※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:欲求の過剰ポテンシャルとブッダの説いた「業」)
欲求の過剰ポテンシャルとブッダの説いた「業」
このQ&Aのポイント
過剰ポテンシャルとは、評価に必要以上に大きな意義が与えられ、過剰な意義を持つことを指す現象です。
過剰ポテンシャルが生じると、自然と過剰ポテンシャルを減少させる力が働きます。
願望とは、自分の内部で精神的エネルギーを集中させることであり、純粋な意図に変わると実現されます。
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評価に必要以上に大きな意義が与えられる場合、本当はそこにないものがあるかのように思われると、「過剰ポテンシャル」が生じてくる。
自分の内部または外部において、質、対象、事象などに過剰な意義を与える場合に限り、過剰ポテンシャルが産み出される。
あるはずのない束縛・依存関係・他のものとの対比・過大評価・理想などがそれにあたる。
過剰ポテンシャルを築いてしまったら、あなたの意志とは関係なく、自然と過剰ポテンシャルを減少させる方向に働く力が発生する。
いかなるエネルギーであっても過剰ポテンシャルが生じたところならばどこでも、不均衡を解消しようとする「平衡力」が働く。
<省略>
願望は、過剰ポテンシャルから解放された「純粋な意図」に変わったとき、実現される。
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願望とは、自分の内部で精神的エネルギーを集中させることである。
ただし、集中したエネルギーは内部に滞留させたままであると自らを破壊する。
また、目的にあったエネルギーの集中でなければ、さんまを焼くのに家を燃やすような結果になる。
たとえば「世界を支配したい」という願望は、実現ルートを示されなければ出口のないエネルギーの滞留になり自己破壊を生む。
一方、「純粋な意図」とは道理に沿ったエネルギーの活用であり、幸福への切符でもある。
これぞまさしくブッダの説いた「業」の現代的説明であると思う。
異論反論は大変役に立つので是非聴きたい。
補足
回答ありがとうございます。 >仰っている「純粋な意図」というものが、よく分かりませんが 海外旅行に行きたいならば、お金をためたり、安上がりな計画を調べたりするのが 道理(因果法則)にそった「純粋な意図」となるでしょう。 さらに「純粋な意図」ならば、歩く、見る、探す等といったものになるでしょう。 さらに「純粋な意図」ならば、刹那のこころの働きというものになります。 それらは、探すことに満足、歩くことに満足可能なわけですから 悶々と「海外に行きたいなあ」というような継続的欲求は生まれようがありません。 >ブッダにも見るように 純粋な意図という欲願さえも 何らかの苦を招くものであるならば 純粋な意図という欲願もまた苦を招くのではありますが、苦の生滅の時間が瞬間的でありますので苦は無いものと同じになると思われます。