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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:山本五十六は臆病な軍人だったのか)

山本五十六は臆病な軍人だったのか

このQ&Aのポイント
  • 山本五十六は臆病な軍人だったのか。日米戦争での行動から考察する。
  • 日露戦争では東郷平八郎連合艦隊司令長官の指揮が勝利に繋がったが、日米戦争での山本五十六の行動は異なる。
  • 山本五十六の臆病な行動は、海軍の人事システムに問題があったことを示唆している。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.10

敗戦の原因? 大本営陸軍部と海軍軍令部という二つの最高司令組織を並立 させていた事。 戦争と言う国家総力戦において頭が二つ・・・ 船頭が二人いたのですよ。飛行機も電探も二重開発・・・ 余裕の国ならともかく低工業国の大日本帝国では致命的失策。 町工場で親方が二人いる事態。小さな会社で二人の社長・・・ うまく勝負に勝てるはず無いよね。 頭が一つならアメリカへの攻撃は行なわず南方占領を実現。 陸軍は重慶占領作戦を遂行し大陸確保。海軍はソ連攻撃に そなえ海上封鎖、陸軍のソ連攻撃に航空支援で共同。 大陸とソ連占領地における権益を基にアメリカから軍備、資材 の購入を実現。ソ連を西方に進撃しウラルまで到達する。 アメリカとの大戦争さえ起こさなければ日本の好機だったのだ。 戦争敗北の要因は戦闘の勝利でも何にも得られない海の戦い。 敵の艦艇をいくら沈めても一円の儲けにも成りはしない。 大局で見る戦争なら儲けの無い海軍戦を避け儲けの在る陸軍戦。 儲けの無い戦いをすれば国は疲弊し滅びるのだ・・・・・

hinode11
質問者

補足

素晴らしいご意見です。わたしも、海軍が戦域をハワイまで広げたのは致命的な誤りだと考えています。 >大本営陸軍部と海軍軍令部という二つの最高司令組織を並立させていた事。 戦争と言う国家総力戦において頭が二つ・・・船頭が二人いたのですよ。 それは言えます。平時は陸海軍並立でも良いが、戦時には、海軍は陸軍の下部組織として位置づけ、陸軍が全日本軍の主導権を握らなければなりません。 政府も同じで、平時は陸軍大臣と海軍大臣が居ても良いが、戦時には、海軍大臣を廃止すべきでした。 >飛行機も電探も二重開発・・・ 核兵器も二重開発でした。もし、陸海両軍の核兵器開発プロジェクトが一元化されていれば、日本はアメリカよりも先に原子爆弾を製造して、ロス・アンゼルスあたりに投下してたかも・・ そうすれば、アメリカが無条件降伏したかも・・

その他の回答 (14)

  • qazwsx21
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回答No.15

真珠湾攻撃、ミッドウェー作戦、山本長官が陣頭指揮するほどの作戦ではなかったのではないでしょうか?ミッドウェー作戦の大和は、行かないと論功行賞で勲章もらえないからくらいのノリだったようです。 おかしな人事なら南雲さんのほうで、飛行機の運用は全くのシロウト、源田参謀の言いなり機動部隊でした。兵学校の卒業順だったのでしょ。 6機の護衛で前線視察に赴いたのは、死に場所を探しに行ったとも思えますね。

hinode11
質問者

補足

>真珠湾攻撃、ミッドウェー作戦、山本長官が陣頭指揮するほどの作戦ではなかったのではないでしょうか? そういう見方もあるのですね。 >ミッドウェー作戦の大和は、行かないと論功行賞で勲章もらえないからくらいのノリだったようです。 南雲忠一中将の「赤城」が率いる空母機動部隊の後方、300キロメートルの安全な海域にいた戦艦「大和」の山本五十六は、長官室で将棋を指したりしていました。 ところで、空母「赤城」の通信傍受隊と偵察機が敵空母の捜索していたとき、戦艦「大和」の通信傍受隊が既に敵空母の位置をキャッチしていたにも拘らず、「赤城」の南雲に知らせませんでした。山本が無電を発信するなと命じたようです。もし発信していれば、ミッドウェー海戦の惨敗はなかったのに、と悔やまれます。 >おかしな人事なら南雲さんのほうで、飛行機の運用は全くのシロウト、源田参謀の言いなり機動部隊でした。兵学校の卒業順だったのでしょ。 南雲忠一中将は、真珠湾奇襲作戦に批判的だったようですね。 >6機の護衛で前線視察に赴いたのは、死に場所を探しに行ったとも思えますね。 私も、そう思います。

  • ithi
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回答No.14

hinode11さん、こんにちは。 そうですね。日露戦争に勝利してそのおごりから、もう日本に対する脅威がなくなったと錯覚していたのかもしれませんね。俄然緊張感がなくなり、事なかれ主義が横行しだしたのでしょう。ある意味こういう組織にはうるさ型の人材は煙たがられて出世ができません。そこそこの実績さえ残せば、クラスヘッドは無論、次の階級に上がれるし、不祥事は困るというような組織になったと思います。たとえば、戦争が遠のくと、次の問題は予算です。つまり、戦争で勝利する計画よりも政府からいくら予算が増額されるかによって出世が決まってくるようになったのです。

  • jkpawapuro
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回答No.13

>山本長官が視察のために一式陸攻の乗ってラバウル基地を発進したとき、長官機を護衛するために同行したゼロ戦は、何と6機に過ぎなかった。この、異常に少ない護衛機数をどのように解釈するのか。連合艦隊司令長官が最前線を視察するのに、ですよ。 あまり大軍ひきつれて動くと、相手にこちらの動静を察知されて移動中もラバウルも相手の猛攻にあいます。 まああえてそうやって敵を引きつけて戦うのもありでしょうが、それだと視察じゃないですしね。

  • eroero4649
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回答No.12

まず山本提督臆病論ですが、それは失礼ながらトンチンカンです。なぜなら、他ならぬハワイ奇襲作戦そのものが臆病者ではとてもできない作戦だったからです。 敵の本拠地に虎の子の空母主力をすべてつぎ込むなんてのは一か八かどころの騒ぎではない超万馬券狙いの大作戦で、もしアメリカが事前に察知して待ち伏せをされたらそこで機動部隊は全滅、開戦1日目にして敗北が確定するというとてつもないリスキーな作戦だったのです。 だから、軍令部はハワイ奇襲作戦を一度却下しています。理由は「あまりにリスキー」だからです。しかし常々「俺ァ海軍辞めたらモナコに行ってバクチ打ちになるんだ」と公言するほどにギャンブル好きだった山本提督がゴリ押しして実現しました。 山本提督よりはるかに「慎重な」タイプである南雲提督はそのハワイに行く道すがら草鹿参謀に「僕はとんでもないことを引き受けてしまった」と現場の独断による作戦中止を示唆して草鹿参謀に「今さらそういうことをいわないでください」と引き留められたのです。 戦国武将の蒲生氏郷は大変に勇猛な武将で、新しい家臣がやってくると「戦場では鯰尾の兜を被った武将が先頭に立っているからそいつに遅れないように」といっていたそうですが、その鯰尾の兜を被った武将こそが氏郷本人だったのです。彼はいつも戦場の先頭に立っていました。 天下人になった豊臣秀吉が、家臣たちに「(織田)信長さまと蒲生氏郷が合戦をしたらどっちが勝つと思うか」と問いました。秀吉の答えは「信長さまが勝つ」。その理由は「もし1万の兵のうちの2千の損害があったら、氏郷はその2千の中に入っている。しかし1万の兵に8千の損害が出ても信長さまはその中に入っていない」でした。 スポーツチームも、企業も、強い組織は役割分担がしっかりしていて監督や社長(CEO)は後ろでどっしりと構えています。指揮官が先頭に立たないといけないのは若い組織のときくらいです。 かつてはラリー界で常勝軍団であったスバルもラリーから撤退する寸前は低迷しました。そのときにテレビ局がチームに密着していたのですが、その番組の中で、あるレースのとき監督が自らタイヤを削る作業をしていました。私はそれを見て「ああ、こりゃ低迷するチームだな」と思いました。 監督にはもっと考えるべきことや決断すべきことがあります。エネルギーはそこに注ぐべきで、タイヤを削るような仕事は部下に任せて監督がやる仕事ではありません。 戦争に勝ったアメリカ海軍の連合艦隊司令長官的な立場にいたのが、ニミッツ提督です。ニミッツ提督は、戦争を通じてただの一度も前線で自ら指揮を執ることはせず、ずっとハワイの基地にいました。さて、これを質問者さんは「臆病」だと思いますか?もし彼が臆病なら、その臆病な彼を大抜擢してずっと司令官にし続けたアメリカ海軍の人事システムは、なぜ敗北を招かなかったのでしょうね?

hinode11
質問者

補足

>………ニミッツ提督です。ニミッツ提督は、戦争を通じてただの一度も前線で自ら指揮を執ることはせず、ずっとハワイの基地にいました。さて、これを質問者さんは「臆病」だと思いますか?もし彼が臆病なら、その臆病な彼を大抜擢してずっと司令官にし続けたアメリカ海軍の人事システムは、なぜ敗北を招かなかったのでしょうね? 物量に勝るアメリカ海軍だから、ニミッツ提督のやり方でも勝てたのです。日本海軍の山本長官の場合は、陣頭指揮を執るべきでした。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.11

hinode11さん、こんばんは。 そうですね。40年くらいの間に戦争のやり方が変化したのです。通信能力の発達で後方にいても指揮ができるようになったからです。ただ、日露戦争の時と違って多大な損害を覚悟して敵を殲滅するような精神がかけていたというのは本当だと思います。「山本五十六は臆病だったのではないだろうか。」これは山本五十六だけでなく、これは日本海軍が組織的目的がなくなり、完全な官僚体質になってしまったということを指しているのだと思いますが、当時の日本海軍全体に蔓延していた体質だと思います。

hinode11
質問者

補足

>日本海軍が組織的目的がなくなり、完全な官僚体質になってしまったということを指しているのだと思いますが、当時の日本海軍全体に蔓延していた体質だと思います。 同感です、海軍だけでなく陸軍もそうでした。 この「官僚体質」はどこから来るのでしょうか。

  • mm058114
  • ベストアンサー率30% (102/337)
回答No.9

NO8です。 間違えました。 吉田善吾ではなく、塩沢幸一か、島田繁太郎です。

  • mm058114
  • ベストアンサー率30% (102/337)
回答No.8

山本五十六を別段臆病者とは思いません。 ただ、適材適所という意味では、開戦時の連合艦隊司令長官より、他に仕事があったとも思います。 山本が連合艦隊司令長官になったのは、軍政家の優秀人物を暗殺から守る為に、周囲が海上に逃がしただけであり、まさか、開戦時の連合艦隊司令長官になるとは、予想もされていませんでした。 ただ、真珠湾攻撃は、山本だから、実行できた物です。 また、山本が連合艦隊司令長官にならなかった場合、吉田善吾が連合艦隊司令長官で、山本は軍事参議官、そして予備役になっていたでしょう。 その場合、日本海軍はもっと早く、作戦に行き詰まっていたのではないでしょうか? 東郷平八郎と違いは、 ・東郷と明らかに立場が違い、山本は第一艦隊の司令長官を兼務していなかった。 ・しかし、真珠湾攻撃航空部隊の士気は高かった。 また、山本が後方にいた事、 ・戦場が三次元化していた。 ・日本国の優先順位が、南方資源の獲得、安定にあったこと。 ・開戦時は、南方作戦の進行、西方のアメリカの動向の両方に対処できる作戦位置と、無線通信のすぐれた位置の確保の為。 ・ミッドウェー作戦は、アメリカとの艦隊決戦において、長年積み上げた戦略上の配置位置にいただけの事。 ・ミッドウェー作戦の空母敗退は、実践部隊の南雲司令長官が、作戦計画違反を行なったこと。 ラバウルに、他の者に想像もできない様な、母艦機を陸揚げした作戦など、戦略眼はあったと思います。 また、海軍全体に、アメリカとの艦隊決戦の為、艦を温存する思想が徹底されていました。 人材育成さらに行い、もっと人事に介入できれば、ベストに近かっただろうと思います。 これでも、山本は、かなりの抜擢人事を行なっています。 よって、山本は特に臆病ではなく連合艦隊司令長官とは思いません。 また、特に海軍の順当なシステムにより、連合艦隊司令長官になったのではありませんが、その場、その場で順当な作戦を行なっている。 以上より、山本が敗戦の原因ではないと思います。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.7

戦後70年近く経つのに、幼稚な精神論が出てくることに驚きと失笑を禁じ得ません。 戦争は金持ちが勝つのです。物資も兵力も情報管理能力も、ありとあらゆる面で劣っている日本がどうやって勝つの? そういう精神論が日本の戦略をガタガタにしたのです。っていうか、最高司令官が前線にいても邪魔だろwww

hinode11
質問者

補足

とんでもない。精神力こそ重要です オリンピックの柔道(男)で、階級の数が増えたにも拘らず、日本の金メダルの数は減りました。 (※分子が金メダル数、分母が階級数) 1964年 東京   3/4…75% 1968年 メキシコ 0/4…0% 1972年 ミュンヘン3/6…50% ……中略…… 2000年 シドニー 3/7…43% 2004年 アテネ  3/7…43% 2008年 北京   2/7…29% 2012年 ロンドン 0/7…0% 確かに減っているのです。明らかに精神力の差です。昔の人たちの精神力は素晴らしかった。

  • opechorse
  • ベストアンサー率23% (435/1855)
回答No.6

日露戦争は、まだ無線が黎明期で 戦術通信は手旗と信号旗の時代なのだから 司令官は、旗艦にあって発信しなければ交戦できない時代と 無線で交信できた、太平洋戦争とを比べられない

hinode11
質問者

補足

山本は旗艦の艦橋に立つべきだったとは言ってません。旗艦に乗るべきではなかったのか、と言っているのです。

  • ZX4
  • ベストアンサー率48% (80/166)
回答No.5

区別は難しいですが、臆病と言うより慎重派の軍人であった、と個人的には思っています。 九六式艦上戦闘機の開発の際、赤城(当時三段甲板であり高速機の離着艦には甲板長が不足していた)に合わせて速度性能が犠牲になる事があってはならず、必要であれば赤城を改装する、との発言や機動艦隊構想などは他国に先んじたもので、けして無能な凡将と言うわけでは無いと思います。 それと山本の資質が敗戦の原因だった、と言うのはまったくの間違いです。良く日本は数で負けた、と言われます。確かにそれも一つの要因ではありますが、日本は敵がアメリカ一国だったとしても勝ち目など1パーセントも無かったのですよ。 日本が最後まで実用化出来なかった航空機用排気タービン、2000馬力級発動機(誉は定格1800馬力)も、アメリカでは戦前すでに実用化しており、特に高分子化学では他国に大きく遅れていました。 他国では電線はビニールで被覆されていますが、日本では敗戦まで電線に紙を巻き、塗料で塗っただけの物を使っていました。パッキンからは常に油が漏れ、プラグケーブルは漏電しエンジン性能が落ちる、無線機は通じない。ベアリング一つ取っても他国では機械が自動で造っていましたが、日本では女工がヤスリで手作業で仕上げていました。真球では無いベアリングが金属を組成レベルで破壊しシャフトの折損を引き起こすなど、当時の日本の工業力は一事が万事この調子で、欧米に対し大きく立ち遅れていました。 レーダー開発も、これは防御的兵器であり戦う前に負ける事を考えるとは何事か、と怒鳴りつけられたと言います。航空機は無線が通じないので編隊空戦が出来ない。戦車砲は初速を上げる為に弾体重量を減らして返って貫通能力が落ちる。駆逐艦は対潜能力を軽視し逆に潜水艦に沈められる。 工業規格が存在せず、職人が微調整して部品を作っているので同じパーツであっても共通性が無い。 設計速度、開発能力が非常に低く、アメリカから技術導入が出来なくなった時点で日本の兵器の発展は終わったと言って良いと思います。 例えば零戦ですが、P&Wライトサイクロンを独自改良したエンジン、クルシーRC4をコピーした帰投装置、降着装置はヴォートV143を参考にしたもの、光像式照準器はRevi2bのコピー、プロペラはハミルトン定速プロペラのコピー、20ミリ機銃はエリコンFF、7.7ミリ機銃はピッカース聖、13ミリ機銃はブローニングのコピーです。 戦争は国力と国力のぶつかり合いであり、国力が低いから高性能兵器を開発出来なかったなどは敗戦の言い訳にすらなりません。 私の祖父もあの大戦で亡くなっていますし、戦争で亡くなった方、開発に尽力した方々を誹謗するつもりはありませんが、日本は量産技術・技術・開発能力・兵器の性能・暗号解読、兵站や戦略などあらゆる面で連合国に負けていたのが事実です。戦後ドイツからはソ連やアメリカなどに技術者・科学者が招聘・拿捕されるなどしましたが、日本からは誰一人招聘されていない事が、見るべき技術など持っていなかった事の証左になると思います。 個人的に海軍艦船がアメリカ艦艇ほどの強靭さを持たず、あっさりと撃沈された事は平賀譲造船大差の責任が大きいと思います。平賀式の設計では艦体中央に縦隔壁と呼ばれる仕切りを設けていましたが、艦体を軽く強度を高く出来る反面、片絃に魚雷などを受けた場合、左右どちらかに海水が流入、簡単に転覆する原因ともなりました。 マルコーニが開発したばかりの無線機を各艦艇に装備し、漁船や客船まで動員して情報収集に尽力した日本海海戦、『ヤンキーは根性が無いから一発かませば逃げて行くだろう』と相手を舐めてかかった太平洋戦争。敗戦の理由は色々ありますが、結局は相手の実力を正しく評価せず甘く見た、その時点で敗戦は決まっていたのでは無いかと思います。

hinode11
質問者

補足

>山本の資質が敗戦の原因だった、と言うのはまったくの間違いです。 隠密行動で日本から遠く離れたハワイまで行くのであれば、米軍基地を叩くだけで引き上げて来るという作戦は愚劣であって、ハワイを占領しなくてはなりません。そういう発想が、山本には全然なかった。 >日本は敵がアメリカ一国だったとしても勝ち目など1パーセントも無かったのですよ。 日米の国力の差を言っておられるのでしょうが、日本海軍があのような戦争をしなければ、勝つことはできなくても引き分けに持ち込むことはできたと思います。早期講和が可能だった。 理由: 1.アメリカはドイツ戦と日本戦を同時に戦うことになるのですから、アメリカの戦力の半分は対日戦に投入できません。 2.日本海軍の行動範囲をハワイまで広げたのは失敗。ミッドウェー攻略戦も無意味です。国力の差を考えれば、日本近海で米軍の来襲を待ち受けるという基本戦略が正当ではなかったか。そうすれば、海軍の装備は遥かに長持ちしたはずです。つまり負けない日米戦を行えたはずです。 (日露戦争では、はるばる欧州からやって来たバルチック艦隊を日本近海で待ち受けて、日本海軍は勝利した。)

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