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明治時代の将棋

関根金次郎という棋士のwikiでの紹介ページを読んでいたのですが、 >>若い頃武術の鍛錬もしており(明治時代の将棋の対局は、時に命懸けの真剣勝負となることもあったため)、無念流の使い手であった と、あるのですが血生臭い騒動に発展することもあったということでしょうか?

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  • Pinhole-09
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回答No.1

江戸時代のプロの将棋棋士は4家の家元に属し 家元には幕府より扶持が与えられていた。 明治になり扶持がなくなったため、将棋で生計を 立てているプロは、稽古料では食えず、真剣勝負 といわれる賭け将棋で生計を立てることもあった。 棋士は自分が賭けるほか、スポンサーがついて 勝負にきわめて多額の賭け金が乗ることも多かった。 (賭け金より礼金をわけて貰う) スポンサーに迷惑をかけぬ様、眼が血走り鬼気迫る ものがあったという。 当然勝負についてトラブルは少なくなかった。 このような闇の世界のことで、あまり伝わっていないが 関根金次郎については資料があるという。 将棋界では血生臭い騒動にまでなったのは、私は 知らないが、囲碁界では水谷七段が若いころ、賭け 碁で勝った所、負けた方のスポンサーより闇討ちに 会い滅多斬りされ、危うく命を失うところだったという。 将棋が新聞に載るようになったのは、明治30年頃で 賭け将棋が減るのはずっと後のこと。

noname#172652
質問者

お礼

スポンサーといってもヤクザでしょうから大変だったのでしょうね。ご回答ありがとうございました★

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