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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:戦時下の兵隊さんについて)

戦時下の兵隊さんについて

このQ&Aのポイント
  • 戦時下の兵隊さんが麻雀を打ち、覚えることは可能でしょうか?
  • 祖父は戦時中に麻雀を覚えたと言っているが、その可能性はあるのか疑問である。
  • デイサービスで麻雀を打つ祖父のイカサマ麻雀の話が信じられない。戦争中に麻雀を覚える機会があったのか気になる。

質問者が選んだベストアンサー

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  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.3

えー、日本でもっとも長い伝統をもつ遊戯クラブ、日本麻雀聯盟は1929年創設で、初代総裁は菊池寛でした(日本でメジャーになったのは、関東大震災の直後、上海で西欧諸国の人がひらいたチャリティー麻雀大会後のことです)。日本で麻雀牌を最初に製品として販売したのは、菊池寛が創設した文藝春秋社です。 で、当時はよかれ悪しかれ日本は大陸中国と深く関わっており、昭和初期の麻雀ブームがこの動きとぶつかって、第一次マージャンブームがおきます。 当時はいまとちがったルールで、リーチがないとか、上海と北方で上がりの手がちがったりとかしたそうです。山本五十六も海軍きっての麻雀好きで、ルールしらない部下に一回(局)だけプレイさせて 「長官、わたし牌にぎるのは生まれて初めてです」 「やればおぼえるから」 という按配だったといいます。 艦隊が青島、香港などにはいると、象牙の麻雀牌を日本にもちこむ(当時は禁止ではないですが、関税がかかります)のに四苦八苦で、神戸・横浜ではないところに入港させ、税関の人を軍艦挙げて大歓迎し飲ませ酔わせ、そこで「気の利いた」古参の経理下士官が、ハンコを借りて通関済みのハンを押してしまう、というのを、聞いたことがあります 当然陸軍でも大はやりです。紙の麻雀牌などは手作りもメーカー製もありました。 捕虜になってもマージャンはプレイされており、シベリアで使われた木で作られた手作りの麻雀牌が、舞鶴の抑留、引き上げ記念館に展示されています。 家庭でも文藝春秋の麻雀牌は普及していたので、戦前の方が一般の人も遊ぶ機会が多かったと思います。 家庭マージャンですね。 お祖父様のやり方は、積み込みという初級のイカサマであります。 お金かけているのなら、お止めした方がいいと思いますが、そうでないのなら、むしろそれをおぼえた時の「武勇伝」をシッカリと聞いてさしあげるのが、いいとおもいます。

shirokuro1533
質問者

お礼

ありがとうございました。 ほんと、とし食ってまでチンタラしたイカサマやるくらいなら、初めからやるな!って話ですよね。お金はかけていないと信じていますが…

shirokuro1533
質問者

補足

麻雀にかかわる道具の詳細など大変参考になりました<m(__)m>

その他の回答 (5)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.6

軍隊つうのはそれこそ何百年もの昔から飲む、打つ、買うの荒くれ男たちの集団でした。そりゃ、殺し合いをするところなんだからどうしたって荒っぽいところになりますわな。 実は明治時代から昭和初期くらいにかけて、地方の農村なんかでは若者を兵隊に出すことをかなり嫌がっていたのです。それは若い働き手が取られるというのももちろん大きかったのですが、軍隊に行くと無頼の習慣を身につけてしまって、純朴だった少年がすっかりチンピラになって復員してもまともに働かなくなってしまう例がしばしば見られたためです。 今も昔も、どこの軍隊でもギャンブルは基本的に厳禁です。なぜかって?勝った負けたで文字通りの人傷沙汰になるからです。だって、武器はそのへんにゴロゴロしてるんですからね。だけど、ギャンブルするヒマもないような最前線にいる兵隊さんてのは案外に多くはないもので、例えば戦艦日向は太平洋戦争中に実戦に参加したのは実は1944年のフィリピン海戦のときだけなんです。あとは後方で訓練していたり(砲塔が爆発する大事故を起こし、これが航空戦艦に改装するきっかけになりました)、航空戦艦への改装工事をしていたり、まあそんな感じでした。だから乗組員とすれば戦争中もずっとヒマだったわけでして、かといって街に繰り出して遊ぶわけにもいかないので、なんとかして船内でもヒマをつぶさないといけないわけです。 今はPSPやらiPodやらがありますから、アフガンの米軍の兵隊さんなんかもそういうものでヒマつぶしをしているわけですが、そういう娯楽がない時代となると、仲間内で賭け事をするくらいしかヒマつぶしの方法がなかったりするわけです。 ちなみに飲酒が人々の習慣として広まったのは実は軍隊と戦争のせい、という話があるのですが、それはまた別の機会に。

shirokuro1533
質問者

お礼

なるほどです。 まぁ、やけに行儀がいい軍隊がいたとして、それは少し困りますからね。 ありがとうございました。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.5

wiki/麻雀放浪記を参照されたい。時代背景もぴったり。「つばめ返し」というイカサマ技です。筑豊の炭田で中国人が麻雀していたといった記事もあります。満州でも麻雀していたかも知れません。満州は終戦間際まで戦場になってませんから、いくらでも暇はあったと思います。満州麻雀という言葉があるぐらいですから。

shirokuro1533
質問者

お礼

なるほど、満州辺かもしれませんね。日向の座礁から、ちょっとあわただしく転戦していたようですが、麻雀くらいはやるかもしれません。 ありがとうございました

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

麻雀を覚える 炭鉱にいるに覚えるのには十分な時間があります。 なにも軍隊がどうのこうのという問題ではないかと 「かなり大胆なイカサマ」と素人と想われるデイサービスの人に言われる程度の低い技量ではないでしょうか?

shirokuro1533
質問者

お礼

あぁ…炭鉱では半年~1年程度しか勤務していなかったんです。言葉足らずでスミマセンでした。 まぁ、彼のイカサマは現在ではご愛嬌レベルなんでしょうね。 ありがとうございました

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.2

 一応、明治には麻雀って日本に来てますから…。  (日本で最初に言及したのは夏目漱石 (1909年))  大正の頃には一般に広がり、カフェー・プランタンで常連客が興じていたという有名な話も…。  (日本麻雀の黎明期をプランタン時代というのは此処に由来する。)  大正時代以降に青年期を過ごした方なら、軍隊に行っていなくても知っていてもおかしくありません。  (昭和初期には各地で、その地方でのみ通じるローカルルールが出来ている…。)  ロシアに捕虜になって、シベリア抑留された方がその日の命をつなぐ食料を確保する為に、命懸けの賭け麻雀に興じた何てのは有名な話ですしね…。  (麻雀博物館に抑留中に白樺で手作りした麻雀牌なんてのが有りますし…。)  なお、現在一般的に行われる麻雀(リーチ麻雀)って戦後にアメリカ経由で伝わった物が日本で発展した物なんで、やっている所を見れば、一発で覚えたのが戦後どうか判明するのですが…。  また戦後に阿佐田哲也の作品などで第二次麻雀ブーム(燕返し等のイカサマ技の存在が一般的になったのはこれらの作品のおかげ)が起きます。

shirokuro1533
質問者

お礼

なるほど、近世あたりから庶民に親しまれはじめたゲームという事でしょうか。 そして、祖父の麻雀はシベリア仕込みの可能性も出てきたと…尚、まだ僕が中学生だったころ、強引にメンツに入れられましたが、大学の時に打っていた麻雀とルールが少し違っていたというか、スペアみたいな牌(春夏秋冬みたいなやつ)を入れて、それらすべてがドラだったかな?とにかく上がる人は基本「満貫」みたいな修羅場だった記憶が… いずれにせよ、回答ありがとうございました。

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.1

あまり知られてないのですが旧日本海軍の将校の間ではビリヤードが大人気であり、山本五十六もかなりの腕前だったという説もあります。 麻雀は中国が発祥のため現地に入り道具の調達も簡単だったので仲間内でやってたんじゃないでしょうか。 旧日本陸軍の規律はデタラメに厳しかったですが娯楽が全くのゼロで兵隊でしかも戦争中など発狂するでしょうから。 おそらく上官に隠れてやってたか、上官も嫌気がさしてまざってたとかじゃないでしょうか。 花札やちんちろも普通にやってたと思いますよ。

shirokuro1533
質問者

お礼

早々の回答ありがとうございます。 確かに戦時下にあって楽しむぐらいゆるされてしかるべきでしょうし、そんなところでガス抜きしながら、暴徒とかすのをおさえている面もあったのかもしれません。 参考になりました<m(__)m>

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