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竹島(独島)の認知に関する素朴な疑問
- 竹島(独島)の認知に関する素朴な疑問について、日本の認識と韓国の認識の違いを考察しています。
- 竹島(独島)の認識に関する素朴な疑問を持つ人による、日本と韓国の対立の背景まで掘り下げた考察です。
- 竹島(独島)の認知に関する素朴な疑問について、日本と韓国の立場や歴史的な文献の信憑性について考えています。
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質問者が選んだベストアンサー
日本は竹島を古くから知ってたみたいぞなもし 弥生時代 対馬から漁に出たある村人のことを書いた資料には 「対馬より漁に出る 船こぎ進みて北にながるる 松の島付近にて 鱒 イカ 貝などとりにけり」 という記載がある この松の島こそ 竹島であります 韓国が当時せいぜい漁に出ても済州島ぐらいが限界で ということは日本が先にみつけてたのね 魏志倭人伝にも竹島らしき島が出てくるのよ
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- 雪中庵(@psytex)
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「韓国が先に発見した?」といっても、韓国が成立したのは戦後です。 『先に発見』しようがありません。 朝鮮半島には、複数の国家が乱立・生滅しており、そのどの国が 現・韓国に連なっているというのでしょう。 継続的に居住していればその住民の帰属によって決まりますが、 そうでない場合、継続的な公的業務の引継ぎのない国家の変転 が起きれば、新たに宣言しない限り、「先に見つけた」と主張しても、 「誰が?」という話になります。 ちなみに、航海術において中国にしても朝鮮半島にしても稚拙なのは、 それらの国が古代・5世紀頃から日本の倭寇にさんざん苦しめられて いる事から明らかです。 島国の日本は(江戸時代に鎖国するまでは)海洋国家であり、倭寇の 進出はタイやインドネシアに日本人町があったほどですが、一方、 南アジアのどこかにコリアンタウンがあったという記録はありません。
お礼
>「韓国が先に発見した?」といっても、韓国が成立したのは戦後です。 うーん、これはへ理屈ですね。というのも、国の中身が変転しているのは、日本も同じことですから。ここで国家の主体の議論をしても、説得力はないと思います。 さて、海賊のお話。ウィキペディアで調べた程度ですが、五世紀の「倭冦」の意味は「海賊」ではないそうです(詳細はwikiに譲る)。海賊としての倭冦が出現したのは十三世紀で、これが十六世紀まで続きます。十四世紀に中国が日本に倭冦の討伐を依頼したという記録が残っていますから、このときくらいには、航海技術の水準が逆転したとは言えるかもしれませんね。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
対馬の北の島は 竹島以外に考えられません と 思います 私の意見はこれで終わりにします ご迷惑をおかけしました
お礼
ご意見、承りました。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
ひとつだけいえるのは 松の島は竹島です 竹島はかつて松島とよばれていました 松竹梅ですね とうぜん梅島もあります ご存知松島もあります 島根県に編入するとき 竹島と付け直したらしいです それまでは松島 あるいは松の島と呼ばれていたそうです
お礼
失礼、脱字がありました。 ×単に同じ名前の対馬付近にあっただけかもしれません。 ○単に同じ名前の島が対馬付近にあっただけかもしれません。
補足
補足、ありがとうございます。私の書き方が悪かったかもしれません。1905年に、旧竹島が鬱陵島となり、旧松島が竹島と改名されます。それは知っていますし、上記の質問にもAの項目で「松島」という名を挙げています。 しかし松島や松の島は、割とどこにでもある島の名前です。ご指摘の通り、松竹梅という連想で、簡単につけられる名前です。したがって、上げてくださった文献に記載された「松の島」が本当に現在の竹島と特定出来るのか、どうかが、厳密には分からないと言ったのでした。単に同じ名前の対馬付近にあっただけかもしれません。弥生時代の事ですから、今は別の名前に変わってしまったかもしれないが、慣例としてそう呼慣らわしていた可能性もあります。そこで判断するためには島の特徴が一致しないとならないが、鱒をはじめとする海産物では、厳密に特定は出来ません。 省エネでお礼欄を書いてしまいましたが、このように申し上げたかったのでした。文献の検証は手間隙がかかって、重いので、私としては推論や想像力で状況を考えるのみに留めたいのです。趣旨をご理解いただけませんか。
- slime331
- ベストアンサー率24% (50/204)
こんにちは。 私も素人の回答になることをお許しください。 たぶん、どちらが先に島を認識したかは、たいした問題ではないと思います。 どちらが島を支配し始めたかだと思います。 国際法で50年支配した方の領土となることが決められています。 日本が敗戦したのち、竹島は韓国が実行支配してきました。 日本は警告するだけで、他の対策をこうじてきませんでした。 そんな希薄さを感じる領土を韓国が守ってきました。 逆に尖閣諸島は日本が支配してきました。 そこに中国が便乗してきました。 だから、尖閣諸島は日本の領土と正式に世界に認めさせる必要があります。 曖昧になった背景には第二次世界対戦での、日本がアジアを侵略し、敗戦したことから領土問題が始まったと感じています。 だから、イミョンバク大統領も天皇発言をするしかなかったのだと考えています。 日本政府が竹島を重要視してこなかったツケだと思ってしまいます。
補足
>たぶん、どちらが先に島を認識したかは、たいした問題ではないと思います。 ありがとうございます。でも、それはわかっています。この質問は、議論のための議論であって、直接に領有問題を論じるものではありません。しかし、仮に韓国の方に発見の分があるのなら、次のように論じるのが正当だと思います。 「島の第一発見は、航海技術の水準を考えると韓国側であった可能性が高く、これは六世紀に遡る。しかし資料の誤記などを鑑みると、韓国が島を支配していたとは到底考ええない。むしろ十七世半ば以降、その島を管理したのは日本である。さらにその後も日本は実質的に支配を継続しており、・・・(十九世紀以降の事例は省略)」。 こうやって、韓国にも分があると認めた上で切り返した方が、論理的に説得されませんか? 都合のいい情報だけ列挙しても、ちょっとなあと私は思うのです。こういう意味で、この問いは議論のための議論です。
- yana1945
- ベストアンサー率28% (742/2600)
16世紀の韓国が所有する地図は、韓国の博物館で、見ることができます。 唯、博物館入り口にある、地図を拡大したパネル(張り紙)では、 本来の古地図で、半島寄りにある島を、 張り替えて、半島より遠い位置に貼り、竹島としてパネルにしています。 (さすがに、原本には手を加えていません) これ以外にも、韓国の資料(我々 観光客が見ることのできる)には、 中国で見つかった資料と整合性が取れない部分が複数あるのが現状です。 (中国、北朝鮮、韓国 間の問題は貴方の質問に無いため記載しません。)
補足
ありがとうございます。しかし、この質問の趣旨は資料の検討ではありません。ご存知だと思いますが、一般的に歴史を描く際、二つの視点があります。 ・資料の検討、 ・状況の検討、 です。この問いは後者です。
お礼
ありがとうございます。しかしネットで検索した程度では、資料の裏付けが簡単にとれませんでした。そんなにも重要な資料なら、すぐにヒットするはずなのだけれど、見つからないのはなぜなのか。外務省がそれを資料としてあげていないのはなぜなのか。松の島=竹島なのかどうか。うーん。悩みます。鱒、イカ、貝では判断つきません。 そういうわけで、全面的に賛成出来ないのですが、対馬から出れば、確かにたどり着くかもしれませんね。しかし、同じように韓国もたどり着きうるかもしれません。弥生時代には到達しうる可能性が既にあった、という風に承っておきます。
補足
◎全体の補足 この問いそのものは、議論のための議論ですが、領有のお話をする方が多いので、あえて領有について述べて終わろうと思います。 竹島(独島)は、泳いでも渡れるし、弥生時代にも容易にたどり着けた、と考えてみましょう。このようにアクセスが困難ではない立地であれば、誰が最初に見つけたかはあまり重要ではないですね。日韓ともに古代から見つけ得た、と考えるのがよいように思います。 となれば、国際法の定める 先占の権利は、この場合に「第一発見者」に与えられない事になります。実効的に支配したかどうかが問題です。この支配について、韓国は六世紀の新羅を持ち出す訳ですが、記述に曖昧なところが多々あります。この意味では、そこを占有していたというに当たっては十分ではありません。この不正確な記述は十六世紀まで続きます(韓国の「空島」政策の結果ということなのでしょう)。対する日本は、十七世紀半ばには、支配していると言いうる資料があります。 ・・・とまあ、国際法の定める先占の権利については、日本は上記の様に、島の領有を主張してはどうでしょうか。いえ、私が理解していなかっただけで、外務省のpdfはそういうことを言いたかったのかもしれませんが。 ともあれ、弥生時代にもたどり着けるほど島へのアクセスは容易という指摘が決め手となりました。特に新羅の技術力が無くてもよろしいということです。「松の島」が竹島か否かの検証作業は残るとはいえ、泳いでも辿り着くという島ですから、状況的に可能性はあると思います。No2の方には、誤解も与えてしまいましたが、あらためて、ご投稿に感謝いたします。