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人は何のために生きているのでしょうか?
- 人は何のために生きているのでしょうか?祖母の人生から考える
- 祖母の人生は長く、養女として育てられ、戦争を経験し、5人の子供を育てた。しかし最後は一人で亡くなった
- 人生には楽な方へ逃げる選択もあるが、最後に待っているのは死。人生の意味について考えさせられる
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少なくとも、ものすごく人の為に働いた人ですね。痛みや心配があっても生きている実感は大きかったでしょう。老後は、やる事はやったという満足があったと思います。子供に面倒見てもらおう、というより。 自分が生きている事を感じられる事。その瞬間の連続が人生を作るのだと思います。逆にいえば、経済的も教育も愛情も受けて、楽だけど自分の役割を見いだせないのは不幸かも。「何もするな」と上級貴族の奥様に収まってからそう言われて自分を失ってしまう悲劇、小説になってますね。 シベリアに咲く花も、春を待ち続けて、暖かくなった途端に人生(?)を満喫し、秋の訪れと伴に花の生涯を終えます。地中に大きくなった球根を残して。蝶もセミもそれぞれの命があり、楽しいのかどうか知りませんが、子孫を残す「永遠の鎖」のたった一つを繋ぐ役割だけは果たして。おばあさんの体を通して5人の命を作り出したんだから、それだけでも偉い。 実のある人生とは、生きた証を残す事ではないでしょうか。子供生み育てる、作品を残す、人に感謝される事をする、命を救う、地域に貢献して住人の生活を楽にする。悪行でも生きた証と勘違いする人がいますけどね。
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- skypee
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死ぬまでに考える時間があれば、「自分の人生とは何だったのか?」と最後に考え、結論を出すのはその人でしょう。 貴方や周りの人からどう見えても、本人にしかわからないんじゃないでしょうか。 「こんなに頑張ったのに、、、自分の人生はこんな形で終わるのか。。。」と思う人もいるでしょう。自分が頑張った事に対してそれなりに期待した結果が欲しかったのかもしれません。 やはりそうではなく、「色々あったけど、納得できる人生だった」と思って死にたいものです。死後のことはわからないのですから。 認知症になった人も、それまでが納得できる人生ならいいのではないでしょうか。私は「つまらない人生だった」「あいつが絶対許せない」というような終わり方をしたくありません。納得して死にたいし、そのためには納得した生を送りたいのです。 他人の死に対しても、「あの人にもっと優しくすればよかった」という後悔の気持ちを持ったまま生きたく(死にたく)はないですよね。だから、「また会うからいいや」なんて思わず「一期一会」というようにその日、その瞬間を大事にしたいものです。 他の回答にもあるように、人生に意味などないのかもしれません。(私はないと思っています) それでも意味を(死ぬ意味も含め)知ろうとするのが人間ですよね。ってことは自分で意味を見つけるなり、納得した生き方、死に方をするしかないでしょう。誰かが与える「生きる意味は、、、死ぬ意味は、、、」という答えをそのまま受け入れる(信じる)だけではなく、できる限り自分の力で知り、納得するべきかと。 もちろん、中には一生懸命働き、何かに熱中しているうちに死んでしまう人もいますよね。それはそれで考えずに(悩まずに)生を終えたのですからよいとして、考える人は何かしら答えを見つけるんじゃないでしょうか。 いつ自分の人生を振り返る時がやって来るかはわからないのですが、「答えなんてなくていいや」「答えなんて見つける暇はない!」っていうのも、それで納得できる生なのですからアリだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 返答が遅くなり、すみません。 >いつ自分の人生を振り返る時がやって来るかはわからないのですが、「答えなんてなくていいや」「答えなんて見つける暇はない!」っていうのも、それで納得できる生なのですからアリだと思います。 すべての問いに解答が用意されているわけもなく、そして人生は有限である以上、世の中に存在する無限の問いすべての答えを知ることはできない。そう考えると、回答者様のおっしゃる通り、「人生の意味とは?」という問いに対する答えも「答えなし」という答えもまたアリという気がしました。私たちの周りには多くの問いがありますし、あまりにもこの問いだけに固執するのも考えモノですね。
- strbegger-po
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初めまして。 >つらい思いをして頑張っても、 どんな善行をつんでも、 どんな悪行で周りに迷惑をかけても、 最期に待っているのは死。 一体、人生とは何なのでしょうか? 貴方様が祖母様に対するお気持ちは解るつもりです・・・。 と言うのは私の場合は両親でしたが、在宅介護から始まり、病院、施設の行ったり来たりを12年間も続けてまいりましたが去年の2月に(97歳)でこの世の人生を閉じました。母は亡くなってしまいましたが、介護はこれで終わった訳ではなく、施設生活を余儀なくされている父のお世話をしている者です。 ご相談されている内容はかいつまんで言われた一部ではないかと思います。(もっと言いたい事はまだまだ、たくさん必ずある事と思います。) >一体、祖母の人生とは何だったのでしょうか? この想いに関しては同感できますね。明治、大正生まれの(両親ばかなりではなく)、こうした厳しい時代に青春時代をすごされて来た方は“生きる”という事に対して強さをもっていますよね。母も五人の子供を産み、育てました。親不幸ばかりをしてしまった長男は50 代の若さで病死してしまいました。(言葉では語れませんが、かなり親を泣かしています。) 亡くなった長男は母親に対する態度とは思えないくらいの“言葉の暴力”、父に対しては正当なものではない“金銭、借金問題などでの親不孝・・・”親孝行らしき事は無かったのではと思います。(?) 母は、働き者で、性格も良く皆の面倒を頼まれなくてもして挙げる様な、傍から見たらそこまですること無いのに、と思われるくらい、お人好しにも拘らず、長男夫婦からの“虐め”や“罵り、相手の気持ちを逆撫でする様な行動”・・・などによく耐えて、堪えてきたと思うと目頭が熱くなる想いです。 >しかし晩年は、長男、次男、三男(私から見れば伯父)とも実家には帰ってきてもらえず、 誰が家を継ぐのかはっきりしないままでした(今でも揉めています)。 私の場合は逆で、父亡き後も自分が此処に居られるかどうかという問題があります。会社や長男の残していった借金などで、土地も建物も取られてしまう事態になりかねないという不安というより、そうした現実がおこりうる可能性が有ります。 『祖母様の人生は何だったのか。』?母に対する気持ちも同様で、“何だったのか”と考えるととても気の毒に思えてしまいます。都会での仕事も辞めて実家に戻り慣れない介護生活を続けて来られたのはやはり、随分辛い思いをしてきたに違いない母に対する“情”に突き動かされて来たから出来たのだと・・・そうとしか思えないですね。人生最後くらいは“これでもか”というほど良くして挙げたいとした思いで最後のさいごまで看取ってあげました。 お年寄りばかりの病院なり施設に通い続けていると、若い時はどんなであろうが、老いて、認知症なり身体の自由が利かなくなったり、難聴で殆ど何も聞こえなかったり、(父がそうで、耳の傍で大きな声で話さないと聞こえない状態です。)食事も介護士さんから食べさせてもらったりしている方や、寝たきり状態で、しかも声も発することもなくベットで横たわったままの方などなど・・・様ざまな状態の方たちばかりを目の当たりにしていると自分のこれからの結果を教えられている様に感じます。 貴方様も祖母様に関しては(私もそうですが)老いてからの経緯しか知らないわけですからどうしても悲壮感を感じるのは当然かもしれないですよね。最後に言ってらした様に生前、どんなに悪人だろうが、善人であろうが、最後は『死』ではないかと。 確かにそのとおりだと思います。『生老病死』、『諸行無常』こうしたことは人として産まれて来た者の宿命としか言い様がありません。 >一体、人生とは何なのでしょうか? この問いに関しては人それぞれで千差万別ではないでしょうか。その人の解釈なり、受け止め様ではないでしょうか。(繰り返すようですが・・・。) しかし、“生まれてきた”ことはそれなりの使命的なものを持って生を受けたと考えています。 ただ、生まれたとした事ではないと思っています。祖母様も若い頃は夢中になったり、胸を焦がす様な恋もしたと思います・・・。(母に対しても同じです。) 人生とは何んなのか。?“ 永遠のテーマ”ですよね。だらだらと書き綴ってしまいました。長文で申し訳ありません。最後まで読んで頂いて有難うございます。因みに父は今年103歳になります。驚きですよね。有り難いことです。
お礼
回答ありがとうございます。 返答が遅くなり、すみません。 回答者様も介護など、苦労をなさっているようで、心中お察しします。 >貴方様も祖母様に関しては(私もそうですが)老いてからの経緯しか知らないわけですからどうしても悲壮感を感じるのは当然かもしれないですよね。 言われてみると、その通りです。 私は祖母や祖父の(私より年上の人の)若い時代のことは話でしか聞いたことがありませんし、話でしか知ることができません。 >生老病死 >産まれて来た者の宿命 として、本人も周りの人間も受け入れるしかないと思いました。
- Paulus0412
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きっと、御祖母様の人生に価値を見出だそうとして見出だせず、その大きな矛盾の中で苦しんでいる状況でしょうか。 仕事で成功したり、富を得たり、みんなから慕われたりといった世間に広く浸透している社会的価値観で御祖母様の人生を見つめるならば、成功したとは言えないかも知れません。 しかし、それぞれの人生、何を持って価値あるものと判断するか、それは自分自身で決めねばなりません。当然ながら、自分の人生は自分自身のものだからです。とても苦しい事ですが、この価値選択に誰も介入することはできません。答えは自分で見つけねばなりません。 予断&僭越ながら私個人の意見を申しますと、私は社会的価値がそのまま、その人の人生の価値になるとは思っていないです。 他者が決めた世間的な価値で一体この私の何が分かり判断できるのかという強い思いだったり、どのような境遇であれ(それが自分自身の責任やそうでない場合もあるかと思いますが)それをどう受け入れるかは自分の心の持ち方次第で善くも悪くもなる、そう考えています。 まわりは違えども、質問者様は御祖母様を大好きで心から愛しておられましたか?? 質問者様がこの世界に生まれた事に一度でも感謝した事がありますか?? もしそう思われていたのなら、地味かもしれませんが御祖母様は最高に輝かしい人生を送ったと言えるのではないでしょうか。 何度も申してしまいますが、人生善し悪しの価値判断は御祖母様がされる事です。ただ、もし私であれば自分の子孫から頂いたその愛と感謝の心をもって「良い人生だった」と思いたいです。 決して派手さはありませんが、御祖母様が謙虚な方であればあるほど、自分の子孫たるお孫様の素朴な愛、素朴な感謝の心に人生最高の価値を見出だすのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 返答が遅くなり、すみません。 >しかし、それぞれの人生、何を持って価値あるものと判断するか、それは自分自身で決めねばなりません。 結局はそうなんですよね。 どれほど他人から素晴らしい人生と評価されても、本人がそう思っていなかったら、意味がないですよね。 はたして、祖母はどう思っていたのか。 1年に数日しか会えなかった自分が、祖母の真意を的確に想像はできないでしょう。 ある程度の予想で、私自身が納得するしかないのだと思います。
- karisumaunko
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僕ちゃんが何故人生とは何か考えてしまうか。 それは、人間不平等だからなのだよ。 僕ちゃんの祖母の人生が素晴らしいものであったならば、僕ちゃんはそんな考えをしないだろう。 中国で万引きをしただけで銃殺刑になったという人生を送った15歳のチベット人の女の子、たくさんの人から愛され、幸せな有意義な人生を送る人。 人生に対する定義なんてものは存在しない。60億いたら60億通りの人生がある。 考えるだけ無駄ではないかね? 人生ってなんだろうって考えるのは。60億通りもあるのだから。 僕ちゃんの人生はどうなるかな~。 そもそも、僕ちゃんのように思考してしまうのは、人間に理性があるからなのだよ。 理性がある故、哲学的思考をしてしまうのだよ。だから、死という概念が生まれ、人生という概念が生まれてしまう。 動物には死という概念はないということはご存知? 彼らはただ生きているだけだ。だから当然、彼らに人生という概念もない。 だから、動物には埋葬という行為は行われていないんだ。象には一部みられるみたいだがね。 動物に理性や哲学的思考を備え付けたものが人間だ。ただそれだけにすぎない。 つまり、そもそも、人生という概念は人間が作り出したフィクションみたいなものであって、存在しないものなんだ。 広大な大宇宙を考えてごらんなさい。 人生とは人間という生物一個体が生まれて死ぬまでの時間。 これ以上でもこれ以下でもないね。
お礼
回答ありがとうございます。 返答が遅くなり、すみません。 >人生に対する定義なんてものは存在しない。60億いたら60億通りの人生がある。 >人生とは人間という生物一個体が生まれて死ぬまでの時間。 >これ以上でもこれ以下でもないね。 そうですね。「人生」に意味を持たせようとするのは、人間の思考のなせる(人間の思考がしてしまう)業ですよね。 祖母の人生はあくまで祖母が生まれてから死ぬまでの時間のこと。 私がどういっても何ともなるものでもないですよね。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
…それを知るためにも、生きなきゃね。 そういうものだと思わない?。 考えて御覧なさい。 あなたは「後発組」なんです。 あなたの先発として、あなたのお父さんやお母さんがいる。 そのお父さんたちの先発隊として、お祖母ちゃんもいるわけ。 先発隊の人生の途中から現世に「参加してきた」のが、君だろ?。 そんな君に何がわかる?。 わかるのは「…があった」という「結果」だけ。 プロセスはわかりゃしないんだよ。 君が知りえる情報は、極端に微小なんだ。 その微小な情報だけで、他人の人生をかわいそうとか、なんだとか、そういう風に言うのはどうなのかな?。 言い方は悪いし、きついかもしれないが、私はそういうのは「不遜」だと思う。 もうちょっと大人の考え方をしなきゃいけないんじゃないかな?。 君と、お祖母ちゃんに共通してるのは「同じ人間」だ、ということ。 それ以外はまったくの別の存在。 生前仲が良くてもそう…同じじゃないし、同じだ、と思われるのは「情けをかけられる」ことではあるけど、それ以上のことではないよね?。 同情というのは、そういうこと。 でも絶対に同情では、人間は理解できないし、理解しあえない。 これは胸を張って言えるよ。 まだまだぜんぜん、人生とは何か?なんて聞く段階じゃないと思う。 悩む段階じゃないと思う。 そのまえに、自分が誰に聞かれても「こうやって生きてますよ」と話せる土台を作るのが先。 そのために自分が何をしたいか、何が楽しいか、辛いか、されたら嫌だし、するのは止そうとか、そういう一つ一つの事柄を確認しながら生きていくことだよ。 君はバトンを渡されたわけ。 バトンを渡された人間がとりあえずするのは、そこでしゃがみこむ事ではなかろう?。 前に走ることしかないでしょう?。 人生って、放棄したらそこでおしまいだ。 だから結果なんて気にしないで、走るしかないんだよ。
お礼
>わかるのは「…があった」という「結果」だけ。 >プロセスはわかりゃしないんだよ。 私は先人の膨大な「結果」の上に乗って、私の人生というプロセスを動作(?)させているということですね。 私のプロセスもいずれ死によって結果となって次世代、次々世代の人間のプロセスの礎となりますね。 私にとってはプロセスでも、他人にとっては結果でしかない。 何とも不思議な感じです。
最後は死 それが決まってるだけに 死が来るまでは生きられる生きられるから生きてる その生き方は自分で選べる どうせ死ぬまでしか生きられないのだから 自分のやりたいように好きなように出来る 何が起きるかわからない楽しみ、この先の期待、未知への可能性 それが知りたいから 世界に1つしかない人生だから それを見届けるために生きる
お礼
>死が来るまでは生きられる生きられるから生きてる そうですね。 何かのドラマで「始めるのに遅すぎることはない」というような台詞があったと思いますが、死ぬまでは生きてられますし、何かをすることができますよね。
- peri1005
- ベストアンサー率33% (610/1798)
クラシック曲のなかに、交響詩Les Préludes(レ・プレリュード)というのがあります。 「人生は死への前奏曲」という考え(アルフォンス・ド・ラマルティーヌの詩による)に基づき、1854年作曲者リストの人生観が歌い上げられているものです。 人間はこの世に生を受けてきた以上、その限られた時間の中、精一杯生きることを定められています。 苦楽は誰にでもあることです。中には苦しみの中で終わってしまう人だっていると思います。 最後は誰もが死を迎えるのは当たり前のことです。その中にあって、どうやって生き抜いていこうかと考えていくのが人生です。 満足できるものか、そうでないものかはその人次第。周りから見てとてつもなく薄幸な生涯に見えることもありますが、本人は以外にそうでなかったりすることもあります。 中途で投げ出すことなく、最後までやりとおして、最後は笑って逝きたいものだと私は考えます。
お礼
>最後は誰もが死を迎えるのは当たり前のことです。その中にあって、どうやって生き抜いていこうかと考えていくのが人生です。 >中途で投げ出すことなく、最後までやりとおして、最後は笑って逝きたいものだと私は考えます。 大切なのは、結果の死だけに執着することではなく、プロセス、そして、最後の最後が幸せであるようなことの二つなのかもしれませんね。
- nontro_08
- ベストアンサー率19% (33/173)
創価学会の者です。 >楽な方へ楽な方へ逃げても、つらい思いをして頑張っても、どんな善行をつんでも、どんな悪行で周りに迷惑をかけても、最期に待っているのは死。一体、人生とは何なのでしょうか? 善行を積んでも、周りに迷惑をかけても、確かに皆平等に死を迎えます。ですから、「真面目に生きても馬鹿らしい。人に迷惑をかけてもかまうものか。自分のやりたいことをやって生きて死ねばいいんだ」という論理も成り立ちます。 しかしながら、生命は永遠です。善行の人は安らかな死を、悪行の人は苦悶の死を、それぞれ迎えざるを得ません。よくキリスト教などでも「最後の審判」などといいますが、死は人生の総決算です。自分が生きてきたようにしか死ねないのです。「やめたければいつでも(会社を)辞めろ」と、いいように社員を酷使して、自分だけは遊蕩三昧で面白おかしく過ごしてきたワンマン社長が、その最後は病に倒れ、親しい友もなく「金、金」とうめきながら虚しい一生を終えたという、惨めな例を私は知っています。 そして、次の生には、自分が過去世に行なった行為にしたがって、幸福に生きれる人もいれば、苦しみのどん底で生きねばならない人もいる。そういう差が生じるのです。現在の社会でも、幸福な人、そうでない人、様々な差が見られますね。これは過去世の行為による差です。永遠の生命は、実に厳しいのです。 この世では、悪いことをする人間も大勢いますが、良心に従って正しく生きる人もまた多くいます。そういう人は心の奥底で、そういう生命の永遠のような、何か自分の行為を律さねばならないような何ものかを感じているのでしょう。 結局、人生というのは、自分がこの世で果たすべき使命を持って生れ、そして生きるということだと思います。貴殿の祖母様も、最後は不幸だったかもしれないけど、子どもを立派に育て上げるという平凡なことではあるが、そのように社会に貢献し、使命を果たしたのだと言えるのであり、決して無駄な人生を過ごしたとはいえません。生命の永遠からいって、次の生も人界に生れられるはずです。些細な事情で自ら命を絶ったり、人生の不幸に押しつぶされてやけくそになり、無差別殺人などを犯すような者より、はるかに価値ある一生といえます。彼らの来世は、間違いなく地獄界となるからです。 また、親に冷たかったという子息のほうは、因果の理法で、次は自分がそのまた子息から冷淡に扱われるかもしれません。 最後に、押し付けがましくて恐縮ですが、「何か自分の行為を律さねばならないような何ものか」とは、宗教心といえます。その宗教心とは、我々の目には見えないが、この宇宙を運行させている確かな力を意識することといえます。その宇宙の力に則れば、正しい人生を生きることができるのではないでしょうか。
お礼
>しかしながら、生命は永遠です。 回答ありがとうございます。 そのような考え方もあるとは思いますが、どうしても自分では理解できません。 このような時、日ごろから何らかの宗教に入っていれば多少は心の整理がつくのかもしれませんが、 あいにく無宗教だった自分は、この場では、どう取り繕っても宗教に心の平穏を求めることはできないようです。
- axia64.blogspot.com axia64.blogspot.com(@axis64)
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精神の歪解消または歪に対症療法
お礼
確かに、歪みが原因ならその歪みを治すのがベストですよね。
- simonmagus
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ひとつ言えることはあなたが亡くなった祖母の人生の足跡をどれだけなぞろ うが、祖母の胸の内は誰にもわからぬものなのです。 ですから悪戯に広い家に一人だけで寂しそうだとか、相続での骨肉の争いに 情けない思い可哀想だとか不幸だったとかのつまらぬ同情や理解はしては いけません。 祖母を哀れむことは、祖母の人生を否定してしまうことになります。 >幼いころに養女に出されて~肺炎をこじらせて帰らぬ人となりました。 あなたの祖母の人生には養女に出された後にも華やかな娘時代があり、今の 時代とは違っても、その時代なりに熱いときめきや夢や楽しさがあったはずです。 戦争にしても確かに不幸な時代だったでしょうが、私の母も戦争を振り返って、 あんな時代だったからこそ真の友人や他人のために必死で頑張れたんだと言い ます。(すべてが悲惨だったわけじゃなくて、辛い中の楽しさが何倍も光り輝くよう) 5人の子供が幼かった頃はささやかな親子の団欒が何よりだったかも知れない じゃないですか? 認知症になった祖父に対しても、祖母は愚痴や不満も出たか は知りませんが、返事はなくとも祖父に語りかけたりしていませんでしたか? あった出来事、その事実だけで人の幸福か不幸かは決まりません。 その時に誰が傍にいてどんな会話を交わして何をしたかで変わるものです。 どんな人生であっても辛いだけだったり、幸運の連続だったなんてことはありません。 辛いこと、楽しいこと、ありがたいこと、すまなかったこと、後悔、幸運、達成感、喜び、 悲しみと瞬間瞬間に様々な心を紡いでいます。 その人の長く積み重ねた人生をその人の物語だとして、単に目次のサブタイトルを見て 年寄りの不幸物語だと思わないでください。 その物語の奥にはラブロマンスも悲劇も ドタバタコメディーもサスペンスだって書かれているかも知れないんですから。 人生とは何かなんて言葉を多くの人が様々な言葉で語っていますが、生まれてから死ぬ までの自分が生き抜いた日々が後に誰かに人生と呼ばれるのではないでしょうか。 今日という日も誰かにとって何かを得る最良の日になり、誰かにとっては全てを失った最悪 の日になるのです。誰かの命日に泣く人があれば、誰かが生まれて祝う人もいる。 誰かの人生では記念日であっても誰かの人生では厄日として記憶されてしまうもの。 人生が何であろうがかまわないじゃないですか?最後に待っているのが死だけなら何もしない で何も考えないで残りの日々を生きられますか?人生が意味あるものなら頑張って、意味の ないものなら手を抜きますか? あなたの人生の意味は最後に誰か(妻か子)が遺影に 向かって話してくれるでしょう。 最後に私はあなたの祖母の人生は価値あるものだったと思います。 養女に出された幼い頃から激動の時代を駆け抜けながらも5人の子供を育て上げて 認知症になった主人の介護を全うして先に送り出して、子供が争うほどの財産を残して おいて旅立ったのですから、この世に何の悔いがあるでしょう。 彼女は己のなすべきことを全てなしたのですから。 さぁ、これからあなたが為すべきことを見つけて為す番ですよ!
お礼
>祖母の胸の内は誰にもわからぬものなのです。 >ですから悪戯に広い家に一人だけで寂しそうだとか、相続での骨肉の争いに >情けない思い可哀想だとか不幸だったとかのつまらぬ同情や理解はしては >いけません。 そうですよね。 祖母の胸中は結局祖母にしか分かりませんよね。 >彼女は己のなすべきことを全てなしたのですから。 祖母もそう考えてくれていると良かったと思います。
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お礼
>少なくとも、ものすごく人の為に働いた人ですね。痛みや心配があっても生きている実感は大きかったでしょう。 そう言っていただけると、祖母も自分の人生に納得して逝ったのではないかと想像できます。あくまでも私の中の想像でしかありませんが、私自身は納得できました。 --------------------------------------- この場を借りて、本質問に答えていただいた皆様に改めてお礼を申し上げます。 祖母が急逝し、心の整理がなかなかついていない時に、「すぐに回答ほしいです」の分類で、勢いで立ててしまった質問に温かい回答をしていただき、ありがとうございました。 実生活の都合などから、お礼が遅くなってしまった点、失礼いたしました。 皆さまからの回答で、「人生とは何か」という問いに、自分の中で一応の答えは出せたと思います。 「自分の納得のいく人生を見つけられるかどうか」 言葉に表すとありきたりな言葉になってしまいますが、私の心の中では、納得したうえで、この言葉を理解できたと思います。 このような納得ができたのも、皆さまからの回答によるものです。 けじめとして、本質問を締め切りたいと思いますが、ベストアンサーとしてお一人を選ばなければならないようです。 個々人の方それぞれの回答にさまざまな思いを感じたため、「この人が一番」というものは決められません。そのため、便宜的に最新回答者であるBeagleboy様を選ばせていただきます。 皆さま本当にありがとうございました。