の価値が決まる」というのは、市場のつけた値段、他人の欲望のつけた値段が価値だ、っていうようなプラグマティズムだと解釈していいんでしょうか? だったら、カネボウのブランドの価値を市場が評価し、それによって会社の価値が決まることと「効用説」は矛盾しないんじゃないか・・・って思ってしまうんですけど。 つまり、カネボウのケースは、伝統的な効用説が「限界に近づいている」ことを意味するわけじゃなくて、逆に効用説でしか会社の価値を計れない時代がきた、ってことを意味するような気もするんですが・・・。う~~~ん (><* せっかく丁寧に解説してくださったのに、のみこみが悪くてすいません。 もしお暇があったら、もうちょっと教えてください。 ご回答どうもありがとうございました。m(_ _)m
お礼
再度のご回答、ありがとうございます。 >ここで評価しているのは、市場ではないんです。(おそらく) >花王です。 なるほどー。そう考えれば納得です。 この筆者が言いたいことはわかった気がします。 どうもありがとうございました。勉強になりました。 ======================= 以下は僕の勝手なひとりごとです。 このコラム、悪文じゃないのかなぁ? それとも、日経の平均的読者は、このくらいすぐにわかるのかなー。僕が不勉強なだけなのか? それと、花王がカネボウのブランドを高額で買収しようとしたのも、消費者が「花王が作った花王ブランドの化粧品」よりも「花王が作ったカネボウブランドの化粧品」を高く買う(と見込める)からなんだし。 ブランドの価値っていうのは「他人に欲望を起こさせる力、たくさん金を払わせる力」とも言えるわけだし。 としたら、ブランドに巨額の値段がついたことは、効用説を補強する証拠になっても、否定する証拠にはならないんじゃぁ? 「必要だから欲しい」のも「欲しい気がするから欲しい」のも、どっちも需要なんだし。うーん。。。