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英語を使うとき、性格(考え方)も変わりますか?
英語が堪能な日本人の知人が「英語で会話するときと日本語で会話するときは人格が違うんですよ」と先日言っていました。 英語を使っている時の方が、はっきりした性格だったり行動的な思考になったりするそうです。 確かに言い回しなど、日本語の方が曖昧なものが多い気がするのですが、 実際、英語・日本語をお使いになる方、そのようなご経験はありますか? ※実際の性格が変わるというわけではなく、表に出る部分が違うという意味で、です。
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こんにちは。 そういうことはあると思います。言語はそれぞれの民族の文化や、どのように人間関係を形作っているかを反映していますから、その言語に熟達するということはそういう背景ごと身につけるということで、そういった差異が当然でてくると思います。たとえば、日本語のような自己主張の弱い表現は英語には少ないので、同じように言おうとしても無理があり、英語らしい英語をしゃべろうとすると自然に自己主張が強くならざるを得ないということがあろうと思います。 それから論理性についても、相手を説得するときに「そんな固いこと言わずに」などと日本語で言いますが、「固いことを言うな」というのは「筋が通っている主張もほどほどにせよ」ということですから、こういう内容を英語で説得力のある言い方で言うのは難しいことです(「筋がとおっている主張もほどほどにせよ」と英語国民に真顔で言ったら、頭がおかしいと思われるでしょう)。英語で相手を説得しようとすれば「あなたの考えは一面では筋が通っているが、他方、こういう側面が欠けていて、そのためにこういう弊害がある。それを総合的に考えれば、私のいうようにするのが正しい」などと、もっと具体的な論理を使わざるを得ません。日本語の「どうぞよろしく」も同様で、具体的に何をどうして欲しいのか不明のお願いというのは英語では表現しづらいので、英語にするなら、もっと具体的に「これこれの際はこうして欲しい」というような表現のほうを多用することになるでしょう。 ですので、英語を使うときのほうが、たとえば、自己主張が強く、論理重視に(理屈っぽく)なるということは、実際にあると思います。
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- ken-deleuz
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どうも#4/10です >不愉快に思われましたら申し訳ありませんでした。 どうも申し訳ありません、僕は質問者さんに対して不愉快な気持ちをまったく持っていません。僕は自分への戒めため、それと質問者さんへ”まだ考える余地はあります”よという意味で、これは回答ではないと書いたんです。それに僕は回答と書くのが実は怖いんです。それはこのような質問に対してこれが回答だ!というようなことが言えないからなんです。誤解を招くような書き込みをしまして申し訳ありませんでした。勉強、お互いにがんばりましょう!
お礼
こちらこそ何度もお手数かけて申し訳ありません。 ken-deleuz様の真摯な姿勢を見習い、私もがんばろうと思います。 また何かの機会にはよろしくお願い致します。 ありがとうございました。
- Higeko
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こんにちは。#4です。 igie さん、メッセージありがとうございます。 他の皆様の回答を興味深く読ませてもらっています。 環境によって話し方、振る舞いが変わっていくのを改めて実感しています。 私は東北在住のものですが、ロシアは同じ寒く厳い環境にある共通性なのでしょう、 話し言葉はシンプルな構文なので、英語よりは日本人にも習いやすいと思います(まだ初心者の見地での感想)。 本物のロシア人とお話ししたことがまだなく、TVで見る限り、 男性は低いトーン、女性はやや高めのトーンで話しているようです。 これも環境に影響されるのですね!? 英語もロシア語も元々は旅行が目的で始めて、言葉を知ると、文化や生活を知り(つまり環境ですね)、 違う世界に自分がいられる面白さを感じ、内面から豊かになれると日々体験しています。 英語にもどりますが、レッスンで自分に自信がない意見を言う時、 声が無意識にハイトーンになり、"Pardon?"と講師によく聞かれ、 ふと我に返り、低いトーンで言い直すことがしばしばあります。
お礼
Higeko様、再びありがとうございます。(*^_^*) ロシア女性はなんとなく声が低いイメージがありましたが(たぶん女子バレーのインタビューなどの記憶だと思います)、 そうでもないのでしょうかね? そういえば、東北とロシアは(寒いので)口をあまり開けずに話す共通があると以前何かで読んだことがあります。 ロシア語も習得された後、Higeko様が3つの言葉をどう感じられるか、使われていくのか楽しみですね。 私も今回の皆様からのご意見でいろいろ勉強したいことができ、とても刺激になりました。 また疑問がわきましたらお世話になるかと思います。今後ともよろしくお願いします。 どうもありがとうございました!
- ken-deleuz
- ベストアンサー率23% (18/77)
どうも#4です ここの他の回答者さん達の意見は僕自身、大変参考にしており、勉強させていただいています。前にも書きましたが、人間の性格と行動は言語が大部分を占めていると僕は考えています。”「言い回しなど、日本語の方が曖昧」だとか、英語表現がはっきりしているとかは特に関係ないと思います”と書きましたが、この表現も喋り方の一つと考えれば、やはり無視できない人間の言動の一つでしょう。もともと言語は文化と密接な関係にあります。でもこれは言語が文化を含意しているのではなく、文化と言語が両方で互いに支え合っているのです。そうですねちょうど、二つの鏡を向かい合うように置いているような状態です。つまり言語が文化を変えることができるし、その逆もしかりです。 そこで、関西弁と関東弁を比較してみましょう。僕が知っている関西人の方々は皆面白い方々ばかりですし、性格も攻撃的ですが、明るく社交的です(こんな事書いたら、ステレオタイプのような感じになりますが...)。それに比べ関東人、僕も含めて性格はどこか受動的です。(個人差も当然ありますし、絶対そうだとは言えません)- 僕がここで方言を例に挙げたのは喋り方のことです、けっしてその地域に住んでいる人達全てが同じ性格であることはありません。しかし方言の中でも喋り方はやはり違っています。そこに性格の差が現れるのだと僕は思いますが、方言を喋り方の一つととらえれば、やはりそれが性格、行動に影響を与えているようにも思えます。これは男女の言葉使いにも同じことが言えるのかもしれません。方言、男女の言葉使いは特定の社会の制度と文化に影響されます。この制度をinstitution, institutionalと英語でいいます。男性は男性らしい言葉使い、女性は女性らしい言葉使いというように人間は幼いうちからは刷り込まれます。さらに僕らは言語を使うようになった時から、権力(Foucaultはこれをpowerと呼びます)関係を強いられます。んーちょっとこれ以上行くと本題からそれて行きそうなので、この辺でやめておきます。本題に戻って、英語でも日本語でもこのinstitution、制度とか文化による人間の行動と性格は言語を通してかなり違うと思います。前にも言いましたが、僕にとって英語は第二言語です。これは制度化された慣習や習慣は、幾ら英語を話してもそう簡単に身に付くわけではないんです(時間をかければおそらく、身に付いて行くとは思いますが...)。それでも英語を話している時の自分、日本語を話している時の自分の行動と性格が変わるのは、喋り方のもう一つの要素、”音とリズム”に要因があるのだと思います。これは僕の専門外なので説明することはできません。しかし”喋り方”は人間の行動と性格に大きな影響力を持つということを憶えておいて下さい。 僕はオーストラリアでメディアを勉強している大学生です。哲学は僕の専門ではないのですが、特にsemiotics(記号学)を学んでいます。これは言語学の一つの分野です。僕の大学は哲学というカテがありませんが、全ての学科で哲学を学びます。 最後に、これを書いている僕自身、まだ勉強している若輩者です。それに今後、僕の考えは十分変わって行くと思っていますので、この書き込みは参考の枠からだすことはできません。なのでこれは回答ではありません。
お礼
ふだん何気なく使っている言語が一つドアを開けるとこんなにも奥深い世界を持っているのだと今回改めて知りました。 ご多忙でしょうに、何度も丁寧なご説明を頂きまして心より感謝致します。 言語について自分なりに学んでみようと思います。本当にありがとうございました。 尚、前回のコメントにおいて「私の質問へご意見を頂けた」という意味で「回答」という言葉を使いました。 不愉快に思われましたら申し訳ありませんでした。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
>もし日本で英語を習得されていたら、また違っていたと思われますか? #7です。他のご回答には、英語と日本語の言葉としての性格(性質?)の違いや文化圏の違いを指摘しておられるものもありますが、誤解のないように言うと私の場合は違います。 私の場合は要するに、その言語を「習得したときの自分自身」と「言語」がセットになっているわけで、国や文化はあまり関係ないのです。例えば、私は、10代の頃の一時期、愛知県に住んでいたので流暢な名古屋弁をしゃべれるのですが、名古屋弁を話すときと東京弁を話すときの自分は若干違います。 もっとわかりやすく言うと、私はだいぶ大人になってからユーモラスな人間になりました。ユーモラスなことを言うとき、私は(もういい年なのに)ボソッと「~だよねえ」とか「~みたなっ?!」という口調になったりします。そんなしゃべり方をするだけで人を笑わせるすべを私は身につけました。 しかし、アメリカや愛知県時代には、ここまでユーモラスな性格ではなかったので、同じようなユーモアを表したいときに、瞬間的に英語や名古屋弁で「(ボソッと)~だよねえ」に替わる言葉が出てこないのです。なので、違うノリの冗談に切り替えてみたり、あるいはユーモア自体を避けてしゃべったりしてしまいます。 ユーモアは、ほんの一例ですが、そういうわけで、特定な言語には「必然的に」特定な性格が伴ってしまうのですよね。あくまでも私の場合ですが。で、たぶん、カールさんも、カリフォルニア英語でズーズー弁の面白さを出すすべを知らないと思うんですよね(そんなの知ってる人なんて殆どいないだろうけど-笑)。
お礼
たとえば「学生時代の友人と社会人になってからの友人とでは自然とキャラが違う」みたいなことでしょうか。 それもよくわかります。でも、名古屋弁だとユーモアの質が変わる(?)というのは面白いですね~。 カールさんの語学に関するインタビューなど探してみようと思います。興味深いテーマを提供して頂き、ありがとうございました。
表に出る部分と言えば、 私の元上司は日本語も英語も見事に同じ調子でした。 日本語と英語で表現の仕方が違うから、明確に考える傾向があるというのはあるのかもしれませんね。 日本語を英語に直訳できないですしね。 私はあんまり喋れませんが。 個人的には喋れるようになったとしても日本語と英語で違う人間になりたくないと思っていますが、声の高さは思います。 まあ所詮は(?)アジア人、あんまり太い声は出ないんですが、英語のほうが腹から声を出すような気はします。 地声の質が違うということもあるでしょうが、キャピキャピ声は好まれないでしょう・・・・日本人のほうが幼さを美徳だと思っているようですから。 英語その他を勉強していたら、逆に日本語で文を書いたりするときに、気を遣うようになってきました。文がねじれてないかとか。 主語とか、話の筋が外れてないかとか。
お礼
まったく変わらないという方も当然いらっしゃると思います。 私もあまり話せないので自分がどのタイプかはわからないのですが、母国語以外を習得するということは、想像以上に多くのことを知る機会を得ることなのだと改めて感じました。 貴重なご意見、ありがとうございました。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
微妙に変わりますよ。理由は単純。私は、英語は英語圏で、日本語は日本で習得したのですが、英語を習得しながら培った性格と英語がワンセット、日本語を習得しながら培った性格がワンセットになっているからです。自分の内面が表したいことを言語化していたわけですから。 その典型がダニエル・カールさんだと私は思っています。カールさんの英語は、知的でわりと品の良いカリフォルニアの標準的な英語です。その英語を話すときのカールさんは、おどけかたが半減し、姿勢まで心なしかきりりとしているように感じます。もともとは真面目な学生さんだったのでしょうね。今も真面目な山形弁研究家でいらっしゃいますが。
お礼
なるほど。環境も込みで英語を習得されているわけですね。 では、もし日本で英語を習得されていたら、また違っていたと思われますか? ダニエル・カールさんの例は大変顕著で納得致しました。 日本語を話されているキャラクターと母国語とではスイッチが切り替わるような感じかなと拝見していて思います。 そういう意味では言語がスイッチになり、「この環境設定ではこういう私」という判断が無意識のうちに働いているのでしょうか。 他の方の回答にありましたが、英語・日本語という問題でなく、環境に応じた自分の性格を人は自然に選択し、実行しているのかもしれませんね。 なんだか自分で何を書いているかわからなくなってきてしまいました。すみません。m(__)m 大変興味深い回答ありがとうございました。
- Higeko
- ベストアンサー率30% (3/10)
私も英語を話すとき、変わりますよ。 かつて英語初心者だった頃は、ちょっと高いトーンで必死に話していました。 数年を経て、現在では声のトーンが低くなり、ハッキリと自分の意見が言えます。そのほうが相手によく伝わるからです。 何と言うか‥違う自分が脳から現れるという感覚ですね。 しかし、街中で外国人の知人にバッタリ会う時、当たり前ですけど、周りが日本なので、 脳の切り替えがうまくできずに妙に甲高い声になっちゃうこともあります。 それから、英語に限らず、最近習い始めたロシア語を話す時も、声のトーンが低くなります。 母国語である日本語以外はみなそうなってしまうのかも。
お礼
やはり変わりますか。また、他の方の回答にもありましたが、声の高低というのは言語を使う上で大きなポイントなのかもしれませんね。 無意識に「この言語を話すときはこの自分」のようなスイッチが入るのでしょうか? もしかすると「かわいい、かよわい」女性がよしとされる日本独特の価値観も関係しているのでしょうか。 より多くの方のご意見が聞いてみたくなりました。 貴重なエピソード、ありがとうございました。 余談ですが、ロシア語も勉強されているのですか? 素晴らしいですね。 英語とロシア語と日本語に触れてみてどのような感想をお持ちになりましたか? 大変興味深いです。 機会がありましたら教えて頂けると嬉しいです。 (~o~)/
- ken-deleuz
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申し訳ありません これがリンクです
- ken-deleuz
- ベストアンサー率23% (18/77)
参考までに あります これはおそらく哲学のカテで質問すればもっと良い回答が得られると思いますが、私なりに説明いたします。今、僕は外国に住んで英語を話していますが、やはり日本語を話している自分と英語を話している自分では性格と行動そのものが変わっているような気がします。僕は大学の仲間と話すとき日本語ではありえないような、下品な表現などを使います。たしかに僕にとっては英語は第二言語ですので、英語圏での制度化された慣習、習慣に捕らわれることは、ネイティブの人達に比べて少ないと思いますが、やはり性格、特に行動が英語を話しているときの方が活動的と言うんでしょうか... 実際言葉にし説明するのは難しいんですけどね.. とにかくこれは言語と人間の行動が密接に結びつているためだと思います。僕らは行動に移る前に言語を通して頭で考え、それから体が動いていくんです。例えば、腹減った!と頭で考える、そして食べるいう行動に移ります。(これは結構大雑把に説明しています、人間の思考、つまり言語を通さなくても人間の体は動くことがあります※受け身など、これを研究してる哲学者もいます)。つまり言葉が人間の行動を決めているということになると思います(こんな乱暴なこと書いたつっこまれそうですが...) これを踏まえてまず、質問者さんはきっと喋っている相手によって喋り方を変えていると思います。身近な友達、学校の先生や、職場の仲間など自分の喋り方(これは全ての言語に共通すると思いますが、僕は全ての言語を習知していませんので推測です)を上手く変え、コミュニケーションをはかります。もし質問者さんが目上、上司、先輩、また同等の立場でも自分が”上”と思っている人達への態度と言動はいつもと違うと思います。この喋り方を僕らはDiscourseと呼びます。Discourseはおそらく英語辞書で引いても理解しにくいと思いますのでリンクを張っておきます。あまり深く説明すると、大変なので省きます。喋り方(言葉)と性格と行動の変化、これがおそらく英語を喋っている自分と日本語を喋っている自分の違いに繋がってくるのでしょうが、これは僕が英語を喋っているからではなく、喋り方を変えているからだと思います。なので日本語どうしでも、上記しているように性格や行動は言語を通して変化しているはずなんですが、私たちは普段そんなことを気にかけないんですよね。なので僕が思うに「言い回しなど、日本語の方が曖昧」だとか、英語表現がはっきりしているとかは特に関係ないと思います(無論、絶対に関係がない!と断言できません)。 かなり端折って説明しましたが、これは一応、M. Foucaultというフランスの哲学者のセオリーを根拠を置いて話しました。僕が説明したことは回答ではありません。一つの考え方として受け取って下さい。 参考まででした。
お礼
大変興味深い回答ありがとうございます。 英語、日本語という括りではなく、言葉を使う相手や状況などにより無意識のうちに誰もが人格を変えているということでしょうか。 私は、英語という言語に性格があり、それを使うことで使用者の性格にも影響を与えるのかもと考えておりました。 添付頂いたURLにて初めてDiscourseや言語学というものに触れたような状態ですので、まだ消化しきれないのが正直なところですが、 リンク先にあった参考文献等を読んで勉強してみたいと思います(とても面白そうです!)。 ken-deleuz様はどちらかで哲学を学ばれたのでしょうか? 私も興味はあるのですが、専門用語でつまづいてしまい、踏み込めずにいました。 これを機に学び、ある程度理解力をつけてから哲学カテで改めて質問しようと思います。 (まったくの初心者なので時間がかかると思いますが) 何かの機会にはまたよろしくお願い致します。 ありがとうございました。
- hakushika
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こんにちは。興味深い質問だな~と思いました。 確かに、変わるんだと思います。 igieさんの書かれている様に、根本的な性格が変わるわけではなく、 表面的にですが・・・ 私の場合は、若い時(10代~20代前半)にその差が激しく、 顔がそっくりの全くの別人だと思われた事さえありました。 自分では気がつかなかったのですが、話している時、顔つきまで 変わっていた様です。 外国では自己主張をはっきりした方が理解され易かったと言う事が あります。はっきり言ってもいいんだ!とわかった事で、自分が 解放された様な感覚になり、性格の新たな側面が表われたのかも 知れません。 英語力の問題もあったかも知れません。 日本語程ではないにしろ、 英語でもいろいろなニュアンスの表現の仕方がありますが、 語彙力がないと、ダイレクトな言い方でしか会話出来ないですし。 話は変わりますが、英語を話す時に、人格が変わるのではなく、 声の高低が変わる日本人はたくさん見ていますよ。 日本人女性に多い、高くてやわらかい声でいくら英語を話しても 通じなかった女の子達が、低い声で話しただけで、より理解され 易くなったりするんですよね。
お礼
こんにちは。 回答ありがとうございます。 「全くの別人と思われた」というのはすごいですね! 仰るように表情や立ち振る舞いなどかなり違っていらしたということですよね。 hakushika様は英語圏でのご自身のキャラクターのほうが快適だったのでしょうか。 それもまた興味深いですね。日本ではどこか窮屈に感じていた自分が英語圏で解放されるという。人間関係(自己表現)に悩む人にとってある種突破口になる可能性もあるかもしれないですね。 そういう自己表現の違いを経験する意味でも英語に触れることは面白いなぁと思いました。 それから、声の高低についてですが、これまた大変面白いテーマですね! 以前、ある女優さんが英語で話す番組があったのですが、普段はキャピキャピとは裏腹に別人のような落ち着いた低音を使っていたのを思い出しました。 海外では高音の声は好まれない(聴き取りにくい?)ということでしょうか。 いろいろな見地から考えることができそうですね。 自分の課題ファイルに加えたいと思います。 とても興味深いエピソードをありがとうございました。 欧米の生活や言語に興味を持ちはじめたところでいろいろ勉強中です。 また機会がありましたら、よろしくお願い致します。
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お礼
こんにちは。回答ありがとうございます。 そうですね。ある言語を話せるというのは単純に言葉の置き換えではなく、文化、生活、国民性など含めて成立することですね。 仰るように翻訳機のように意味を正しく変換できてもコミュニケーションとして不能では元も子もないと思います。 kumagerasu様の回答を読んで、母国語以外の言葉を会得することは実に奥が深いことなのだと改めて感じました。 ヒアリングができる、語彙を増やすなど目の前のことだけを目標にしがちですが、それらはより良いいコミュニケーションをとるためのテクニックに過ぎないのだと痛感した次第です。 いろいろな意味で勉強になりました。 貴重なご意見、ありがとうございました。