• 締切済み

形式名詞の「の」と「こと」について教えてください。

お世話になりまして、ありがとうございます。 形式名詞の「の」と「こと」について、どんな場合が「の」、どんな場合が「こと」、どんな場合が二つともできるかについて、すごく困ります。 ですから、皆さんにお願いします。 例えば、 李さんは日本語で話すことができます。 二人で自転車に乗るのが危ないです。 手紙を出すのを忘れました。 李さんが来たのはいつですか。 など、以上の文の中、「の」と「こと」を互いに替えて使ってもいいですか? 教えてください。

みんなの回答

  • TANUHACHI
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回答No.6

 お尋ねをいただきながら返事が遅くなって申しわけありません。 >形式名詞として、「こと」は単なる「行為」、もしくは「事実」などを省略する場合使われるのに対して、「の」はより広くて「事実」、時間などの「物」そして「人間」等を指すことができます。そうでしょうか?  この様な理解をさせてしまったのは僕の説明が至らなかったことに起因するかと思われます。前半部の「こと」は行為や事実の内容を代名詞の形で表すとのことでまちがいありません。  後半部の「の」は事実、時間?などの「物」そして「人間」等を指す、この理解に対しては「NO」と言わざるを得ません。  恐らくは>文例(4)では「いつ(=何時)来たのか」として「訪ねてきた“時間”」を聞いています。「時間」と「訪ねてきたという事実」ではその意味内容も異なります。「時間」と「事実」は同じですか?違いますよね。従って「の」と「こと」を入れ替えてこの文章が成り立つとはなりません。 の部分に反応させてしまったのでしょう。  この(4)の文例で「いつですか?」として聴かれている内容は「李さんが訪ねてきた時間」を指しています。この文章の「主語-述語」を抜き出してみると、主語は「(来た)の」であり述語は「いつ(です)か」になります。より具体的にこの文章を文意に即して復原してみるならば「李さんが(事務所に)来た。その“時間”はいつ頃ですか」となります。そして「来た」という用言が修飾している対象は「の」であり、その「の」は述語に対応する形ですから「時間」を示している、となります。  もしこの例文が「あっ美味そうなケーキ食べてるね、僕のは何処?」だった場合の「の」で聴いている内容は時間ではありません。「僕の」は「僕が食べるケーキ」と同じ内容です。ですから「の」は必ずしも「より広くて事実、時間などを指す」とはいえないこともお解りでしょう。  「形式名詞」は恐らく中国語の文法で使われる表記であって、日本語や英語では「代名詞」と呼んでいます。そしてこの「代名詞」は文章の中で置かれる場所によって、主語となることもあれば目的語となることもあります。そうした場合に「の=事実・時間・物・人間」と単純に図式化して憶えようとすることは日本語の文章を的確に理解することにはつながりません。あくまでも「文章の意味の中で、どの様な役割を果たしているか」を考えて使うことが大切で、質問者様の様に定式化する考え方は無意味な勉強の仕方であるとしかいえません。日本語を理解するために日本語の文法を学ぶ必要があるのですから、中国語の文法を一先ずは「意識的に棚上げする」ことも一つの方法です。中国語で考えず、日本語で考えましょう。

回答No.5

李さんは日本語で話すことができます。 「の」不可 二人で自転車に乗るのは危ないです。 「こと」可  ※「が」を「は」に訂正 手紙を出すのを忘れました。 「こと」可 李さんが来たのはいつですか。 「こと」不可

  • TANUHACHI
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回答No.4

 こんにちは。他の回答者の方へのコメントで気になった部分がありましたので、補足させていただきます。 >他の条件にもかかわらず、ただ「こと」と「の」を替えて、文は成り立ちますか? 例えば、 (1)李さんは日本語で話すことができます。ーー「李さんは日本語で話すのができます。」 (2)二人で自転車に乗るのが危ないです。ーー「二人で自転車に乗ることは危ないです。」 (3)手紙を出すのを忘れました。ーー「手紙を出すことを忘れました。」 (4)李さんが来たのはいつでしたか。ーー「李さんが来たことはいつでしたか。」 成り立つと言うより、普段、どちらがより多く使われますか? ここで問題となるのは、ただ「こと」と「の」を入れ替えるだけでも文が成り立つか」との問題です。 結論から申し上げます。「こと」と「の」は必ずしも等価内容を示す言葉ではありません。時によって「使い分け」も必要です。その典型が文例(4)に示されています。  文例(4)では「いつ(=何時)来たのか」として「訪ねてきた“時間”」を聞いています。「時間」と「訪ねてきたという事実」ではその意味内容も異なります。「時間」と「事実」は同じですか?違いますよね。従って「の」と「こと」を入れ替えてこの文章が成り立つとはなりません。  文例(1)、「日本語で話すことが李さんはできます」と言い換えることもできます。この文中の「こと」は「の」に置き換えても内容は、話すことができるという「能力」ですから、文章としては成り立ちます。  文例(2)及び(3)の場合、全く文例(1)のケースと同じです。二人で自転車に乗るという「行為」が危険である、との文意ですから、ここでは「こと=の」という等価関係が成り立ちます。(3)も手紙を出すという「行為」を説明する文章ですから「こと=の」は成り立ちます。 >成り立つと言うより、普段、どちらがより多く使われますか?  というよりも、使い方として正しいか間違っているかの問題ですので、使用頻度を問う問題ではありません。日常的に、ついうっかり使ってしまっていてもそれが誤った日本語の使い方であるケースも散見されます。

chengzhao
質問者

お礼

お世話になりまして、ありがとうございました。 ご回答について、私としては、ちょっとしたまとめがあります。もし何か間違いがあれば、どうぞご指導ください。 形式名詞として、「こと」は単なる「行為」、もしくは「事実」などを省略する場合使われるのに対して、「の」はより広くて、「事実」、時間などの「物」、そして「人間」等を指すことができます。 そうでしょうか?

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 一つ疑問がわきました。「李さんは日本語で話すことができます」を「李さんは日本語ができます」とした場合には、日本語を読む・書く・聴く・話すとの全ての能力に問題がないとの意味になりますが、「李さんは日本語で話すことができます」の場合は、話すことには問題がないが、他の部分はまだ発展途上にあるとのニュアンスを生じる可能性゛あります。ですので、「李さんは日本語ができます」で意味が通じるとの判断は些か早計では?とぞんじます。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

このような作文の場合、肝心なのはいかに滑らかな日本語にするかであり、ただ闇雲に「の」や「こと」を文中にはめ込んでは、結局難解にして日本語らしさの乏しい文をひねり回す結果になりかねません。まずは、常に自然な日本語の表現を目指すことではないでしょうか。その幾つもの言い回しの中で、「の」や「こと」を用いることも自然に身に付くものだと思われます。その意味から参考文を付けてみました。 1.李さんは日本語で話すことができます。 ○李さんは日本語ができます。 (わざわざ「こと」を加えると日本語らしさが希薄になる。) ○李さんは日本語が/で/を/も/は話せます。 (「こと」を省く代わりに、格助詞で更に細かいニュアンスを加える。) △李さんは日本語で話すことができます。 →李さんは日本語を話すことができます。 (格助詞「を」がより落ち着く。) ?李さんは日本語で話すのができます。 →李さんは日本語で話すのが好きです。 (動詞文→形容動詞文に変更する。) 2.二人で自転車に乗るのが危ないです。 ○自転車の二人乗りは危険です/違反です。(やめましょう。)(「形容詞「危ない」+です」文→名詞・形容動詞「危険」の文に直す。「二人で~乗る」は「二人乗り」と名詞化し、更に自転車との順を入れ替える。) ○自転車に二人で乗るのは危険です。 (「…のが~です」という構文は日本語として不自然です。どうしても使うならば「「…のは~です」に直す。) ○自転車に二人で乗ることは危険なのでやめましょう。 (準体助詞「の」は名詞・形容動詞文で、形式名詞「こと」の場合は名詞文や聞き手への意見・主張・依頼文として選択する。) 3.手紙を出すのを忘れました。 これはそのまま○で、問題ありません。 ○手紙を出すことをお忘れなく(願います/と、ご忠告します)。 5. 李さんが来たのはいつですか。 ○李さんが来たのはいつでしたか。(過去形に変更。) ○李さんが来たのはいつのことだったでしょうか。(「いつ」→「いつ<のこと>」とし、過去形にも変更。) ?李さんが来たことがいつのことだったか覚えていらっしゃいますか。 (疑問文の場合は、題説構文が主となる名詞文は相応しくなく、したがって「こと」ではマッチしない。) 以上のように、本来「格助詞」である「の」の形式的な名詞化としての準体助詞の用法は、主に会話語において、単純な記述文や疑問形などに用いられます。 一方形式名詞「こと」の場合は、原則として題目語として述部も名詞文を取る同定・包摂・近接をとる題説構文に向いています。 したがって、簡略を善しとする会話文では「の」が多用され、それに対し「こと」は強調的な意味合いがありますが、これが明解性を貴ぶ文章語においては同語反復や無駄を省く意図以外では、より限定された「事態/事情/実態」などの名詞を用いる方が読み手に分かりやすい表現なのではないでしょうか。

chengzhao
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。拝読させていただきました。 しかし、まだ一つの疑問があります。 他の条件にもかかわらず、ただ「こと」と「の」を替えて、文は成り立ちますか? 例えば、 李さんは日本語で話すことができます。ーー「李さんは日本語で話すのができます。」 二人で自転車に乗るのが危ないです。ーー「二人で自転車に乗ることは危ないです。」 手紙を出すのを忘れました。ーー「手紙を出すことを忘れました。」 李さんが来たのはいつでしたか。ーー「李さんが来たことはいつでしたか。」 成り立つと言うより、普段、どちらがより多く使われますか? 「こと」と「の」の区別について、より詳しく説明してくれれば、本当に助かりますので、お願いいたします。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.1

 こんにちは。「形式名詞」の問題ですが、早速本題に入ります。 【形式名詞とは?】  日本語は「体言と用言」に分類することができます。そしてこの2つは「活用変化しない言葉と活用変化する言葉」とも言い換えることもできます。体言には名詞・代名詞・指示代名詞が含まれ、文章の「主語」とすることができます。これに対し「用言」には動詞・助動詞・形容詞・形容動詞・副詞が含まれ、体言を修飾する働きをします。  そしてこの「用言」はその後につながる言葉によって「語尾」が変化します。これを「活用変化」と呼びます。 口語では「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」文語では「未然・連用・終止・連体・已然・命令」のそれぞれ6つの形です。  例を挙げます。「読む」の活用変化→「読ま(ない)・読み(ます)・読む・読む(時やもの)・読め(ば)・読め!」。単語「読む」は動作を表しますが、それがどの様な動作であるのかは語幹の「読」と語尾のあとに続く「言葉」によって、内容も変化します。  このうち「連体形」と呼ばれる活用は、本来ならば動詞で示される行為であるはずの特性を名詞として表現する形とも言い換えることができます。この場合には「~すること」となり「~するの」もほぼ同じ意味になります。これが「形式名詞」の意味です。では具体的に課題とされている問題を見ていくこととします。 (1)李さんは日本語で話すことができます  文章の主語と述語はそれぞれ「李さんは」と「できます」であり、その「李さんができること」が何であるかを示すのが「日本語で話すこと」です。ですから連体修飾語として適切な使い方といえます。 (2)二人で自転車に乗るのが危ないです  主語は「二人で自転車に乗る」という行為、そして述語は「危ない」です。がしかしこの文章の表現は的確であるとはいえません。主語が「行為」ですから、述語はそれと等価でなければならないとの原則を思い出して下さい。  行為とその内容に対する評価は同一の品詞と呼ぶことができますか?との問題です。けれども心配はありませんよ。少しイジワルな質問をしてみただけです。実際の主語は「二人で自転車に乗ること」ですからそれに対しての述語は「危ないこと」ですから、見事に対応しています。ですからこれも問題はありません。 (3)手紙を出すのを忘れました  「手紙を出すの」=「手紙を出す」という行為ですから「手紙を出すこと」と同じです。問題ありません。 (4)李さんが来たのはいつですか  「李さんが来た」というのは「李さんが来た時間や事実」ですが、それが「(李さんが)来日した年月」ことを指しているのかそれとも「(李さんが)訪ねてきた日時」もしくはその事実を尋ねているのかがこの文章だけでは判然としません。ですから答えようがありません。