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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:文学作品を読む事について客観的に教えて下さい)
文学作品を読む事について客観的に教えて下さい
このQ&Aのポイント
- 文学作品を読むことの意義と効果について客観的に教えてください。
- 文学作品を読むことで人間の様々な気持ちや痛みを理解し、優しくなれる反面、自己思考を放棄する傾向もあると感じます。
- 文学作品の読者にとって、相手の思いやりはあるものの、相手の本当の心の裏に気付けないと思うことがあります。
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質問者が選んだベストアンサー
直接の回答には為りませんが、少なくとも私が文学(純文学)を読むのは、「観念の具象化」の為が、第一義です。ここで謂う観念とは、意識の中に捉え持つ心的形象の総称としての観念ですが、要するに日常的な事柄を含めて、我々(この場合は私限定としてもいいですが)が、心に浮かび、感じ、考える事どもをより具体的に、ひいては理念(理性で判断し得る最高の概念)に迄高める手だてとなるのが、文学、文学作品を読む事だと思っています。その意味からすると、他人の気持ちを理解し、配慮する心の礎としての文学作品を読む(仮にそういうものが有ったとして)立場とは、かけ離れているかも知れません。 凡そ文学を読む者の心の持ち様と言ってしまえばそれ迄ですが、「人が一人では生きてはいけない事があらゆる罪の温床」であるという、謂わば、この事等も文学により理念昇華されたと思っている私の様な者からすると、他者との関係概念が文学(こと純文学)としての位置付の上で重要とは思えません。 この事も、御質問の趣旨とは離れる事ではありますが。
お礼
ご回答ありがとうございました。