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文学部で現代日本文学作品だけを学ぶのは無理?
- 現代日本文学作品を学ぶために文学部に進学したい高校生がいますが、東洋文化系の必修科目や専門科目が主に外国語や古典文学になる印象があります。
- 他の大学も同様の傾向があるようで、現代日本文学を専門にしている教授が少ないということもあります。
- もし現代日本文学を重点的に学びたいのであれば、他学部に進学して自主的に研究する方がよいかもしれません。
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こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学、政治学などの社会科学はもとより心理学や哲学といった思想系、時には人間が対象として観察している自然科学分野にまで及びます。そしてそうした全てをひっくるめた歴史にも脚を踏み入れねばならないことも普通です。 「小説を読むのが好き」と仰る質問者からすれば、近代以前の作品は「小説」ではないのかもしれません。けれど『蜻蛉日記』や『更級日記』も解釈次第では「小説」でもあるとの事実を忘れてはならないでしょう。両者は共に「私小説」です。それは「私に降りかかった事象」を私の目線で見たこととして「自己対象化」の要件を完璧にクリアしていることによります。 この要件を近代以後の作品に適用してみるならば、漱石、竜之介、そして公房や由紀夫、健三郎といった作家全てにあてはまることにもなります。 こうしたことを考えてみると、最初の質問である「文学を学ぶ」とはどの様な意味を持ってくるといえるでしょう。そして具体的な内容はどの様な言葉として説明することになるでしょう。ここまで来た時、一先ずの定義を示すこともできます。少なくとも「文学なるもの」を研究対象とする時にしか、この言葉を使うことが出来なくなるとの話です。 恐らく今後もノミネートされることはあっても村上春樹さんがノーベル賞を受賞することもないでしょう。それは文学が時空を越えて数多くの人と感動や認識を共有することで認められているからとの「文学の存在理由」との間でかなりの隔たりがあることも作用しています。 『青が消える』が普遍の問題を扱っているといえるでしょうか。この作品をどの様な視点からターゲットとして観察することができるでしょうか。少なくとも僕には公房と類似するテーマを扱いながら彼の一連の作品を凌駕するとも考えられません。春樹が書いているのは「僕にとっては大切なもの」が他から見れば「さほどの意味はないもの」であるとの描写に留まっている点で、公房の足下にすら及ばない。だからどうしたの?で終わってしまうほどの作品ともいえます。 質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。 少し厳しい言い方になりますが、質問者は「文学」を全く知らないといっても過言ではありません。公房が海外でF.カフカやS.ベケットさらにはA.カミュ、健三郎がG.グラスなどとの同時代の観察者として考察の対象になっていることをご存知でしょうか。またなぜ和歌や俳句に関する研究で外国の研究者の方がより本質的な部分にまで切り込むことができるのか考えたことがあるでしょうか。 芭蕉の旅は西行の旅と重なる部分が数多くあります。清少納言や兼好の言葉には李・杜、白居易をはじめ多くの言葉がちりばめられてもいます。これはなぜでしょう。それを読む人からすれば、まさに現代の言葉でもあるからです。雪降る朝の光景が「香炉峰の雪」を想起させると清少納言が感じたから、それを言葉にしたのであり、そうした姿をペダンティックと評するのも一つの解釈です。けれどもそれは「清少納言という人物像に対する評価」であり「『枕草子』に対する評価」とは異質なものといえます。 どうやら質問者は「大学で学ぶ」ことを勘違いしている可能性も多分にあります。専門の教員がいないから学ぶことができないとなれば、質問者の文学に対する姿勢は常に受け身といえ、そこから何を引っ張り出すかとの最も大切な作業を放棄することになります。このような生半可な姿勢では理論構築のない分野とはいえ、何を求めるかとの自らが立てた問いに対する答えを見つけることは到底叶わないともいえます。 「京都大学の学風に惹かれる」とはあっても、文学部に学風は無関係です。京大文学で「学風」と呼ばれるのは歴史学での「内藤史学」や哲学での「西田哲学」といった「研究スタイル」や「アプローチ視角」での特色です。老婆心ながら誤解されませんように。 なお「日本文学科」や「国文科」が対象領域として扱うのは必ずしも古典だけではありません。近代以後、「第三の新人」と呼ばれる作家までは対象範囲に含まれます。志望選択をする以前に少なくとも、近代文学史の概要程度は頭に叩き込んでおいていただきたいですね。それが常識ですよ。
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- TANUHACHI
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肝腎な質問に答えてはいませんでした、申し訳ありません。 >その時々にとっての同時代、すなわち中世には中世の文学を、近代には近代の文学を研究することは無かったのでしょうか 中世ならば、歌論書の形で評論が残されています。藤原俊成の『古来風躰抄』『古今問答』藤原定家の『近代秀歌』などが知られていますが、コンテンポラリテートとは限りません。 江戸時代でも西には西鶴がいて東には芭蕉がいましたが、二人がそれぞれの作品を評価し合ったなどの話は疑問の余地もあります。 近代以前で同時代の作品が考察の対象となりにくかった背景には、現在とは異なるメディア状況があります。近世以前ならば、本は全て筆写の形で流布していて、中々入手しづらかったことがあります。批評というよりも新作や話題の作品を早く読みたいとのニーズが優先していたのかもしれません。 近代以前での考察対象は江戸時代の統治規範が儒教道徳だったこともあり、四書・五経や中国の史書などの古典が武家の教養だったこと。古今伝授などの形で公家に伝わる古典の素養が重用された経緯はあります。 「同時代作品に対する批評」とのスタイルが日本にもたらされたのは明治維新以後つまり近代であり、それはとりもなおさず社会時評的な意味を持つことでジャーナリスティックな側面を有する形になります。 作家にとっては「自らのスタイル」の方が「文芸評論」よりも大切なものと認識されていて、これにより「作家」と「文芸評論」は分化していくことになります。もちろん評論家は自らの作品を発表することはありません。小林秀雄や亀井勝一郎がオリジナル作品を発表したならば、恐らくは箸にも棒にもかからないほどのものでしょう。彼らは「他人の言葉を分析する」ことには長けていても、「自らの言葉で作品を紡ぐ」術にはコンプレックスを感じていて、その裏返しが旺盛な批評として表れた形です。
お礼
しつこい補足質問にも丁寧に回答してくださって本当にありがとうございます。質問しておきながら、お礼が非常に遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。 >過去にそして今現在での「文学に携わる者」いわゆる「作家」と呼ばれる人達が「最初から作家だったのか」との問いになります。 このお話で、文学部・文学を研究することについて私が漠然と抱いていたモヤモヤした疑問のようなものが、やっとスッキリ晴れました。色々と腑に落ちた気分です。冷静に今一度質問を読み直してみると、一から全て説明してもらわないと理解できなかった自分が恥ずかしい限りです。もっと広い視野で考え、大学での学びに繋げていけるように精進して参ります。 また、「同時代の作品の批評」についても回答して下さり、非常に興味深く回答を読ませて頂きました。近代以前はメディア形態そのものが今と異なる……。なるほどと思いました。言われてみればその通りですね。自分ではその考えに至りませんでした(苦笑)。勉強になります。 ところで、回答者様は大学教授の方だったのですね。こんな自分の無知をさらけ出して私はなんて生意気な質問を……!と少々青ざめましたが、それでもそれ以上に貴重な体験ができたと嬉しく思っております。 >最終的な目標をお持ちのようですから、質問者様が今現在のように若い感性で様々な物差を手に入れることができれば、それは必ず「作品と作風」に反映されるはずです。 最終的な目標、それはまさにお気づきの通りです。密かな野望だったので質問には書き込まなかったのですが……読まれてますね(苦笑)。沢山の経験をして物差を手に入れていこうと思います。 長々と失礼致しました。また何かご縁がありましたら、その時はよろしくお願いします。
- TANUHACHI
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こんばんは、先刻は丁寧な御返事をいただいて恐縮です。質問者様の実直な姿勢をうかがい知ることもできて、一先ず安堵しております。 >仰りたいことは何となしに理解しているつもりですが、「戦後そして1945年以前の作家」が見ていた世界は、そして社会は、私達が今見ているそれとは少なからず一致しないところがあるかと思います。少なくとも古典文学と言われるものについては、例えば藤原道綱母と私個人で、その存在を取り巻く世界も違えば、世界を見る視点も違うというように。例えば平安人にとっての「同時代」は白居易だったのでしょが、私にとっての同時代はそうではありません。そうだとしても、今生きている世界を研究したいと思うのに、それをかなり遡った文学の研究を通して私にとっての同時代の空気を垣間見ろと言うのでしょうか。過去に書かれた作品にとっての同時代がそれぞれ存在し、影響を与えてきたというなら、その時々にとっての同時代、すなわち中世には中世の文学を、近代には近代の文学を研究することは無かったのでしょうか。 このご質問を実は待っていたのです。この問題を具体的な形でお話しするならば、過去にそして今現在での「文学に携わる者」いわゆる「作家」と呼ばれる人達が「最初から作家だったのか」との問いになります。 最初から作家を志して作家となった人達と他の分野で仕事をするうちに何時の間にか作家の道に入っていた人達とどこが違うかといえば、これは個人的な印象ですが、後者の方がより「人間の現実に近いところ」で人間観察をしていた様に思われます。 戦後作家のかなりの部分に医学との関わりが見られます。たとえば北杜夫や安部公房、加賀乙彦や加藤周一といった文学に関わる人がそれであり、遠藤周作は自らが病に罹患し生死の意味を常に問い続けていたともいえます。ある意味「切実で現実的な課題」を自らに課すことはそれだけでも並々ならぬ覚悟が必要であり、それが自らの身に降りかかる現実だったとしたら更に闇は深くなるともいえましょう。 大江健三郎が最初からオリジナルの世界観で作品を書き綴っていたかといえば、そうでもありません。小林秀雄をはじめ安部公房そしてノーマン・メイラーなどの彼より少し前の作家の目線で彼らの時代を見ると同時に、そのフィルターを使って今の時代を眺めてみたらとの「実験」からスタートしています。前者の実験はそのフィルターが有効に機能しているかとの検証であり、後者は実験装置としてのフィルターが持つ確かさを自身の作品に採り入れるには更なる「工夫」が必要であるとの試行錯誤の過程です。ですから大江さんのフィルター内部にも幾つかの階層が複雑に組み合わされ、作品毎にテーマが変わるのですから、そのフィルターにも様々なバリエーションが必要になります、もちろん「本源的な部分」においては共通ですが。 大学の日本文学専攻で古典や外国文学を学ぶ意味は、このフィルターの数を増やす、引き出しの数をより多くもつためのトレーニングとお考えになっては如何でしょう。 前回は伏せておりましたが、僕は二つの仕事に従事しています。一つは民間企業の勤務であり、もう一つは大学で研究と教育に携わっています。大学での専門は歴史学であり日本中世史です。これは歴史学という学問が持つ宿命ともいえますが、一つの歴史事象を扱うには史料の精密な調査と同時に分析方法も大切で、そこでは政治学や社会学、言語学や心理学といった社会科学領域の成果に手助けを求めることも自然です。そして対象領域が日本であるといっても、経済史の括りで見るならそれは封建制の解釈であり、政治学の括りならば国家形態と「物差」自体が変化します。そして適切な物差を組み合わせて使うことで、より具体的で人間の真実に近づくことも可能となります。 最終的な目標をお持ちのようですから、質問者様が今現在のように若い感性で様々な物差を手に入れることができれば、それは必ず「作品と作風」に反映されるはずです。 大学入学後にはご自身の専攻する研究室だけでなく、他の学部で関心ある分野の教員研究室を訪ねてみることも新たな刺激を得るにはうってつけといえましょう。真摯な教員ならばウェルカムであなたを迎えてくれるはずです。 そうそう、京大には法学部の御出身ですが『日蝕』で知られる平野啓一郎さんもいらっしゃいましたね。創作を続ける一方で世界の彼方此方を旅し、彼独自の目線で現実を見て作品に反映させ続けている方です。あの方の作品は時には森鷗外であったり時には泉鏡花であったりと「次は何を見せてくれるか」と僕の期待を裏切り続けることで、デビュー当時からウォッチし続けています。 楽しいお話しを聴かせていただいてありがとうございました。
- wy1
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現代日本文学は、恐らく学問の対象にするには定説も意ありませんし、評価しようが無いでしょう。せいぜい大正/明治とか 昭和初期ならば、歴史的も意義が有るでしょうが。
- spring135
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必修科目はその大学のその学部のその学科の卒業生である品質証明みたいなもので、決められている以上動かしようはありません。したがって選択科目で自分の好みを調整するしかないでしょう。 >それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか? 2つの意味があります。 (1)古典文学や外国語をある程度学ばなければ日本文学を十全に学べない。 (2)その大学のその学部のその学科卒業生を名乗る以上、修了しておいてもらわないとこまる。 大学の使命は教育と研究です。contemporaryな作品がその対象になりうるかという観点から考えてください。
お礼
回答ありがとうございます。お礼が非常に 遅くなってしまい、本当にすみませんでした。 なるほど。学ぶことの意味は確かにあるのですね。
お礼
いっそ清々しいまでにばっさりとしたご回答をありがとうございます。そうですね。確かに私の「文学」という言葉の使い方は主観的な嗜好の枠によるものであり、学術的なそれとは大きく擦れがありました。回答者様の目にはさぞ思慮の浅いものに写ったことでしょう。そんな質問に対しても丁寧に回答して下さったことには感謝致します。 さて、文学とは、地域や時代を超えた普遍的な学びである、それこそが私の疑問に対する答えだと受け取りました。私の疑問というのは、現代文学を「専攻に」研究している人が少ないように見えるのは何故かという点です(教員の研究テーマや大学名等について触れたのは飽くまでそれを説明するための例のつもりでしたが)。そういった意味で、学問として文学を研究したいのか、単に趣味の一つとして私個人の趣向に合うものだけを読みたいたいのか、私はそれを混同していてようです。これを機に少し冷静になろうと思います。 また、回答者様の回答を読んで一つまた小さな疑問が湧きました。揚げ足を取ろうという意図は決してありません、青二才の純粋で素朴な疑問です。以下、お時間がありましたらお目を通して頂けると幸いです。 >>質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。 仰りたいことは何となしに理解しているつもりですが、「戦後そして1945年以前の作家」が見ていた世界は、そして社会は、私達が今見ているそれとは少なからず一致しないところがあるかと思います。少なくとも古典文学と言われるものについては、例えば藤原道綱母と私個人で、その存在を取り巻く世界も違えば、世界を見る視点も違うというように。例えば平安人にとっての「同時代」は白居易だったのでしょが、私にとっての同時代はそうではありません。そうだとしても、今生きている世界を研究したいと思うのに、それをかなり遡った文学の研究を通して私にとっての同時代の空気を垣間見ろと言うのでしょうか。過去に書かれた作品にとっての同時代がそれぞれ存在し、影響を与えてきたというなら、その時々にとっての同時代、すなわち中世には中世の文学を、近代には近代の文学を研究することは無かったのでしょうか。 なんだかまとまりの無い文になってしまい、申し訳ありません。何か私の思い違いがありましたら訂正して下さると助かります。