- 締切済み
精神修行が出来る宗教施設
先日、人生のかかった公務員試験の最終面接で油断と慢心から失敗し、ラストチャンスを棒に降りました。 父は「自分が甘かったのだから仕方がない。人生にはこれからもチャンスもピンチもまだまだある。その時に目の前のことに全力で取り組めるよう、日々自己啓発、研鑽し、気持ちを強く持って自分を奮い立たせて生きることがこの経験を生かすことだ」 と言いました。 私はもっともだと思いましたが、生来甘い性格で、そこそこまで行くもののここ一番の踏ん張りがきかず、いろいろなチャンスを生かせず30を超えてしまいました。 理屈は分かっても、今までの体験から自分がそうなれるイメージがわかないのです。 気持ちを切り替え、今後の人生を考え再スタートを切るために何かきっかけが欲しいと思っています。 今は会社員ですので、GWや年末年始、土日祝に行えるところを紹介していただけないでしょうか。 出来れば、そこで行われている修行の特色、どんな人向けなのかも教えていただければ幸いです。 ちなみに私の実家は神道ですが、宗派等は問いません。外国の宗教でも良いです。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
みんなの回答
- bougainvillea
- ベストアンサー率21% (185/853)
なにか宗教をということで、No1さんが挙げている坐禅などは 日本人にもしっくり来ていいと思います。 インドやアフリカに旅行という意見もあり、わたしも色々と海外旅行しましたが 確かに刺激は受けるけど、そこで得た体験は日本に戻ったときに宙に浮いてしまい 現実にブレイクダウンさせていくのがかなり難しいと思います。 いざという時の胆力や情熱は、個人の生まれつきの気質によるところもあり 変えるのはなかなか難しいと思います。 なにか劇的なきっかけで人生仕切り直しというよりも、坐禅などをしながら ゆるゆると日の当たる方向に向かっていくイメージのほうが幸せになれるように 思います。 座禅の紹介をしてるHPをあげておきます http://www.sotozen-net.or.jp/searchsystem_jiin http://www.rinnou.net/cont_02/zen_info.html http://syukubo.com/spot/02zazen.html
- moto_koukousei
- ベストアンサー率54% (331/606)
No8さんの回答と、その回答へのお礼しか読んでいませんが、これを読むと次のような気がします。 あっているかどうかはわかりませんが、もしかすると参考になるかもしれないので、回答にします。 1 自分の外部に、自分を変えてくれる力を期待している。 2 自分の中から、自分を支え駆動するものを感じ取ろうとする気持ちが伺えない。 厳しいと評判の部活に身を投じる、離島やインド旅行、宗教修行の体験、教導師などの教えなど、外部に自己変革のきっかけを求めようとしたり、没頭できるものを提供してもらうことを期待しておられます。 まだ若ければ、そうしたことで成功する可能性もあるのかもしれませんが、30歳を過ぎた今からでどの程度可能性があるのか、かなり疑問だと思います。 特に、これまでもそうした希望や期待を持って厳しいという評判のグループに入ったり、自分探し?のようなことをやってみたが、うまくいかなかったのであれば、行く場所やグループを変えても、修行や教導師を探して廻っても、可能性は高くないでしょう。 中学、高校生、あるいは大学生くらいまでならば、あることをずーっと続けることで、「没頭できる」ようになることがかなりの可能性で可能です。 もう、生理的にきつい年齢になっていると思います。 この生理的な困難さを乗り越えたいのであれば、即効的なものを期待するのは止めた方が良いと思います。 医薬品や電気・磁気の刺激で何とかなるものでもないです。 新しく運動能力を獲得し急速に能力を伸ばすのは、20歳を超えていると大変です。 脳や精神のあり方を変えるには肉体の能力以上に適期があり、その時期より早すぎても、遅すぎても大変です。言語能力、数の観念などだけでなく、自我の獲得や自立自存、自己存在感を得るのも、時期を逃すととても大変です。 今からそれを獲得しようとされているのですから、他人やよその場所、新たな修行や経験に期待することは止めないいけないと思います。 「今後の人生を、今までの人生とは違うようにするため、再スタートを切る」のであれば、新たなことを自分の外部に求めるのは、ねらっていく方向や方法が違っています。 お父様が「自分を奮い立たせて」とおっしゃっているのを大事にするのが良いのではないでしょうか。 自分を奮い立たせるのを他人からけしかけられたり、褒美や賞、賞賛、カネや名声をターゲットにするのではダメでしょう。 叱咤激励やアドバイスを他人がいつもしてくれるのではないです。何かをやっても失敗したり、他人の方がもっと勝っているので自分は褒美や賞、賞賛、カネや名声を得られないということは山ほどあります。 どのような状況にあっても、成果が得られなくても、自分を駆動できるのは自分だけです。自分を奮い立たせることも必要かもしれませんし、わざわざ奮い立たせなくても当然のことのように練習、技能向上、知識獲得、思考深化に精励できる状態を自然にするのは、自分の精神や脳の生理的なものです。 自己訓練で自分の精神や脳の生理が変化していくのを期待するしかないと思います。 自己変革したいと考え、強く希望しているのであれば、「自分がそうなれるイメージが湧かなくても、描けなくても」、『日々自己啓発、研鑽、学習をただただ、繰り返す。止めてはいけない、続けなくては、今までの自分を造り直すことはできない』と自分を自分で励ますことが大事です。 宗教施設や修行場、評判のよい指導者を捜していることを止めることから始めるのが良いでしょう。
- foosun
- ベストアンサー率12% (13/104)
お返事ありがとうございます。 まず質問への回答ですが、たしかに実体験からのアドバイスです。私はこの前インドに行きました。日本よりも貧しく、小学生が家計の一端を担っているような国ですが、一番驚いたのは下を向いている人間が誰もいない事です。物乞いでさえ絶対に下を向きません。つまりインドには、「落ち込む」という概念が(ほぼ)無いのです。 そういう風景を見れば自然と私の方もパワーをもらうわけですが、 要は「好奇心」が大切なのではないでしょうか。インドには何があるんだろうか。アフリカには何があるんだろうか。好奇心が人を行動に向かわせます。 モテる人は、はたからは努力しているように見えなくても、おそらく恋愛に対する強い好奇心(あるいは執着心)があるでしょう。お金を稼ぐ人しかり。一流大学に行く人しかり。プロ野球選手になる人しかり。海外旅行する人しかり。ギターが趣味な人しかり。 行動は好奇心から生まれます。JANDIJANさんが海外旅行に好奇心を持てないのは仕方のない事だし、実際私だって楽器を弾くことの楽しさは全くわかりません。何に好奇心を持つかは人それぞれでしょう。つまり成功の定義も人それぞれなのです。これが、世の中にある自己啓発書が役に立たない理由です。(ただ、思い切って知らない事にチャレンジすることがない人は「つまらない」人間と思われますよ。話のネタがないですからね。成功した人の特徴のひとつは会話のネタが豊富なことです。そういう意味でも海外旅行はオススメです。) JANDIJANが本当に欲しいものは、成功ではなく没頭できる何かではないですか?であれば、自分の好きな、あるいは自分のこだわる事柄に没頭するのがいいと思いますよ。 JANDIJANさんの言う成功とは何を指すのでしょうか?もしお金持ちやモテ男になる事だったら、そういった事にある程度の執着心がなくてはいけませんよ。多分JANDIJANさんはそういう事に執着心無いですよね。あったらとっくに女つくってビジネスマンになってるはずですもん。ちなみに私は、モテたいですが女の人の機嫌をとるのが面倒なので結局モテないですw
- foosun
- ベストアンサー率12% (13/104)
効果的なのは多分、アフリカあたりの、極貧で、紛争やレイプや強盗ばかりの国を見てくる事じゃないでしょうか? 日本みたいなぬるま湯の環境で死ぬ気になれる方がおかしいと私は思います。 そしてずばり言いますが、もし今私が言ったアドバイスを聞いて、「(アフリカだって?めんどくさいなあ。まあでもとりあえず回答ありがとうございますって言っとくか)」などと考えているのであれば、あなたは死ぬまで、思い切った行動ができないつまらない人で終わるのだと思います。死ぬまでです。 言葉が汚いですが、JANDIJANさんを罵倒する意図はないので、あしからずorz
お礼
何か実体験に基づいたアドバイスに思えますが、foosunさんはそのような経験をお持ちなのですか? そういう経験をして、具体的にどんなことを感じて、どう変わりました? と、言う前に行ってこいということなのでしょうけど、まずは聞かせてください。 私はこの日本で生まれ育ったというバックボーンを持っていてなおかつ強い人と同じように強くなりたいのですが、アフリカに行く必要性がピンときませんでした。すみません。 もうこの時点で「思い切った行動が出来ない」んでしょうけど、「よーし!じゃあ、アフリカ行ってみるか!」って思えなかったのが正直なところです。 私は思い切った行動が出来る人になりたいわけではなく、甘くない強い人になりたいと思っています。それがどうしても自分の中でアフリカと結びつきませんでした。 適当に「分かりました」といってやらないということをしないため、思うところを書きました。 罵倒されているなどとは、思いません。 とりあえずではなく、アドバイスをいただいてありがたいと思っています。
ほぼ予想通り(それも悪い方)の反応が返って来たので、正直、驚いてますわい。 変化の切っ掛けが欲しいとの事ですが、そもそもこの発想が間違っているとは思いませんか?刺激は誰かから「与えてもらう」ものではなくて、自分で「作るもの」ですよ。私はその依存心を指摘したつもりだったんですけどね。 経済的な自立と、精神的な自立は、必ずしもイコールではありません。だから退路を断って、背水の陣で臨んでみればいい。それでダメなら、諦めもつくと言ったんです。私は一貫して精神面の事について言っているんですよ。無職かどうかなんて、最初から気にしてないです。 ってか「自分の思い描く最高の結果が出せない」って何?人生が思った通りにならないなんて、ごく普通にある事でしょうが。思い通りに事が運ばないだけでヘコたれるとか、何かタメ息出てくるんですけど。 私にとって予想外だったのは、父上の「ボランティアでも趣味のサークルでも宗教でもなんでもいい」と言うセリフね。あまりに大雑把なアドバイスなので、ちょっとビビりました。 あと、あなたを奮起させるのは私の役目じゃありません。誰かに何かをしてもらうという発想をまずやめましょう。
お礼
あなたはたくさんの方に回答しているようなので、いくつか読んでみましたが、すごく良いことをたくさん書いていますね。 おそらく私の質問が宗教をお手軽な道具と見ているように写り、それが真摯に仏教に取り組んできたあなたには気に食わなかったのでしょう。 また、そんな私の書き込みに嫌悪を覚えて、私の全体像に関しても良くないイメージがあなたのなかで膨らんでしまったのですね。 あなたがその思いをこの場でぶつけられたことは私のとってもあなたにとっても不幸でした。 あなたのアドバイスに心救われた方も多いと推察します。その方が後々にIDづてにこういうのを見て悲しむことがないようにして欲しいと思いました。
補足
所詮、あなたはどこの誰かは誰にもわかりません。ネットですから。 しかし、あなたが誰で、何を言ったのか、していたのか、あなたは、あなた自身に対してそれを誤魔化すことはできませんよ。 そして上記のようなあなたの心のあり方以前の問題として、ここへの書き込みはルールがあるのです。 「質問に答える」ということです。 あなたはそれをクリア出来ていませんね。何しにここへ来たのですか。板違いという奴ですよ。 ここがどういうサイトか、理解できていますか? 一つ目の回答ではあなたの意図は不確定な部分がありましたが、今は既に疑いの余地がないでしょう。 真面目に回答してくださっている他の回答者様にも失礼です。こういうことはやめてくださいね。
挫折を経験して宗教に縋るとか、絵に書いた様な転落っぷりですな。そのザマでは、どんな修行をしても無意味でしょうよ。人生ってな、地道な努力が一番物を言うんです。そしてあなたは精神的自立の道を、地道に歩んでこなかった。自分で自分を甘やかしてしまった。 本気で人生を考え再スタートを切りたいと思うなら、修行で遅れを取り返そうとか、ネットで質問して答えを得ようと考えるのではなく、先ず、あなたの父上に相談するべきじゃありませんか? 私に言わせれば、これだけ立派な言葉をかけてくれる父上に恵まれているなんて、羨ましくて仕方ないですよ。だって私なんか、幼い頃に両親から可愛がられた憶えがないし、事あるごとに「お前なんか要らない、出てけ」とか「親の言う通りにしない子は、思い知らせるしかない」とか言われて、シカトされたりメシを抜かれたりで、散々な目に遭わされてますからね。 泥水を啜ってでも生きていこうと思えば、何とかなるものです。たかが就職コケたくらいで、泣き言ぬかさないで下さいよ。こちとらアスファルトに蒔かれた種みたいなもんでしたけど、とりあえず何とかなってんですから。 まあ、ホントに自分に活を入れたいなら、親元から離れてドン底の生活を味わってみる事ですな。退路を断って、背水の陣で臨んでみればいい。それでダメなら、諦めもつくでしょ。
補足
私の数行の書き込みを読んで、なぜ私の全てを看破したかのような気になられたのですか? しかもちゃんと読んでもいないようですね。 私は公務員試験には落ちましたが、普通に職を持って現在も働いています。 就職ではなく転職が上手くいかなかったのです。 人並みには生活していますよ。 これは元の質問書き込みからはわからないことですが、8年前に実家も出ています。 悩みは「全ての物事が上手くいかない」のではなく「自分の思い描く最高の結果が出せない」というところです。 私と父の関係も、あなたが思っているほど単純なものではないですよ。 世間の皆様と同じ程度に色々あります。 父にはこの書き込みと並行して、色々と相談(というか雑談)しています。 その中で、「ボランティアでも趣味のサークルでも宗教でもなんでもいいから、行動して変わるきっかけを作れ」とアドバイスされたので実行してみようと思ったのです。 色々あってもやはり父であり、人生の一番身近な先輩なので、まずは言うとおりやってみようと思ったわけです。 別な方へのお礼でも言いましたが、その修行自体で何かを会得しようとは思っていません。 きっかけを作りたいのです。 もしかしたら、煽るような物言いで私を奮起させようとしてくれたのかもしれませんが。
- nToTn
- ベストアンサー率28% (28/99)
上九一色村の第10サティアンはいかが? 軽い気持ちで変な宗教に近づくと墓穴を掘りますよ。 冗談はさておき、「内観」はいかがでしょうか? ネットで検索すると沢山ヒットします。 内観について下記、あるサイトの文章を引用します。 『内観』は、今まで私たちが周囲の人々に『お世話になったこと』『お返しをしたこと』『迷惑をかけたこと』の三つを通して過去の自分を振り返ります。それによって、今、ある自分が客観的に見えてきます。 引用終わり。 変な宗教が、内観を信者集めのために利用していることも考えられますので、まず本を読んでみましょう。 アマゾンで探せば、何冊かヒットします。
お礼
ありがとうございます。 変な宗教には引っかかりたくないので(特に今弱っているときなので危険性が高い)、ここで質問させていただきました。 内観というのは全くの初耳でした。 調べてみます。
- Him-hymn
- ベストアンサー率66% (3489/5257)
キリスト教の世界を多少知っている者として、おすすめできるものを紹介いたします。 1.カトリックの黙想の家 カトリック、黙想 で検索して捜してください。 ★私自身は黙想の家の経験がありませんが、黙想の家で黙想をなさった方のお話を聞いたことがあります。聖書のことばを聞いて、ただただ黙想するのです。そうすると人間が変るのだそうです。ルールはいたって簡単。ひとこともしゃべらない時を過ごす。本来は、神との対話ですが、この黙想の時間を持つのには、指導者の力量が問われるとか。いかに黙想が重要かを知っている方が指導しないと、うまくいかないらしいのです(経験がないのに知っているような書き方をしてすみません)。きっと、黙想の家の解説などがあると思いますので参考になさって参加されることをおすすめいたします。 (ちなみに私はカトリックではなくプロテスタントですが) 2.キリスト教のボランティアに参加する ★他人のために何かをする、しかも、自分の利益を超えて何かをするという体験もまた、人の生き方を変えるきっかけになることがあります。ボランティアを私もいくつか経験してきましたが、キリスト教のボランティアとそうでないボランティアの間には違いを感じています(だからといってキリスト教のボランティアがみなよいと言っているのでもありません、そこは見極めが必要です)。 自分が誰かのために何かをしてあげるという気持ちではボランティアはできません(宗教の有無にかかわらず、ボランティアを真剣にやろうとすればみな感じることだと思います)。しかし、そこに神の前に無力な人間が神と人に使える人間として、社会に仕えるーーその精神にキリスト教の「愛」が根底にあるーーうまく説明できませんが、そういうものがあるのです。 キリスト教の世界を知らない人にとってわかりやすいのは、マザーテレサです。映画でもよいですし、本でもよいと思います。マザーテレサの映画を観たり、本を読んだりしてお考えになり、その上でキリスト教のボランティアを探してみるとよいと思います。YMCA, YWCAなどもありますし、葬儀のボランティア(機会があればクリスチャンを葬るキリスト教の葬儀をぜひご覧下さい)、盲人の方々のための朗読のボランティアなどもあると思います。 http://search.kirisuto.info/search/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2/ ↑このサイトを見つけました。どうでしょう? 3.小さくて大きな働き これも一種のボランティアかもしれませんが、里親になってみませんか? 土日や休日にどこかへ行くのではなく、ご自宅で手紙を書くということができ、また、毎月一定額を「里子」に捧げることができればできます。簡単なようで、これまた、自分の人生を考えるきっかけになると思います。 私も1990年から里親になって、何人も(子供が成長し18歳になると終るので、また新しい里子を支援します)の里親になってきました。今はフィリピンとドミニカ共和国の子供2人を支援しています。年に数回手紙が来ます。月に1人に26ドルを支払っています。クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントもしています(自分の好きな額ーー多額はだめですがーーできます)。 日本語の里親ならこちら http://www.childfund.or.jp/?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=google_cam →クリスチャンでなくても参加できます。 英語ができる人(私もこちらです)なら値段が安いこちらもあります http://www.compassion.com/ →クリスチャンでなくても参加できますが、報告書などの内容はクリスチャンであることが前提で書かれています。こちらに参加の場合、自分はクリスチャンではないということを子供に知らせて文通をなさるとよいでしょう。こどもからいろいろなことを学ぶことができます。貧しい、貧困の子供たち1人をあなたが援助するーーあなたもまた力を得ることができると思います。 私からのお願い;もし、里親になられるのでしたら、とにかくその子が大人になるまで続けてください。いつでも途中でやめることが可能ですが、やめることは、こどもにとってショックです。やめずに続けることで、いろいろなことを考えさせられます。 10年位前までの里子は、父親がいなくなってしまったという危機的な状況もありました。そういう子供にとって、里親は精神的なささえになります。里親からの手紙を胸に抱いて寝るこどもたちもいます。あなたの手紙はこどもの宝となります。 以上、3つほど紹介させていただきました。 ご参考になればと思います。
お礼
ありがとうございます。 黙想の家にさっそく問い合わせてみましたが、参加できる曜日等が合わないようです。 残念です。 電話にでられた方がおっしゃっていましたが、神父様が考えるきっかけを与えて下さる会のようですね。 人生相談ではないと。 まさに私の求めていたものだけに、すぐに参加できないのが残念です。 ボランティアや里親もいろいろ調べてみたいと思います。 里親は子供の将来に責任が発生するので、なかなかハードルが高いですが。
- Subaru_Hasegawa
- ベストアンサー率11% (106/937)
そんなカップラーメンみたいな即席の修行でどうにかなるほど、 貴方の人生は軽いのですか? そんなはずはないと思いますよ。 第一ラストチャンスなのに、油断と慢心するってのはどんな状態だったのかな? 普通なら綱渡り状態じゃないの? 気を緩められるところはないと思いますよ。 したがって宗教がどうとかいうのは、逃避か依存先を探すような物でしかない。 人生とは闘いの連続であり、現場での負けは現場で取り返すしかない。 よそ見をすると更なる負債を抱える事になるでしょう。ボクサーが試合中に よそ見をしたらどうなりますか? そんな感じです。 座禅や写経程度でどうにかなるならば、自殺する人間はいなくなります。 俺が今座禅したとしても、「腹減った」「(*´Д`)ハァハァ」こんな感じです。 考えが纏まるところまでは禅は有効ですが、それ以上ではありません。 どうしても宗教というならば、逆に、行ってはダメなところだけ記載しておきます。 ・何かをする度にお金を請求するところ。初回費ぐらいならば分かるが、 それ以上請求されるようなところは、はっきり言って怖い。 ・自己啓発関連---大した論理もないのに学術的に高尚そうに見せているだけ。 ・スピリチュアル、占い---これに向かうのは末期的な愚か者だけですな。 第一、宗教でも何でもない。 必要なのは、どんな宗教かは分からないが、何らかの宗教的行為、例えば祈りとか お勤め(勤行?)が有るところの方がいい。自分を変えるならば、生活に組み入れ なければいけない。ダイエットだって毎日きっちりしなければいけないですから。 最後に一つだけ。何に価値を見出すかは質問者自身だが、信頼に値する人間を 見つけましょう。これは宗教関係なく、人生において非常に重要な事です。
お礼
有難うございます。 その修行で何かを会得してしまおうなどと虫のいいことは考えていません。 きっかけが欲しいのです。 まさに日常と違う場所で「考えがまとまる」というのが求めているところです。 変な金儲けにはひっかからないよう、アドバスを参考にさせていただきます。
座禅&写経。 各地方に禅寺があるので、検索すれば出てきます。座禅堂で宿泊し、座禅を組み、帰宅前の数時間で般若心経を写経して、御印を押してもらって持ち帰ります。 日程で言えば一泊二日です。料金はお寺により異なりますので各寺院に問い合わせてください。
お礼
ありがとうございます。 良いきっかけを得るため、探してみます。
お礼
たびたび有難うございます。 やはりご自身の実体験に基づいたアドバイスだったんですね。 宗教に触れてみるということ以外にも、何かそういうことをやってみようと思います。 私はどうしても興味の方向が外には向かず自分の内面世界ばかりに行ってしまうようで、何か外へのアプローチを行うときでも、動機は好奇心ではなく自己の内面を見つめ直すとか、そういう理由だった気がします。 学生時代に厳しいと評判の部活に入ったり、社会人になってからの長期休暇の時に沖縄の離島を貧乏旅行して回ったり。 私はそれなりの(あくまでそれなりのですが)、競争集団の中で生きてきたので、やはり「社会的成功」とか「金銭的な豊かさ」とかは気になります。 でも、ご指摘のとおり、本心ではないんですね。周囲から与えられた価値観なので、アジャスト出来ず、しかしドロップアウトも出来ず大変苦しい思いをしましたし、今でも完全に抜け出られていません。 それらが得られていないし、無くてもいいやと完全には思えない、けっこう苦しい状態です。 ご指摘のとおり「どんどん出世して、サクセスしてやる」ってことに執着してたら公務員に転職しようとはしないです。 女性にも、もてたいという欲はありますが、そのためにどんどん努力できるほどの執着はないですね。 だから、女性の機嫌をとるようなマメさもありません。同じですね 笑 私が本当に欲しいもの、そうです。没頭できる何かです。厳しい部活、本当に命懸けでやってて、楽しかったです。 自分が没頭したいものが何か、それを見つけられればいいんですが。