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中国で象形文字が発祥した経緯

文字には象形文字と表音文字がありますが、 中国の文字が象形文字(漢字)として発展を遂げた理由は何でしょうか? 今は簡素化されていますが、昔の漢字は非常に複雑で難しいです。 表記するのにも、読むのにも習熟を要します。 なにか特別な理由があると思うのですが……。 よろしくお願いします。

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  • tanuki4u
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回答No.3

まず、象形文字としては、エジプトにもあります。 なので、質問者の質問は、「中国でだけ表意文字体系が残ったのはなぜか?」と言い換えることができるかと考えます。 残ったのは、使い手である官僚(≒土豪やら豪族やら)が継承されたからだと考えます。 エジプトの文字でもヒエログリフ(神聖文字)なんてのは、表意文字で、めちゃくちゃ(現代人の感覚で言うと、読みづらい) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95 専門家である神官が書いて、読んでいるから、難しいという問題はない。 文字の普及という時には、その時の支配体系が大きく影響するものと思う。 いわゆるアルファベットは、原シナイ文字が最古と言われています http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%A8%E5%8E%9F%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%82%A4%E6%96%87%E5%AD%97 エジプト語を理解できない異民族が、適当にエジプト文字を借用したというのがアルファベットのもとであろうと。 言い方を変えると、エジプト語がわからない奴にも無理やりエジプト語を使わせる状況ではなかった。エジプトの支配権の外にあった連中が適当に使って、それが定着した。 ※ 上記の部分で アルファベットの起源か?という部分で斜体になっているところ。 上記のオリエントの状況に対して、中国では、秦が強烈な中央集権体制を作り上げます。 その中に、漢字書体の統一というものがあります。 そして、官僚制度は、その漢字を使っての行政機関の維持が生まれます。 エジプトは行政権力として、メソポタミヤやらギリシャからの勢力によってぶっ潰れます。 使い手としての行政官僚や神官がいなくなったので、表意文字体系は亡くなりました。 それに対して、中国はなんだかんだと言って、表意文字体系を使う官僚が生き残った。

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  • Verhalten
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回答No.6

欧州ではアルファベットと言う表音文字が国際的に普及しますが、 中華圏では漢字や中国の法律や政治などを直接輸入する事になります。 欧州ではエジプト、ギリシャをはじめ、シュメール、ヒッタイトなどの 多数の民族や文化が発展しました。 ギリシャコインを持っていれば世界中で買い物が出来ました。 (当時の地中海世界) それに比してアジアでは冊封と言う中国の属国として国同士が付き合う外交が当たり前でした。 国土面積 政治経済力 軍事力 文化 日本が中国に「朝貢しなくても良いのでは?」 こう判断するのは菅原道真の時代です。 中華圏の世界では中国の影響が今も根強く残っているのです。 東京とは、ベトナムのトンキンの事です。

  • mekuriya
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回答No.5

中国の文字が象形文字として発展を遂げたというよりも、中国だけが表音文字が全く発展しなかったということなのです。その理由はなにか。ひとつは中華思想です。東夷、北狄、西戎、南蛮に対し文化的に優位に立つ為に異民族に簡単に使いこなせない文字が必要だったのです。大人しく貢物を持って来れば、ありがたい金印を授けるぞという上に立つ為には文字を独占することは好都合であったわけです。もうひとつは支配階級が人民を統治する為に支配階級だけが文字を独占することが好都合だったからです。 このように漢字は支配階級が独占したツールとして機能してきた歴史があります。それは漢字文化圏の朝鮮、日本、北ベトナムなども同様です。ただし日本だけは比較的早い段階で、ひらがな、カタカナという表音文字が発明されて文字が階層を越えて普及しました。日本だけは支配階級が文字を独占しようとしなかったのです。 漢字は7万種とも8万種ともいわれる膨大な文字種が存在します。しかも画数が多く複雑極まるので読むのも書くのも大変です。そんな漢字を使いこなせたのは、ほんの一握りの知識階級だけだったのです。一握りの知識階級が大多数の文盲の人民を統治する為には、難しい文字ほど好都合だったということなのです。中国の幾多の王朝は農民反乱で滅びました。しかし王朝を倒しても反乱を指導した農民が新しい王朝を建てた例はひとつもありません。文字を知らなかったから新しい統治機構を作ることができなかったからです。 元や清がどうして圧倒的大多数の漢民族を支配できたのか。それはモンゴル族、女真族がそれぞれ独自の文字を持って騎馬遊牧民族を支配できて、勢力をまとめることができたからなのです。 識字率100%の現代日本人は、文字が持つ、そういう力を知りません。人が人を支配するのは決して武力なんかじゃありません。それは文字の力なのです。現代日本人でも、ひとにぎりの人はそれに気がついています。そういう人が官僚やマスコミを目指すわけです。 中国で圧倒的大多数の農民が文字を持ったのは中国4000年の歴史において、中国共産党が簡体字を創案した1960年代以降のことに過ぎません。文字が普及したから、一方で民主化要求が生まれるという弊害?もありますが。 ちょっと余談かも知れないが、台湾には中国共産党の支配が及ばなかったので、いまだに繁体字を使い続けています。普通教育を受けていない高齢者はやはり識字率も低いです。繁体字を使い続けているといいながら台湾でもやはり教育部が文字種を制限して、異体字も整理しています。 日本は戦後の国語改革で教育審議会によって旧字体を新字体に、歴史的仮名遣いを現代かなづかいに改めています。 漢字文化圏と呼ばれる朝鮮、日本、北ベトナムにどうして漢字が伝わったか。それは仏教の経典を通してのことです。朝鮮、日本、北ベトナムに共通するのは中国が漢字に翻訳して書き直した仏教の経典を移入したことです。漢字を習得したことで東夷、南蛮と蔑まれる立場を卒業することができました。 中国独自の理由としては方言の差異を超越して統一王朝を構築するためには漢字が好都合だったということも挙げられる。狭い日本でさえ方言の違いが大きいのですから、広大な中国ではなおさらのことです。表音文字では方言を乗り越えて意思疎通することは難しい。 私からはここまでにしておきます。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

1。  文字には象形文字と表音文字がありますが、     おっしゃる通りです。 2。  中国の文字が象形文字(漢字)として発展を遂げた理由は何でしょうか?     象形文字は中国の漢字のごく一部です。象形以外に会意文字、形声文字なども作り足す必要が出来たのは数が不足したからでしょう。     表音文字はその言語の音の数(せいぜい40)ですみますが、表語文字(象形も一部重なります)はその言語の語彙数(少なくとも1,000)必要ですから、足りなかったのだと思います。 3。なにか特別な理由があると思うのですが……。     いくつもある方言(実は同系ですが北京語、広東語など、れっきとした別言語)を「同文」のグループとして纏めるのに至極便利だからでしょう。会話は通じなくても「筆談」は通じます。 4。文字の細かい区分けなどは下記などをご覧ください。     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%AD%97

noname#175206
noname#175206
回答No.2

 漢字は他の古代文字と同じく表意文字といわれますね。  表意文字とは1字がある音を表す表音文字に対して、1字がある観念を表す文字です。たとえば漢字の「日」は太陽の観念を表すなどです。  しかしより厳密に言うと、漢字は表意文字というよりもむしろ表語文字とするべきかもしれません。  これは、「日」は直接太陽の観念を表すというよりは中国語の単語 ri または日本語の単語 hiを表すと考えたほうが便利であることがあります。  もっとも「日」の例ですと、この文字の古形冥は太陽を象徴していたので「表意」と言えますが、たとえば「鯉(こい)」のような文字になると、この文字自身からはただ「魚」に関係があることが言えるだけで、表意はこの場合は不完全・曖昧です。 「鯉」は中国語の li(日本語なら koi)という語を表すにすぎません。この表語性という点では漢字は他の古代文字に比していっそう徹底しています。  と言うのはエジプト文字ではその中にすでにアルファベット的使用も見られますし、メソポタミアの文字には音節文字的用法も認められるに対し、漢字では1字1語の原則が貫かれています。  表音文字では1字は1音ないし1音節(場合によっては数音ないし数音節)を表し、その結合によって語を示しますが、いちいちの漢字はそれぞれの語を表し、その語を構成する音の表記という点では1音節全体を表し、音構造は示しません。  たとえば英字の m は音素/m/を表しうるが、それ自身ではなんらの語も示しません。これに対し漢字の「人」はなんらの音素も表せませんが、それだけで ren(人)という中国語の語全体を表します。  つまり漢字は表音的にはきわめて非能率的です。しかし各字が各語を直接に表し、したがって1字1字が個性をもっている。この1字1語1音節の原則はどうして成立できたかというと、それは中国語という言語の性格に基づいています。  中国語は単音節・無構造・孤立語の類型に属する言語です。すなわち中国語を形成する語は原則として単音節から成り、しかも各語は形態論的構造をもたず、したがって文構成に際して孤立的です。  もっとも単音節性は現代中国語では必ずしも守られていないが、古くさかのぼればさかのぼるほどいちじるしくなります。このような単純な形態をもつ語を示す文字がその語を分析的に示さず、語を全体として表したのもきわめて自然です。  ことに1語の形態が単音節から成るという特色はその語を示す文字を独立した1単位とするに有利でした。こうして1語はそれ自身に固有な文字をもつに至りました。  もっとも中国語の語彙の中には、もともと2音節から成る語も存在しました。たとえば朦朧というような擬態語は多くの場合2音節でしたが、この種の語は全体もしくは部分的重複を本質とし、したがって容易に2単位すなわち2音節に分析できたので、1字1音節の原則に触れることはなかったわけです。  このようにして各語はそれ固有の文字を占有する結果として、だいたい語の数だけ文字があるということになり、文字の数はおびただしいものになりました。また一方ではこの文字はその表す語の音韻構造を分析的に示すことがなかったため、語の音韻形態を示すことが無効か、また不完全で、その結果音からは遊離してしまい、語の音韻変化が行われても、その変化から超然とし、したがって文字は言語変化を超越して固定するに至り、かかる文字でつづられる文語が、ほとんど視覚的言語として2000年に近い長い年月にわたって使用されるという特異な現象を示しています。  こういう流れになったのは、何故かということですね。これは言語類型論や言語系統論などといった言語学が現在も解明を進めています。  古代エジプト文字(ヒエログリフ:聖刻文字)、メソポタミアの楔形(くさびがた)文字、インダス文化にみられる原始インド文字(インド系文字)、その影響下に成立したらしいヒッタイト文字といった古代文字はいずれも象形文字ですが、印欧語圏の成立が進むにつれて表音文字化して行っています。  これは後の印欧語圏内にある各文明が、時代を異にすることもあれど、地続きで交流したため、異言語を自文化の文字で表す必要に迫られたためではないかと思います。  一方、古代中国文明は周辺から突出して発達し、比肩しうる他の文明との接触が、あまりありませんでした。中国を囲むように連なる文化圏では、独自の文字(おそらくはこれらも象形文字)を発達させるよりも、発達した中国の文字を取り入れる方が容易かったし、中国との密接な交渉が不可避でしたので、そのせいもあって漢字を取り入れて行ったものと思われます。たとえば日本古代の万葉仮名は、漢字を表音文字として用いています。  そうなると、中国古代王朝・文化としては他の文化圏の言語を、自国・自文明の文字で表す必要性が無くなってきます。なにせ、周囲が合わせてくれるわけですので。  これは、西方の文化圏のような、文字についての共有の必要性などの圧力が無いことになります。生物で言えば、偶然現れた強力な生物種が、天敵等の淘汰圧の無い環境で孤立した進化をしたようなものです。  ようやく東西の交流ができてきた頃には、西方は西方で整った表音文字体系を持っており、中国では国ごとに差はあるとは言え、それらの数少ない文字種を導入すれば、事足りたわけです。  ようやく最後の王朝である清朝末期になって、対等に西洋に学び、これと渡り合う必要性が出てきましたが、もちろんそのころには文字体系は変えがたく確立してしまっていたことは言うまでもありません。  ただ漢字数が膨大になることは、まず識字率の向上には妨げとなります。しかも字体が複雑です。何かを学ぶ前に膨大な数の複雑な文字を覚えなければならないことは、文明を国内に行き渡らせるには不利に働きます。  日本では早くに仮名文字、朝鮮半島では李氏朝鮮時代にハングル文字で、その困難の壁を低くしました。日本の明治維新以降では、漢字も仮名も廃して、ローマ字表記を公用文字にしようとする論さえありました。さすがに文化に密着した漢字が廃されることはありませんでしたが。  中国では、せめて字体の煩雑さだけでも減らそうと、簡略化した字体(簡体)の導入が試みられています。そうしたことは、清朝以前にも王朝交代時期にはあったことなのですが、それは自然にそうなってきたもので、現在の国定の簡体字とは趣が異なります。私ごときでは判断は出来かねますが、国定の簡体字は必ずしもうまく文化の文脈に溶け込めていないとも聞きます。

回答No.1

基本的に絵画的に表現される象形文字は、人類においては普遍的にみな象形文字から出発していると考えられていると思います。 そして、中国の伝説として伝わる「伏ギ(庖犠氏)」という皇帝が「八卦」という占いに出た結果を、文字として表現したという伝説や、蒼頡という人物が鳥獣の足跡から思いついて文字を作ったなどの伝承もあるようですが、やはり伝説にすぎない部分はあります。 ですから、漢字とよばれる象形文字は、自然発生的に生まれ、長い年月をかけて工夫しながら、現在にいたっているということしか言えないとは思います。 そして、その工夫の結果として、アルファベットのような表音文字に分化する場合と、象形文字を整理集積しながら洗練させてゆくという場合の、主に2つの系統が人類に存在したのでしょう。 ではなぜ象形文字を洗練させる道を古代中国が選んだのか?については、現在確認される中国最古の文字である「亀甲獣骨文字(甲骨文字)」事からも憶測できるように、古代中国、特に殷王朝中期あたりにおいては、文字というものが人と人の意思疎通の利便のため以上に、人と鬼神の間にある意志疎通に使われる事などから、字そのものが天意を授けるといった具合の権威が付与された面もあると思います。 神のお告げについては、欧州などでは聖書といった文章にて伝えますから、その文章を解読するために必要な法則性が簡単である方が望ましいですよね?神の声を聞くのはキリストやムハンマド(イスラム)などの預言者であり、その予言者が人々に神意をつたえるといった宗教文化が存在する関係上、文字の利便性は追求されるべきものでしょう。 半面、殷王朝などにて行われる土俗的祭司による神意の受容。例えば亀の甲羅を火であぶり神意を占うという具合に、神からダイレクトに甲骨文字といった文字という形をもって、神意が伝えられる場合にあっては、そのような神が作りし権威ある「文字」というものを利便性のみを追求して改変する事は憚られたのでしょうね。