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擬古文を直して下さい
次の擬古文で文法的に誤っているところがあれば直して下さい。 また、他に良い言い回しがあれば、それもご指摘いただければありがたいです。 百歳(ももとせ)の 齢(よわい)保てず その中も 才と幸(さち)とは 相容れず。 滄海(そうかい)桑田(そうでん) 過ごせしが 見るもの聞くもの 憂(う)きことのみ。 長短あるが 常(つね)ならば、 佳人薄命、(かじんはくめい)これ天命(てんめい)。
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1番回答者です。御礼文を拝見しました。 > 2、「滄桑の世を経めぐりて」となっています。 というのが模範の由ですが、それは正しい使い方です。 「桑田変じて滄海となる」とは世の変化・変遷が激しいことですので、「滄桑の世」とは「変化・変遷の激しい世」というような意味になります。 変化の激しい世を「経めぐる」という言い回しはおかしくないことになりますよね。 「の世」という言葉があることが、この場合のポイントだと思います。 だから、「滄桑の世を過ごせしが」なら良かったのです。 余談ながら、前回「用例辞典を調べた」と書きましたが、そこで発見して「なるほど」と思ったのは、「桑滄」が正しく、「滄桑」は誤用だということ(誤用も立派に通用してますが)。 「桑田変じて滄海となる」という言葉の出典でもその語順になっていますし、かつて大勢の人が働いていた桑畑が滄海になっていた時と、滄海が大勢の人の手で桑畑に変わっていた時では、その変化を見て受ける感慨はまったく別ものです。 この詩のモチーフはどちらの感慨に近いのでしょうか?(返事はいりません。聞いてみただけですので) 3、「まこと才と命(さだめ)は相容れず」としています。 命(さだめ)というのが、寿命のことなら、・・・ 才能をもちながら長生きした人も実際にいますので 「相容れず」=「両立しない」とは思いませんが、まったくの「無関係」であるのは事実でしょうね。 多くの場合、才があれば幸がついてきます(才と幸は無関係どころか深い関係)ので、無関係である分、「才と幸は相容れず」よりは良いと思います。 ★あい‐いれ‐ない【相容れない】アヒ‥ ★互いに受け入れない。両立しない。「両者の利害は―」 ★[株式会社岩波書店 広辞苑第五版] > 吟じ方は、複数人で声をそろえたりソロになったりしながら読むためのものです。 ああ、中国でそういう吟じかたの詩がありましたねぇ。NHKの特集でみたわずかな記憶ですが。 単語を伸ばしたり縮めたりしながら吟じるので、中国人なら(中国語なら)、ちょうど良い音節になるのかもしれませんねぇ。 体系の違う言語を乗り越えるのは大変でしょうが、がんばってください。
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- fujic-1990
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碩学の回答を期待しておりましたが、つかないので、僭越ながら。 文法的には間違っている感じはありませんが、意味的にどうよ、という感じはします。 例えば、「百歳の齢を保てず」ってどういうことかな、とか思ったりするのですが? 全体的に「嘆き」の歌のようですが、だとすると「保てず」ですから、ずっと百歳であり続けられないのを嘆いているってことですよね・・・ 。 101歳まで長生きしてはマズイわけですよねぇ。 「♪目を閉じて、何も見えず」って、目を閉じたら見えないに決まってる!、と言われて平気なほどの確信犯なら言うことはありませんが、 (^_^;\(^O^ )ペチッ! そうでないなら、違うかなぁ・・・ と思います。 ((まあ、「百歳も 命保てず」ならかろうじて、かな)) あるいは例えば、「滄海桑田を過ごす」という、言い回しがあるのか?とか(手元の辞典、諺成句使い方辞典などを引いたかぎりでは見あたりませんでした)。 もっと良い言い回しがあれば、とのことですが、どういう場面で使うのか分からないと、良い言い回しは分かりません。 例えば『才と幸(さち)とは 相容れず』ですが、ふつうは才があれば、幸はついてくるものです。ですから、一般論としては間違いですよ。 しかししかし、この詩を吟じる人が才能のアル人であり、しかし不幸な人だ(例えば、生まれてくるのが遅すぎて才能が生かせない時代だった)ということがそれ以前の物語の中で十分に語られていれば、りっぱに「嘆き」の意味を持ってきます。 ですから、どういう文章が良いのかは、質問者さんにしかわかりません。 上で詩を吟じると書きましたが、「人間50年、下天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり 」舞うか、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」枇杷でもかなでながら語るのか、「鞭声粛々、夜河を渡る」詩吟のように唸るのか・・・ などなどでも、言い回し(ゴロ)、字数は違ってきます。 難しい漢語を使うのだけが擬古文ではないと思うので、場面などを考えながら再考されることをお勧めします。
お礼
ご回答とご教示を大変ありがとうございました。 1,「百歳の齢を保てず」という言い回しの誤りが分かりました。 「百歳の命保てず」と最低限すべきですね。 先人の訳では、 「百歳をこの世の限り」としています。下手にいじるべきではありませんでした。 2、「滄海桑田を過ごす」も不自然の由。 これも先訳では、 「滄桑の世を経めぐりて」となっています。 3、「才と幸(さち)とは 相容れず」は、佳人薄命の喩えもありますので一概に間違いとも言えないでしょう。先訳は、「まこと才と命(さだめ)は相容れず」としています。 4、吟じ方は、複数人で声をそろえたりソロになったりしながら読むためのものです。 5,易しい和語の擬古文が出来れば一番良いのですが、それがいっそう難しいと思われます。 どの先訳を見ても漢文調の文語なので、それに引きずられたという面もあります。 どの先訳も残念ながら音節数が不揃いなので、僭越ながら私なりに作り直しを企図したものです。
お礼
追加のご教示をありがとうございます。 > だから、「滄桑の世を過ごせしが」なら良かったのです。 後半の「過ごせしが」が、実は不安でした。こんな古文ってあるかしら…と。 しかしどうやらそれは問題なさそう。 > 「桑滄」が正しく、「滄桑」は誤用だということ(誤用も立派に通用してますが)。 広辞苑では、「滄桑」の語順であり、意味を見ると「滄海桑田の略」とあり、その後に「桑滄。」とあります。広辞苑も誤用の方を主としているのは驚きです。 しかし意味を考えると、おっしゃるとおりですね。諸行無常のはかなさを醸すなら桑畑が海に成り果てている姿でしょう。夏草や兵どもが夢のあと、のような風情です。 > 「まこと才と命(さだめ)は相容れず」 これは原作にそうあるので触れません。 作者は、佳人薄命、天は二物を与えず、などの世界観の持ち主のようです。オードリヘップバーンや吉永小百合のような人も居ますし、才色兼備の人も多くいます。しかし、それを指摘して何になりましょう。原詩があり、その翻訳なのですから。 > 体系の違う言語を乗り越えるのは大変でしょうが、がんばってください。 古いベトナム語→古い日本語 の変換を試みています。日本語で吟じるので中国語は無関係です。