- ベストアンサー
英語で考える?
英語で考えて、英語で話す。とよく言われますが、 日常会話なんて、暗黙のルールだらけですよね? 仲のいい間柄の場合特に、そうやって会話を円滑にしています。 その部分はどうしてもに日本語になっちゃうと思うのですが、どうしているのですか?
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
Gです。 補足を読ませてもらいました. >言葉がなければ生まれない感情もたくさんあると思うのですが、それはやはり長い海外生活で培われたものなのでしょうか? とくに人間は、言葉で感情やフィーリングを生み出し、またその新たな感情が言葉を生むというようなサイクルを持っているとおもいます。 正しいと思います. 言葉でなく他の事を例として考えて見てください. 何でもいいです. 例えば、趣味の釣りがありますね. 素人と玄人がいます. 玄人の方が格を下げなければコミュニケーションできません. 素人には玄人のレベルではコミュニケーションできるだけの経験や知識を持っていないわけですね. 「あたり」等、特に浮きを使わない釣り、などは言葉のない感情ですね. 逆に、#7さんの例をお借りすると、同じ日本人でも、色は文字では表現しにくい物です.どうしても説明しなくてはなりません. しなくてもいいのは、真っ白と真っ黒しかありません. 今私が、「赤い服を着ている」と言ったときに、nachuruさんが想像する赤とは必ずと言っていいほどの差があります. 赤、といったときに、カラーバンドになれた人でない限り、赤と呼んでも許される「一つ」だけの色を思い浮かべるんですね. ここに日本語でも英語でも「誤解」といわれる「フィーリングの素通り」と言う状況が起こってしまうわけです. だからこそ、友達に「おい、ちょっと待てよ」というところを「少々お待ちください」と「正しい」日本語を使っても、日本人であれば、冗談ポイ言い方をしているな、と感じるわけです. 言葉は文字以上のもの、という例ですね. じゃ、それを英語学習に当てはめたら、英語圏で長い間日本人から離れて生活しなきゃいけなんじゃんか、ということになる、と考えてしまいますね. する必要はありません. 英語に対する根本的に違う姿勢を自分に作り上げなくてはならない、ということが第一歩なんですね. 中学一年で発音記号を強調しない、「初級者辞典」という名前でカタカナで発音をしめしている、ような事なんで、教育委員会で今日でも変えることができるはずです. 日本語と英語では発音が違うんだ、ということですね. 発音に関して、発音記号による二つの音を分けることは必要であって、ネイティブと同じ発音をしなくてはいけない、という観念を捨てる。 誰もが微妙に違う発音をしています. しかし、その違いの一貫性を持たせる事によって、誰にでも通じる発音ができるわけです. 始め戸惑った外国人の発音でも、2-3分後にはほとんど問題なく聞き取れるという人間には順応能力があるわけです. そして、英語を日本語の方言と思っちゃえばいいのです. つまり、標準語に直さないで理解しようと言う姿勢です. つまり、英語を日本語に訳そうとしない、フィーリングを読み取れ、ということになります. 日本語では毎日それをやっているのに英語ではしない. 間違った姿勢だ、ということになります. つまり、英語は言葉なんだからフィーリングを感じろ、と言うわけです. そのためには、できるだけ多くの英語に日本語の媒体無しで、文字からではなく、体全体からフィーリングを受け取れるようなDVDなどが非常に役立つわけです. 先日、道場で、「暴れん坊将軍」のビデオを見せました. もちろん英語の字幕も無しでです. 10分ほとの場面を2回ほど私の説明無しで見させました. 何を感じたかと言う事を紙に書かせ、私がまずそれを読んで適当な説明(台詞の説明はまったく無しです)をしてからまた10分見せました. 時代劇の背景知識は全くなくとも、結構想像ではあるけど理解していたことだわかります. つまり、フィーリングがちゃんと伝わっていたわけです. 日本で言う、なんとなく分かる以上のものです. しかし、この場合台詞をローマ字だけで書いたものを見せても、0%しかわからないでしょう. また、音声だけを録音したテープだったら、雰囲気しかわからないでしょう. しかし、ビデオであれば、ある程度の情報が伝わってくるのです. 彼らは、日本語ででも英語ででも考えませんでした.直接的なフィーリングだけです. 女性の言い回しや男っぷり(江戸っ子ぶり)を出そうとする言い回しなどはちゃんと伝わっているんですね. 杯を前に出して「先生、一パイどうですか」なんて言う場面なんか、まったく問題なく、お酒をすすめているんだな、と感じることが出来るわけです. しかし、ここで、誤解と言う物も出てきます. 弟子たちには、先生とは教える者、としか理解していません. しかし、この場面で、先生、という言葉を聞き取ったときに、違和感を感じるわけですね. 英和辞典のように類義語辞典ではなく、英英辞典のように単語を説明すれば、この「先生」、という単語がどのように使われるのかが分かるわけです. だから、問題を犯す可能性を持つ英和辞典に頼るのではなく、英英辞典を使えと言う事にもなるわけです. また、長くなってしまいましたら、ご参考になれば嬉しいです.
その他の回答 (7)
- POKIE
- ベストアンサー率33% (266/784)
#3です。#6の補足についての意見を述べます。(なんだか比較言語学みたいになってきたなぁ) >言葉がなければ生まれない感情もたくさんある いろいろな感情を表現するためにいろいろな言葉があるわけですよね。ただ、感情自体は英語圏の人も、日本人もそれほど変わらないのではないかと思います。 感情では難しいのでもっと簡単な色の例を紹介します。 世界中にある色というのはどこの国に行っても同じですよね。ところが色を表現する言葉は国によって違います。そして色を表現する言葉は必ずしも1対1の対応になっていません。 面白い実験があって、青に徐々に赤を混ぜていってどこから紫という色だと認識するかを比べると国によってぜんぜん違うんです。紫という色は多くの国にありますが(ない言語もある)、紫がどういう色のことを言っているのかというのは国によって違う。 英語では日本語の紫はvioletかpurpleですよね。日本語でそれを表現しようと思うと青紫、赤紫となるわけですが、これはまず、紫、というのがあるから青みのかかった紫、赤味のかかった紫となるのです。逆にvioletとpurpleの境目が自分の知る紫のどの辺にあるのかを知らないとこの二つの言葉は使えないわけです。 brotherと聞いて兄弟を思い浮かべたらだめなんです。兄弟、というのは兄と(や)弟をまとめたものですが、ことですが、brotherというのは”親を同じくする男の子供”と言う概念で兄という概念も、弟という概念もない(したがって年長者がえらいというような儒教的な考えもない)世界の話なのです。 英語を覚えて英語で考えるというのはそういった言葉にまつわる概念を体感できるようになって”はまって”しまうので逆に日本語を介在させることがうっとうしくなった感じです。自分の持っている感情を英語のボキャブラリーそれぞれの持つ独自の”切り取り方”で整理しなおす感じとも言えるのではないでしょうか。
お礼
何度もありがとうございます。 整理しなおすというのは、むずかしいですね。 感情は言葉になりにくい上に複雑ですから。
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
アメリカに35年半住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 英語で考えて、英語で話す。と言う事は英語で考えると言う事ではなく,英語で反応する、と言うことに過ぎません. Thank youと言われて,日本人の中でどれだけ,感謝すると言っているんだと思うでしょうか. 感謝しているんだな、と感じるだけです. つまり,私の言うフィーリングが伝わっている、と言うことなんですね. Thanks a lot.と言う言い方が感謝をたくさんしています,と言うフィーリングとしていって,これをそう受け取る時もあります. しかし,言い方,イントネーション,ジェスチャー,によって,フィーリングが全く逆になります. 「大きなお世話だよ!」と言う意味にも使います. この全てが(文字の表現だけでなく)英語なんですね. なぜかこのサイトで自分は英語を知っているんだぞ、正しいんだ,と言う人がいますが,その人の英語を見ると,学校では優等生だったんだな、と感じます. 使われている英語,フィーリングのこもった英語,そのようにフィーリングを出し,受け取るか,と言う事に経験がないからなんでしょう. それに控え,使われている英語,文法的には間違っていると言う人もいるかもしれないけど一般人が使われている表現を経験している人には,使える英語をちゃんと使えるわけです. それは何かというと,訳に学校でも認められるように英語文を作る,正しい英語というものにこだわりすぎる,人間の感情/頭脳と言うものの存在を無視している,と言うハンディーを捨てきれない、と言う事が理由になってしまうのだと思います. >(ちょっとオレしつこいかな?)とか考えますよね。 (あ、今のは通じたかな?)とか。 ある人に「明日行く?」と聞かれたら、(ああ、コイツが「行く」と言えばプールだな。)とか。 日本語で考えてしまいませんか? 本当に日本語で感じているのでしょうか. 私はそうは思いません。 単に感じているだけの事です. 何を感じているのかと聞かれたら,日本語の説明になるわけです. そして,日本語が出てくるわけです. しかし、この感じる、と言うことは,殆んどの場合知識ではなく,経験からそう感じるはずです。 だからこそ,英語が上手くなるには,英語に慣れろ、と言うことであるわけですね. 普通感じる以上に感じる事がより物事をより判断できるということでもあります. この判断が頭脳がやっている事です. 日本語を媒体とした訳すと言う事がこのフィーリングを感じる能力を伸ばすと言う事に大きな壁を作っているわけです. 学校での英語教育では,どうしても,日本語に直すとこう言っている,という判断能力を養成してしまっています。 優等生は,日本語で反応してしまうわけです. それを英語と言う文字だけの言葉として作り直すから,変な英語になってしまうわけです. 子供に日本語を分かればいい,として,本だけを与え親とのコミュニケーションを絶ったら,日本語を本当に使えることができるでしょうか. 何回もここで例として持ってきていますけど,おなかが減った,と言う日本語を英訳すると, I'm hungry.としか出てこないのです. しかし日本人として,「お母さん何か食べるのある?」と言った時,お母さんが感じる事は,あるかないかを聞いているんじゃなくて「この子はおなかが減っていて私なら何が食べる物があるかどうか知っているはずだから聞いているんだ」、と感じるからこそ, 「取って置きのラーメン作ってあげようか」とかなんか,質問としての質問には答えていないわけです. でも、この質問を英語にしなさいといわれると,Do you have something to eat?としか訳せない事になるわけで,これを,Mom, I'm hungry.と訳したらバツをとる,と言う社会で英語をやらっているのが現状ですね. 仕方ないと言えばそうなんですが. フィーリング英語とは,文章を他の言葉に訳すのではなく自分の持っているフィーリングをいろいろな表現で言え,また,言われた英語の持つフィーリングを掴み取る、と言うことなんですね. >ある人に「明日行く?」と聞かれたら、(ああ、コイツが「行く」と言えばプールだな。)とか。 のことです. ですから,これをやると,英語って,日本語と同じ人間の言葉じゃんか、と言う事に気がつくわけです. 文法には合わない表現もあるし,その表現を受けて色々な搬送を頭の中でするんだ、と言うことに気がつくわけです. これが,英語で反応し,日本語で反応する、と言うことになるわけです. 英語で考えているわけではありませんね. 東京の人が大阪弁を聞いて分かるのはどうしてでしょう. 大阪弁の文法を習ったからでしょうか. 違いますよね. テレビでお笑い番組などで見て,フィーリングを感じているからわかるわけですね. おおきに、といわれて,なぜ,それがありがとう、と分かるのでしょうか. それは,同じ人間として感謝を表す時に,大阪人が使っているのに気がついたからです. これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
ご親切にありがとうごさいます。 やっぱり、「反応するに過ぎません」ですよね。 シックリくる表現です。 これまでの人生経験や、感情、感覚を英語に訳すことは出来ませんものね。 むやみに日本語で考え無いようにするのも、変ですよね。
補足
言葉がなければ生まれない感情もたくさんあると思うのですが、それはやはり長い海外生活で培われたものなのでしょうか? とくに人間は、言葉で感情やフィーリングを生み出し、またその新たな感情が言葉を生むというようなサイクルを持っているとおもいます。
- hakkoichiu
- ベストアンサー率21% (250/1139)
どう答えるべきか返事に困った場合、自分の英語での知識の範囲内で表現するよう努力して、日本語を忘れることです。極端に言えば手振り身振りでも良いのです。 英語で考えると言うことは、日本語ではなく英語での知識を増やすことだと思います。 "Morning", "Hi", "Seeyou", "Thanks", "Sorry", "You're welcome"等は考えなくてもその場でとっさに口をついて出てくると思います。 言換えれば日本語を介さずに会話をしていることになると思います。 こう言う場面,言いまわしが広がって、抽象的な領域まで広がれば、英語で考えると言う事になると思います。 これは英語での知識が増えることと同じでは無いでしょうか。 訓練としては、日常の出来事を何時も英語で言ってみる,考えてみる。 簡単なことから始めて、段々抽象的なことを考えて行く。 例えば、次のような簡単なことから始められます。 ”It's fine,but cold." "Oh, look. She is pretty, isn't she?" "Can I talk to her?" "Go ahead, if you want to" "I won't today,some other time" "Why not" ....... 毎日こうしていると、夢の中で英語を喋っている時があります。 これが一つの段階のような気がします。 勿論、Brokenでは無く正しい自然な英語を見聞きして真似るのです。 〔私事で恐縮ですが私の場合、西部劇を見た後夢で主役が"Buenas dias, amigos"と言ったのにたいして”Buenos dias, senyor"(今日は)と答えたことがあります。) ご質問から少し離れた回答になったかもしれませんが、ご参考になれば幸です。
お礼
ありがとうございます。 ジェスチャーも日本語があるから通じているのではないですか? 子供はジェスチャーの意味を分りませんよ。 大人でも分らない場合もあるし。 英語の夢も見ますけど、そんなに凄いこと話してないですね。
- nagatos
- ベストアンサー率20% (23/112)
英語ばかり使っていると、日本語が出てこなくて、英語(と日本語)で考えてしまわなければならない。---ということは誰でもあると思います。 基本的に、人間は、「母国語で構築した概念」と「言葉」を瞬時に照らし合わせています。 ですが、逆に、英語で構築された概念は容易に日本語にはなりません。 例えば、カタカナ語でつくられたイメージ(概念)は日本語に置き換え難いということからも分かると思います。 簡単な言葉なら、ほとんど母国語を介在しない、意識しないことは、よく起こりえるはずです。 ただ、母国語や今まで構築にした観念の影響は莫大のようで、それにはずれる観念を理解、使いこなすのは難しいようです。 なぜ、こんなに長い前置きをしたかというと、英語を母国語としない人がどれほど、母国語に引きずられているか、日本ではあまり意識されていないからです。 ロシア人の英語は、重々しい、ロシア語のような印象を与えます。 中国人は軽い感じの英語を書くので、女性的な印象を与えます。 使っている我々には、わからない、日本独特のムードが日本人の英語には、ついて回っているはずです。 それが、質問者の言う、「どうしても日本語になる」から来ているのだと私は思います。
お礼
引きずられてマスよね。 どうやって、乗りこなしているのですかね?
- POKIE
- ベストアンサー率33% (266/784)
#1です。考えません(身も蓋もない…) 考える、と言うのはそれほど意識的にやっているものではないと思います。(ちょっとオレしつこいかな?)と言うのも、考える、と言ってますけど、どちらかと言うと感じるようなことでしょう?やりすぎた、という感じは何語、と言う問題じゃなくて感覚の問題だと思いますけど… この人がとっても好きだ、とか言うのも”感じ”で”考え”ではないです。その感じを表現するときにいちいち日本語で考えないでI love youと表現できる、と言うことをよく英語で考える、と言っていると思います。 表現で迷うこともありますが、I…と言ったところで”動詞は何にしようかloveじゃあれだし…likeって言うのもそっけないし、おぉ、そうだ、あなたは大切な人で行こう!you are very important to meだ。あれっ。もうIって言っちゃったっけ。では”と考えて…feel you are very important to me. というわけです。このタイミングが大体ワンテンポくらい(1秒くらい)です。これ考えている間にahとかummとか入っちゃうんだよね。 例にある「明日行く?」も"Are you gonna there tomorrow?" "Yap."でおしまいで、英語でも阿吽の呼吸と言うのは存在します。 英語モードになれば夢も、独り言も、思考も英語でやってます。ご参考になれば幸いです。
お礼
そうです、「感じる」です。 日本語で感じていますよ。やっぱり。 そんな気がします。 でも、解りかけてきました。 ありがとうございます。
- kiwisako
- ベストアンサー率16% (2/12)
暗黙の了解がいったい何をさすのか良く解りませんが、 頭に思う事も英語にするのが英語で考えるという事になります。 (相手がどう理解するかは別にして…)
- POKIE
- ベストアンサー率33% (266/784)
もう少し具体的に質問いただけますか。 暗黙のルールの例をお願いします。
補足
例えばですけど、 会話中に (ちょっとオレしつこいかな?)とか考えますよね。 (あ、今のは通じたかな?)とか。 ある人に「明日行く?」と聞かれたら、(ああ、コイツが「行く」と言えばプールだな。)とか。 日本語で考えてしまいませんか? そんな簡単なものならまだいいですが、 友達の心の中の複雑な部分とかは日本語でしか理解できないし。 これできたら、完全に外人さんになってしまいますよね? そのあたりの心境もお聞きしたいです。
お礼
何度もありがとうございます。 フィーリングについて、よくわかりました。 日本語の感覚を、わざわざ捨てることも無いのですね。 捨てすぎて、あかちゃんみたいになるところでした。