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戦史について、聞きたいことがあります・・・?

ネットで、大学での討論の題材を調べていたら、こちらを見つけました。 答えていただけるか、わかりませんが・・・、もしよろしければ教えてください。 「指揮官 山本五十六」はアメリカの戦闘機に打ち落とされたそうですが、 指揮官は前線に行くべきか否かという題材です。 僕はメリット:前線の様子が一目瞭然、前線の兵隊さんの士気が上がるなどが考えられます。デメリットは何なのでしょうか? 結局、死んでしまったことは戦争の歴史上、どういう意義があるのですか?

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  • been
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回答No.4

兵法の本は、兵法を知る者でないと正しく理解できません。生兵法は怪我の元、と昔から言われています。 一般論として、指揮官は前線に赴くべきです。なぜなら、現場を知らずして適切な命令を下すのは不可能だからです。 ただし、同じ「前線」という言葉であっても、連合艦隊司令長官(最高指揮官)の立場で赴くべき前線と、下級指揮官が赴くべき前線は、自ずと違いがあります。また、連合艦隊司令長官は当時の海軍総司令官なので全ての作戦水域に責任がありますが、一人の人間がこれらを全て自分で確認することは不可能です。要は、自分が適切な命令を下すために必要な情報、特にその中でも重要性の高いものは自分の目で確認するべきであり、自分で行く余裕がなければ信頼するに足る部下(参謀)を派遣して確認させなければならない、ということです。 前線に赴いて戦況を確認するのは指揮官の当然の責務なので、デメリットはありません。可能な限り行うのが当然です。 ※ 陸軍の話しですが、朝鮮戦争の英雄である韓国の白(パク)元将軍は、大東亜戦争当時の日本軍の欠点として上級指揮官があまりにも現場を知らないことを挙げています。将軍は師団長として自ら突撃の先頭に立った経験があり、また、将軍と共に戦ったアメリカ軍には自らバズーカ砲を担いで北朝鮮の戦車を追い回した師団長さえいたのです。 視察の途中で戦死したのはアクシデントであり、不運でした。決して必然ではありません。暗号を解読していたとしても、航空機に登載できるレーダーがなかった当時、広い大空で長官機を発見することは幸運と偶然に頼るしかないのですから。 ただ、その視察が本当に必要だったのか、という観点からは検討の余地があります。あの時、あの場所へ最高司令官が自ら行く必要が本当にあったのか、ということです。これを検討するためには、当時遂行されていた作戦計画を評価できるほどの高度な知識が必要になるでしょう。

yy0809
質問者

お礼

ありがとうございます。でも、前線で部隊の実情を把握することも指揮官には必要ですよね・・・?

その他の回答 (4)

  • toro321
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回答No.5

山本五十六は連合艦隊の司令長官でした。 これは会社で言えば第一製造部長のような地位。 会長は天皇で、社長は首相ですよね。 常務会にあたるのが大本営で、戦争遂行は営業部になりますか。 基本的に作戦を考えるのは大本営の海軍部です。 連合艦隊の司令長官はその遂行実務の責任者に過ぎません。 ですから、作戦遂行に必要な行動はやらなけばいけないと言う事になります。 指揮官と言う定義は、役職者と置き換えると、課長クラスも指揮官ですね。小隊長の少尉クラスも指揮官です。戦争中期において、この下級指揮官が不足したことは有名です。なぜなら、陣頭指揮で損害が激しいからです。 兵は短期の養成で作れますが、将校は兵学校(士官学校)など教育しないと養成できませんから。 その意味では、陣頭指揮は避けるべきなのかも知れません。 ただ、連合艦隊は陣頭指揮が伝統ですね。 旗艦には必ず長官が乗ってるわけです。 つまり、相手の弾が最初に飛んでくるところに身を置くのが海軍の伝統であったわけです。 艦隊決戦がなくなり、航空決戦に移行したため、山本元帥はその陣頭に立ちたかったんじゃないでしょうか? 作家の阿川弘之氏は、あの指揮は自殺ではないかという推論を「山本五十六」で書いてますが、それも否定できないところですね。 安全な後方にいて指揮するのがいいか、陣頭指揮がいいか、微妙な問題だと思われます。

  • 918BG
  • ベストアンサー率48% (476/984)
回答No.3

> 指揮官は前線に行くべきか否か 一般論として指揮官が前線に行くべきかどうかという話しなら、答えは否です。しかし、大平洋戦争において、補給線が伸び切り戦線が膠着したソロモン諸島への前線視察の場合には、それなりの意義が有ったと思います。 アメリカ軍のP-38ライトニング戦闘機に撃墜されたというのは、表面的な現象にすぎません。実際には暗号無線通信をアメリカ側に解読されていて、前線視察の計画を事前に知られていた事の方が本質的な問題でした。 > 死んでしまったことは戦争の歴史上、どういう意義があるのですか? 山本五十六という人物は、戦前に駐在武官として米国に赴任していたことがあり、日本軍の上層部の中ではめずらしくアメリカ人の物の考え方やアメリカ社会(産業・経済・世論等)について豊富な知見を持っていました。アメリカと戦う上で、敵の心理や可能性の高い戦術を察知できる能力を、他ならぬ連合艦隊司令長官自身が持っていることは、大きな強みになっていたと考えて良いでしょう。 孫子の兵法によれば、敵を知り己を知れば百回戦ってもあぶなげ無く勝てるが、敵を知らずに戦う事は極めて危険な事であると戒めています。 山本五十六が戦死した後の日本軍の作戦行動を見ていると、頭にダメージを受けて判断力と反射神経が低下したボクサーが、気持ちだけ空回りするものの、余裕のある相手から好きなようにパンチを浴びている様子と重なって見えます。

  • apple-man
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回答No.2

>指揮官は前線に行くべきか否かという題材です。  武田信玄がやっように、孫子の兵法によると 大将(指揮官)は、動かざること山のごとし ですから、前線にいったりしてはいけないはずですが。  中世ヨーロッパの習慣だったと思うのですが、 決戦前夜、指揮官は身分を隠して前線に 趣き、兵士と共に語りあうというのがあったと 思います。シェークスピアの作品のどこかに そんな話があったと思います。 >デメリットは何なのでしょうか?  タイミングを間違えると、指揮命令系統を 指揮官が信じていないと部下に思われて しまう点でしょう。例えば部下がうその 勝利報告をしているとか・・・  ですから上にあげたヨーロッパ例では 指揮官は身分を隠しているのだと 思います。

noname#30871
noname#30871
回答No.1

 デメリットは、指揮官 >アメリカの戦闘機に打ち落とされ るような危険が生じることです。  そのことによって、 ・指揮系統の混乱 ・優秀な指揮官を失うことによる戦闘力の低下 ・士気の低下 を招くことになります。  「そんなのは当たり前だ、わかってる」なんて言わないでくださいね。

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