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「訪れる」と「書く」の用法
たびたびお世話になっていますが、また教えてください。 「私に訪れさせてください」と「私を訪れさせてください」は、ともに訪問の許可を求める意味の文として通じます(まさか、このこと自体が間違っていますか?)。 ところで「私に書かせてください」と「私を書かせてください」も、同じ意味として通じるのでしょうか。「私を書かせてください」はあまり見た覚えがないので、他人に自信を持って意味を説明できなくなってしまいました。 そのようなことを考えているうちに「訪れる」「書く」は、それぞれ自動詞なのか他動詞なのか、または自動詞としての用法も他動詞としての用法もあるのかということさえもわからなくなってしまいました。 恥ずかしい話ですが、どなたか教えてください。
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こんばんは。お尋ねいただきありがとうございます。 >「訪れる」は人に対しても使うことができます。手元の辞書には「人やある場所をたずねる。訪問する」の意味もある旨、載っています この点に関して少しばかり調べてみましたところ、以下のことがわかりました。 【「訪ねる」と「訪れる」の使い分け】 「訪ねる」は、様子を知ろうとしてその場所に出かける、またはある目的から人に会いに行くとの意味。 これに対し「訪れる」は「訪ねる」とほぼ同じ意味だが、「彼を訪れる」という言い方はせず、「彼の家を訪れる」の形になる。他に「春が訪れる」「平和が訪れる」のように、ある時期・季節・状態が「やってくる」の意味。があるとの説明がなされています。 人に会いに行くために態々、野外に行くでしょうか。待ち合わせで場所を指定されていたならば、その場に赴くことになりますが、そうしたことを「訪れる」と表現するでしょうか。 偏にこれは私の言葉が足らなかったことに起因していると存じます。前回「人に対しては使うことができない」と申し上げたのは、「○○さんを訪れるなどとは使わない」との文意です。 普通ならば「○○さんを訪ねる」とは申します。また「○○さんのお宅を訪問する」とも申します。しかし「○○さんを訪れる」などとは使わない。ではこれらはどこが違うのでしょう。何らかの目的があって「特定の人を」訪ねるのですから、目的がなければこれは別の表現になるはずです。 話はそれましたが、 >「私に訪れさせてください」と「私を訪れさせてください」は、ともに訪問の許可を求める意味の文として通じます この文章は誰が誰に許可を求めるかとの状況設定によっても答が異なります。使うことのできる可能性として、ある職場で「部下が上司に“顧客を訪ねる”ための許可」を求めているなどのシチュエーションは予想できますが、「顧客に対して」はこの様な表現をすることは失礼にあたります。普通ならば「伺わせていただきます」などとするところでしょう。もし質問者様が、後者の状況を想定していらっしゃるのであれば、使うことはできないとの結論になります。前者を想定しているのであれば成り立たないことになり、文脈から拾う以外にはないとの話になります。一概にはいえません。 >「私に書かせてください」と「私を書かせてください」も、同じ意味として通じるのでしょうか。 これも「訪れる」のケース同様、1センテンスを切り出した形だけで説明することは困難です。「私を書かせてください」では自画像もあれば自叙伝もあります。詳細にみれば「私に自身を書かせて下さい」です。“myself”です。 これに対し「私に書かせてください」は目的語が記されていないことから「書くことの許可を求める」だけの文意として理解するのが妥当でしょう。こうしたことから「私に書かせて下さい」と「私を書かせて下さい」は必ずしも同義であるとはいえない、との結論に至ります。 これは自動詞である、これは他動詞であると紋切り型で数学的な区分をするだけでは日本語をレクチャーすることに限界もあります。むしろ日本語が外国語と異なって語順と格変化で構文を作る性質の言語ではなく、助詞がウェイトを占めることを念頭に置いて説明された方が相手の方には解りやすいのではないでしょうか。 その場合には、英語ならば第N文型にあたる、などの説明をすれば納得できるはずです。
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- TANUHACHI
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既にcloseされた「驚く」の問題で、いささか不快な書き込みがなされていますので、反論させていただきます。 >以上のように、総括的な表現方法がある中で、誰にでも違和のない言い方も幾つかあれば、片や翻訳調というか普段でも決して使わない生硬にして不自然な言い方もあるわけです。 まずはそのような自然な言い方を身に付けたレベルに至ってこそ、このたびのような質問を抱く条件が満たされるのであって、満足に普通の言い方も覚束ない段階で、半可通な文法知識を振り回してネイティブを弄るのは些か悪趣味に思えてならないのです。 普通の言い方も覚束ない?、少しばかりカチンときました。少なくとも私は「英語の物主構文にはこのような表現がなされるケースもあり、これを自然な日本語として訳する時には、目的語と主語を入れ替えて訳せば少しは自然な日本語に近づけることもできる」とお話ししたのです。 それを生硬だの、半可通な文法知識を振り回してだのと言われたのでは「自動詞」「他動詞」「自他同型」と3つの分類が可能であるとの現在の議論の意味を説明することができない。これは自動詞であり、これは他動詞であるとしてステレオタイプ的な二分法では合理的に説明することができないから、自他同型との形が提示されているとの話のどこが非難の対象になるのでしょうか。むしろ従来の二分法的な発想に終始してきたことが原因となって質問者の様な混乱を生じさせていると考えられます。 そして当方をこの様に酷評されている方ご自身が実際には二分法を巧みな論法で排除していることも確かです。「自動詞用法」「他動詞用法」と識別し、「使役文」「受動文」と「構文形式」に論点を巧妙に移していきます。論理が途中で変わることにネイティブは敏感に反応します。品詞の説明だったものが、途中から何時の間にか「文章の形・種類」の説明に変わっていたならば、それが変化している理由を必ず尋ねてきます。生半可な説明では納得しないでしょう。 質問者様が「それでも、この説明を選ぶ」というのであれば、ご自由になさってください。これで私の回答を最後と致します。
お礼
貴重なご意見、ありがとうございました。 私もさすがにご指摘の部分に関しては、そのまま外国人にお伝えするわけにはいかず、適切に書き換えさせていただきました。既に相応の回答を伝えていることもあって、質問をクローズする前にいただいた回答内容に付加する形でお伝えしました。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
#10です。 >「訪ねらせる」の形は初耳(またはそれに近い)でした。私なら「訪ねさせる」を使っていますので、誤用としてしまいかねません。 明らかに当方の誤記です。 お詫びと共に以下に訂正いたします。 5)「(あなたが)私に(あなたを)たずねさせてください。」…訪ね(tazune(r))(他動詞下1段)させ(-saase)(使役の助動詞)て(接続助詞)ください(「呉れる」の尊敬語「くださる」の命令形の補助動詞用法)。 >×「私に訪れさせてください」は、心外です。少なくとも私の周囲では、これまで普通に使っていました。それを非文使いされるとは……。 「他動詞の使役では…使役対象は「に」で表され(例文:「教師が生徒にレポートを書かせた。」)「生徒を書かせる」とはなりません。一方、自動詞使役では「リンゴを腐らせた」のように、使役対象が意志的動作を行えない事物の場合と、「親を悩ませる」のごとく、使役対象が、自ら制御できない無意志的な動作を、動詞が表す場合には、必ず「を」使役となり、使役対象が「に」をとることはありません。」(「みんなの日本語事典」明治書院) 他動詞の「訪ねる」の場合は「(あなたが)私に(あなたを)たずねさせる。」となるが、自動詞「訪れる」では「(あなたが)私を(あなたの許に)おとずれさせてください。」であって、「に」を「を」格に替えた「(あなたが)私に(あなたの許に)おとずれさせてください。」では何とも不自然であり、何より「訪ねる」「伺う」など他動詞での表現の方が「に」格では落ち着くでしょう。 ただ対象が誰であるかを表わす「を」格と比較して、「に」格には複数可能な中での選択的な対象であるというトーンが加わってくると見ることもできます。 なお、一般的な表現としては、次のような例ではないでしょうか。 ・どうか、私にご面談賜りますようお願い申し上げます。 ・ぜひお目にかからせていただきたく、この段よろしくお願いいたします。
お礼
訂正とご回答、ありがとうございました。 言葉に対する感覚がずれていると言われても仕方がありませんが、皆様方の多数意見をあまり素直には受け入れられない自分がここにいます。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
転換の構造が分かりやすいように、ローマ字を付けて現在形での活用変化も添えました。また格関係が問題となっていることから、文脈を整える役割を持つ「は」といった係助詞などを排除し、すべて格助詞で表わしました。 1.【他動詞用法】 ×「私に訪れさせてください」 △「(あなたが)私に(あなたを)訪ねらせてください。」 ○「(あなたが)私に(あなたを)伺わせてください。」 この場合は自動詞用法「訪(おとず)れる」ではなく、他動詞用法「訪(たず)ねる」や「伺(うかが)う」を用いたもので、他動詞型なので「あなたが」という主格と「あなたを」という目的格が隠れています。 ・一般形 1)「私が(あなたを)たずねる。」…訪ねる(tazuner-u)(他動詞下1段) 2)「私が(あなたを)うかがう。」…伺う(ukaga-u)(他動詞5段) ↓ ・使役形 3)「(あなたが)私に(あなたを)たずねらせる。」…訪ね(tazuner-)(他動詞下1段)らせる(-a-sesu)(使役の助動詞) 4)「(あなたが)私に(あなたを)うかがわせる。」…伺わ(ukaga-)(他動詞5段)せる(wa-sesu)(使役の助動詞) ↓ ・使役の丁寧体 5)「(あなたが)私に(あなたを)たずねらせてください。」…訪ね(tazuner-)(他動詞下1段)らせる(-a-sesu)(使役の助動詞)ください(「呉れる」の尊敬語「くださる」の連用形)。 6)「(あなたが)私に(あなたを)うかがわせてください。」…伺う(ukaga-)(他動詞5段)せる(wa-sesu)(使役の助動詞)ください(「呉れる」の尊敬語「くださる」の連用形)。 2.【自動詞用法】 △「私を訪れさせてください」 こちらが、自動詞の使役形の丁寧体です。自動詞なので特別な主格も目的格も隠れていない分、スッキリしていますが、主格がない分、このようなお願い調には馴染みにくいでしょう。 ・一般形 1)「私が(あなたを)訪れる。」…訪れる(otzurer-u)(自動詞下1段) ↓ ・使役形 2)「(あなたが)私を(あなたのところに)訪れさせる。」…訪れ(otzurer-)(自動詞下1段)させる(e-saseru)(使役の助動詞) ↓ ・使役の丁寧体 「(あなたが)私を(あなたのところに)訪れさせてください。」…訪れ(otzurer-)(自動詞下1段)させ(e-sase)(使役の助動詞)て(接続助詞)ください(「呉れる」の尊敬語「くださる」の連用形)。 ところで、既にクローズされた「驚く」の問題では、このような動詞文には避けて通れない「格用法」と「動詞語尾活用」の関係としての、受身や使役また授受など「態(Voice)」の課題に通じるものです。単純にその部分的な現象やメソッドしての自他動詞の判別、意志無意志動詞の分別、などだけでの論議は不毛となりやすいことにもご留意ください。 長くなりますが、参考までにその変化の如何をご覧ください。 ******** 自動詞用法「驚く」と他動詞用法「驚かす」が、このように異なっているのにも拘わらず、その転換の先での、使役の受身形(短形)の文に至ると、動詞の活用結果は同形になってしまう、しかし格助詞は異なる点にこそ、このたびの質問の解が窺えるでしょう。 A.自動詞用法 ・一般形 1)「私が驚いたのは、あのビルの巨大さだ。」「あのビルの巨大さ(間口なら広大さ)に、私が驚いた。」…驚く(odorok-u)(自動詞5段) ↓ ・受身形 2)「私が驚かされたのは、あのビルの巨大さ(ゆえ)だ。」「あのビルの巨大さに、私が驚かされた。」…驚か(odorok-)(自動詞5段)される(a-sareru)(受身の助動詞) ・使役形 3)「あのビルの巨大さが、私を驚かせた。」…驚か(odorok-)(自動詞5段)せる(a-seru)(使役の助動詞) ↓ ・使役の受身形(基本形) 4)「(案内してくれた)父のせいで、あのビルの巨大さ(間口なら広大さ)に、私が驚かせられた。」「(案内してくれた)父に(より)、あのビルの巨大さ(間口なら広大さ)に、私が驚かせられた。」…驚か(odorok-)(他動詞5段)せ(a-se-)(使役の助動詞)られる(rareru)(受身の助動詞) ・使役の受身形(短形) 5)「父のせいで、あのビルの巨大さ(間口なら広大さ)を(に)、私が驚かされた。」「父に(より)、あのビルの巨大さを(に)、私が驚かされた。」…驚か(odorok-as-)(他動詞5段)さ(a-)(使役の助動詞)れる(reru)(受身の助動詞) B.他動詞用法 自動詞「驚く(odorok-u)」の語幹に他動化接尾辞「-as」を挿入し、他動詞「驚かす(odorok-as-u)」とする。 ・一般形 6)「あのビルの巨大さが、私を驚かした。」…驚かす(odorok-as-u)(他動詞5段) ↓ ・受身形 7)「あのビルの巨大さに、私が驚かされた。」…驚か(odorok- as)(自動詞5段)される(-a-reru)(受身の助動詞) ・使役形 8)「父が、あのビルの巨大さで(にて)、私を驚かさせた。」…驚か(odorok-as)(他動詞5段)させる(-a-sesu)(使役の助動詞) ↓ ・使役の受身形(基本形) 9)「父のせいで、あのビルの巨大さに、私が驚かさせられた。」「父に(より)、あのビルの巨大さを、私が驚かさせられた。」 …驚か(odorok-as)(他動詞5段)させ(-a-se)(使役の助動詞)られる(-rareru)(受身の助動詞) ・使役の受身形(短形) 10)「父のせいで、あのビルの巨大さに、私が驚かされた。」「父に(より)、あのビルの巨大さを、私が驚かされた。」…驚か(odorok-as)(他動詞5段)さ(-a)(使役の助動詞)れる(-reru)(受身の助動詞) 以上のように、総括的な表現方法がある中で、誰にでも違和のない言い方も幾つかあれば、片や翻訳調というか普段でも決して使わない生硬にして不自然な言い方もあるわけです。 まずはそのような自然な言い方を身に付けたレベルに至ってこそ、このたびのような質問を抱く条件が満たされるのであって、満足に普通の言い方も覚束ない段階で、半可通な文法知識を振り回してネイティブを弄るのは些か悪趣味に思えてならないのです。 >外国人:「あのビルの広さは私『を』驚かせました」はおかしくて、本来ならば「あのビルの広さは私『に』驚かせました」ではありませんか? 「あのビルの広さは私『を』驚かせました」→3)自動詞の使役形にあたります。 「あのビルの広さは私『に』驚かせました」→5)や10)自・他動詞の使役の受身形(短形)の崩れ形のようでもあり、動作主体や意志動詞と無意志動詞の混同などで非文となっています。 >外国人:「自動詞の使役形の文なら助詞は『を』を使い、他動詞の使役形の文なら助詞は『に』を使う」と教わりました。 「(1)他動詞文の場合、動作主体は「に」で表わされる。(2)自動詞文の場合は、動作主体は「を」あるいは「に」で示される。」 「もとの文の述語が意志動詞の場合、「Aを~」「Aに~」の両方が言える。もとの文の述語が無意志動詞の場合、「Aを~」しか言えない。」 これは、あくまでも「(人)に~させる」という「初歩的な使役文である。人が主語のふつうの他動詞文の使役である。」 (引用:吉川武時「日本語文法入門」アルク)
お礼
本格的なご回答、ありがとうございました。 ただし「訪ねらせる」の形は初耳(またはそれに近い)でした。私なら「訪ねさせる」を使っていますので、誤用としてしまいかねません。 ×「私に訪れさせてください」は、心外です。少なくとも私の周囲では、これまで普通に使っていました。それを非文使いされるとは……。 上記のようにいささか素直には納得できない面がありますが、これらについてはどのようにお考えでしょうか。 既に締め切ってしまった質問ではありますが、「驚く」の問題に関して詳しくコメントしていただき、ありがとうございました。私には本格的過ぎてついていけない面もありますが、質問した外国人にとってはまさしくかゆいところに手が届く回答かもしれませんので、そのままお伝えしたいと思います。 本人の名誉のために申しておきますが、本人は実に真摯な態度で日本語を勉強しています。ほぼ毎日、私と質疑応答のチャットをしていますので本人の真面目な態度を感じ取れ、そのような相手に頼りにされていることを嬉しく思っています。自分が学習した内容と食い違う個所に気がついたので、そこを真剣に追求しようとしています。決してネイティブを弄っているつもりではありません。それについては、私が100%保証いたします。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
ご指摘のように、訪れるには自動詞用法もあり、(前回わたしもこのカテで教わったことですが)いわゆる自他同型と呼ばれるものでしょう。 「書く」は他動詞と思います。 ご質問のケースは使役文型ですので、仮に自動詞であっても他動詞表現は可能になります。 「に」は間接目的語として、ほぼひとつの意味になるでしょうが、「を」の場合は直接目的語なので、使役の対象としての目的語なのか、行為の主体としての目的語なのか、によって複数の意味に解釈できるのでしょう。 1. 「私に訪れさせてください」 「私を訪れさせてください」 前者の「私に」は、誰が訪れるのか?という懸案に対して、「ぜひ私に、訪れるという行為をさせてください」という「強い申し出」のニュアンスで、間接目的語として使われていると思います。 「容疑者宅を」などの直接目的語が省略されているシチュエーション。 後者の「私を」は、「訪れさせるという行為」の単純な直接目的語として使われている。 「私」が訪れるという行為の主体です。 「容疑者宅に」などの間接目的語が省略されていることになるでしょう。 「>ともに訪問の許可を求める意味の文」としては、このように解釈できますが、ただ、後者の場合、文脈しだいでは、 「彼に(彼をして)、私を訪れさせてください」などという意味になることも想定できます。 彼にぜひ会いたいので・・・というニュアンスです。 言うまでもありませんが、訪れる行為主体は「わたし」ではありません。 2. これと同じく、 「私に書かせてください」 「私を書かせてください」 の場合、 前者の「私に」は、誰が書くのか?という懸案に対して、「ぜひ私に、書くという行為をさせてください」という「強い申し出」のニュアンスで、間接目的語として使われていると思います。 「小説を」などの直接目的語が省略されているシチュエーション。 後者の「私を」は、「書かせるという行為」の単純な直接目的語として使われている。 「私」が書くという行為の主体です。 「しばらく記事を書くことを禁じられている新聞記者が上司に対して、書くということができる状態にしてください」などというシチュエーションになるでしょうか。 「ともに書くことに対する許可を求める意味の文」としては、このように解釈できます。 ただ、後者の場合、文脈しだいでは、 「同僚に(同僚をして)、私を書かせてください」などという意味になることも想定できます。 同僚の勧めによって、わたしは書けるようになりたいので・・・というニュアンスです。 この場合、「書くという行為主体」はあくまで「わたし」ですが、「書かせる主体」は、上司と同僚であり異なります。 「訪れさせる主体」はどちらも同じでしたが、ここが若干違う点になるのかもしれません。 また、「私」が(書かせる、ではなく)「書く」の直接目的語と考えれば、「わたしを書く」「わたしの自叙伝を書く」といった意味の文と解釈することも可能でしょう。 しかし、この場合の「私」は、私という主体ではなく「私というもの」「私の経歴・履歴」といった意味の代名詞として認識されていることになるので、若干意味合いが異なってくるように思います。 例によって個人的感覚にすぎませんが、以上のように思うしだいです。
お礼
真摯に検討してのご回答、ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
失礼ながらネイティヴ日本人の方ですか? 「私に訪れさせてください」とか「私を訪れさせてください」は文法的には間違いはないが、こういう表現で「どうか伺うことをお許しください」という意味を伝える表現とすることはめったに生じないでしょうね。 よほど特殊な文脈か、会話のばめんでなければ、「私に訪れさせてください」とか「私を訪れさせてください」という言い方は考えられません。 これは自動詞、他動詞という問題ではなく、訪問とか訪ねる、書くという語の持つ性格でしょう。つまり使われる場面の性格ですね。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 言葉の文化は個人環境によってさえも異なるものです。これに類する表現が頻発している職場もあると思います。 外国人に日本語を教えていると、このような文法的な問題に直面してしまい、あらためて考えるとうまく説明できなくなってしまうこともあるものなのです。それは実際にやってみると、よくわかることだと思います。 私は「日本語に強い日本人はめったにいない」という皮肉な格言?を作りましたが、これまでこれを否定できる人には一人も出会ったことがありません。 私が教えている外国人も「言われてみると、自分も母国語に弱いですね」と言って、笑っていました。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
こんばんは、夜分に失礼致します。 >「私に訪れさせてください」と「私を訪れさせてください」は、ともに訪問の許可を求める意味の文として通じます 少し違和感があります。恐らくは「私に訪問させてください」の訪問と訪れるが頭の中でゴチャゴチャになってしまっていたのでしょう。確かに語彙としては両者は似たものといえますが、語感が異なります。 「訪問する」は人や相手の住まい・事務所などを訪ねる時に使いますが、訪れるは海岸等の場所を訪れるなどでも使うことができますが、人に対しては使うことができません。 >「私に書かせてください」と「私を書かせてください」も、同じ意味として通じるのでしょうか 前者の主体は「私」です。私が(誰かに)その作品を書かせて欲しいと懇願している状況を説明しています。これに対し後者の主体は「私」ではありません。(他の誰かに)私をモデルとして書かせて欲しいと、更に別の人間に懇願しているとも理解できます。 動詞には自動詞・他動詞の括りとは別に自他同形動詞とよばれる括りもあります。これは自動詞としても他動詞としても使うことができるとの性質を持つ動詞のことで、たとえば「開く」「閉じる」「吹く」があります。これは ドアが開く・ドアを開く、ドアが閉じる・ドアを閉じる、風が吹く・笛を吹く、などの用例を検出することができます。 こうした考え方に立てば、「春が訪れる・博物館を訪れる」「私が書く・自画像を書く」何れも意味としては通じますので、自他同形動詞であるとも説明できます。 かなりお疲れのご様子ですので、根を詰めずに少し頭をお休めになった方がよろしいのではないでしょうか。何か混乱してパニック状態あるいはゲシュタルト崩壊寸前のような感じを受けます。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 一般論として「私を書かせてください」は、確かにそのような意味でしょうね。 お言葉ではありますが「訪れる」は人に対しても使うことができます。手元の辞書には「人やある場所をたずねる。訪問する」の意味もある旨、載っています(詳しくはNo.5さんへのお礼欄をご覧ください)。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
私に訪れさせてください、私を訪れさせてください。どちらも違和感ありますね。 私に訪問させてください。または私にOOさんを訪問させてください。 と通常いうと思います。訪問するは訪問+するで他動詞サ変になります。 訪れるは自動詞です。私は京都に訪れました。春が訪れました。 書くは他動詞だから目的語をとります。「私にOOを書かせてください。」 会話で目的がお互いに分かっているのなら、私に書かせてください。でも通用します。 自動詞、他動詞 サ変他動詞などの基礎的なことは頭に入れておいた方が便利です。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 お言葉ではありますが、「訪れる」は自動詞としての用法も他動詞としての用法もあるのではないでしょうか。これまでの皆様方のご回答を見てますます混乱してしまいましたので、あらためて辞書を見ました。(質問する前に、辞書を見ればよかったですね。でも、現時点でもまだ完全には釈然としていません) おと‐ず・れる〔‐づれる〕【訪れる】 [動ラ下一][文]おとづ・る[ラ下二]《「音連(つ)れる」の意》 1 人やある場所をたずねる。訪問する。「新居を―・れる」 ←他動詞では? 2 季節やある状況がやって来る。「夏が―・れる」「やっと平和が―・れた」 ←自動詞では? ほう‐もん〔ハウ‐〕【訪問】 [名](スル)人をたずねること。他人の家などをおとずれること。「友人宅を訪問する」「会社訪問」 だから「訪問する」は他動詞ではないでしょうか。その意味でなら「訪れる」に置き換えることができそうですね。
NO.3 です。 ちょっと訂正です。 >私を遣わせてください は 私を遣らせてください の方が一般的ですね。 その他 第三 → 第三者 でした。
お礼
わざわざ訂正していただきまして、ありがとうございました。
>「私に訪れさせてください」と「私を訪れさせてください」は、ともに訪問の許可を求める意味の文として通じます 確かに意味は通じますが、一般にそういう言い方はしません。違和感を持ちます。常識的に言って間違った言い方だと思います。 たとえば新米の編集者が大作家のもとへ原稿依頼にゆくといった場合、彼(彼女)の上司である編集長には「私にゆかせてください」あるいは「私を遣わせてください」というのがふつうかな、と思います。 訪れるという動詞は、訪問者を第三が客観的に、あるいは自身を言うときも「私が訪れたとき」とか客観的にその状況を描写するときにいうようです。 >「私に書かせてください」と「私を書かせてください」も、同じ意味として通じるのでしょうか。「 これは意味が異なってきます。 >「私に書かせてください」は たとえば新米の覆面作家がある大作家の代作をしたいというような場合の懇願の言い方でしょうか。 >「私を書かせてください」 は中堅作家が自分の私小説をどこかの週刊誌に連載しようとしているような状況が考えられます。 両方ともありえます。 >「訪れる」「書く」は、それぞれ自動詞なのか他動詞なのか、または自動詞としての用法も他動詞としての用法もあるのかということさえもわからなくなってしまいました 私にもわかりません。 恥ずかしいです。 たぶん自動詞でしょう。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 「私が訪れたとき」が通じるのであれば「訪れさせてください」も通じるはずですよね(少なくとも文法理論的には)。このあたりは各自の言葉の文化の相違かもしれません。 「私に書かせてください」の意味については、異論がありません。 「私を書かせてください」は、中堅作家が自分の私小説をどこかの週刊誌に連載しようとしているような状況で用いられる表現だとは、思ってもいませんでした。
- bluestorm666
- ベストアンサー率42% (81/189)
「私に書かせてください」と、「私を書かせてください」の違いについてのみ、回答します。 「私に書かせてください」のほうが用例が多いのは、このフレーズは、「〇〇を私に書かせてください。」という文脈で用いられているはずだからで、「書く」という動作の主体は「私」ですが、対象は、「私」とは限らない、と言うよりは、「私」ではない場合が、圧倒的に多いのではないかと考えられます。 たとえば、文字を書くのが不自由な人や困難な人がいて、その人の代わりに自分が書くという意志を謙譲の意味を込めて申し出る場合、あるいは、文書であれ、文学的な文章であれ、誰かの許可を得てから書くべきものを、自分が書きたいという意志を相手に伝え、許可を求めている場合などです。 それに対して、「私を書かせてください」というフレーズは、「書く」という動作の対象が「私」であって、主体が誰であるかは、特定されていません。「〇〇(動作の主体)に、私を書かせてください。」という文脈になるのではないかと思いますが、書く対象が「私」でありながら、それを第三者に許可を求める、というのが、あまり考えられない状況なので、用例が少ないのは当然である、と言えるでしょう。「私を書かせてください」を、「吾をして書かしめよ」の意味に理解してもらおうとしたら、極めて特殊な文脈を設定しなければならないのではないでしょうか。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 「私を書かせてください」は、やはり「私のことを書いてください」または「誰かに私のことを書かせてくれ」のような意味になるのでしょうね。それは質問前にも脳裏をよぎったことですが、わけがわからなくなってこのような質問文になってしまいました。おかげさまで参考になりました。
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お礼
ご回答の趣旨はわかりました。 しかし、まだ釈然としないものがあります。 > 「彼を訪れる」という言い方はせず、「彼の家を訪れる」の形になる > 「○○さんを訪れる」などとは使わない 少なくとも私の周囲では、「○○さんを訪れる」の形で使っていると思います。そこまで使い分けている人を見たことがありませんが、これは私の注意不足だったのでしょうか。 「私を書かせてください」については、ご回答の通りだと思います。
補足
【「訪ねる」と「訪れる」の使い分け】は手元の辞書に書いていないことなので、素直には受け入れられませんでした。ふと発想を変えて、これをキーにしてネット検索したところ「類語辞典」に載っていました(出典も明記していただければありがたかった)。 ただし大辞林と大辞泉の使用例はそれっぽくなっていましたが、そこまで明記されていなかったことも事実です。実際問題として、私の周囲では殆ど使い分けされていません。待ち合わせで場所を指定されていたならば、その場に赴くことことを「訪れる」とも「訪ねる」とも表現しています。 言葉とは変化してものですから、このあたりのことは過渡期にあるということかもしれませんね。もちろんその場合であっても、本来の意味用法を心得ておくことは重要です。その意味でいい勉強になりました。 いずれにしても詳しいご説明、ありがとうございました。