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もって生まれてきている業
業。 人それぞれにそれぞれの業をもって生まれてきて人生を送っています。 業はどのようにして脱却というか解消できるでしょう?
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こんにちは。 《業》とは 《おこなったこと》・その積み重ねのことです。 ですから 基本的に言って――という意味は ブディズムなどのオシへは屁の河童であってそれに関係なく捉えてということですが―― 生まれて来た赤ん坊にこのカルマはありません。 ただし お父さんお母さんが大抵はそのそばにいるわけですから・そしてこの両親らは すでに過去のカルマを持っていると言えばそうなのですから そのようなカルマが 赤ん坊に何がしか影響を与えるのかどうか。といった問題はあるかと考えられます。 いづれにしても 人は親の代やさらにその昔の人たちのカルマに言わば取り囲まれていますし ゆくゆくは自分のカルマをも持つに到る。このことも 分かっていることです。 さてでは このカルマは どのように人間に影響をあたえるのでしょう。 ○ クセ・習慣となって影響をあたえる。 わたしは 幼稚園に入ったとき 前掛けをかけてお遊戯をすることが三度の飯を取り上げられても忌み嫌う対象でした。 そのとき採った態度をおぼえていないのですが やがて小学校の三・四年生になったとき わたしと二三人の生徒が どういうわけか幼稚園の掃除に行きなさいと先生から言われました。 一・二か月つづいたでしょうか。そのときそのこともまったく何でそうなるのか 分かりませんでした。そんな特別なことはほかになかったことだったからです。 つまり おそらく幼稚園児としてのわたしは 毎日いつもいつも苦虫を噛みころしたような顔をしていたのだと思います。このことが ほかの人たちからの問題ですが わたしのカルマとしてはたらいていた。のではないかと 今では考えます。 友だちを巻き込んで 過去のつけを払わされました。カルマが《生きて》いますね。 けれども この程度のことではないのでしょうか? 《脱却も解消》もする必要はない。のではないでしょうか。 わづかに言えることは つねに周りの人たちと 会話を交わすことを心がける。それによって カルマが必要以上に尾を引くことを避ける。 そしてもしどうしてもカルマは 少なからず社会の全般にわたって影響をおよぼし合っていると見る向きには だとすれば おのれの自治とそれにもとづく互いの共同自治を絶えずよくしつつ ふかめて行くこと。これに尽きる。――つまりふつうの社会生活のことと問題とが 課題となるというに過ぎない。 だとしたら カルマは けっきょくオシへの中で問題にされるようには捉えたり取り扱ったりする必要はない。こう考えます。 《業》をことさら言うのは ひとの思惟や行動についてその意味を取ろうとしても考えが及ばず思考を放棄して何か別の理由や原因があると見たいと思ったときのひとつの手である。のではないでしょうか。 ブディズムなるオシへは このような人間の弱みにつけ込んで ゴータマなるペテン師の威厳をどうしても保ちたいという空恐ろしい執念のもとに 非科学的な因果応報説を説き聞かせようとして来た。のではないか。ただ こういう問題に過ぎないと考えます。 (人間のおのおの主観的な価値判断をまじえる因果応報の見方は まさにそのように主観を《空想的に自由に》差し挟んでいるのであって 原因と結果との言わば中立的な科学的な関係について分析することとはまったく違うと言いたいわけです)。
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- 雪中庵(@psytex)
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業とは因果、すなわち現在の自分が存在するための 138億年の物質進化、40億年の生物進化、そこにおける 階層現象化のプロセスの射影である。 即物的な肉体としての自覚ではなく、意識の内なる宇宙 としての自覚において、自我仮説(時間の流れ=記憶= 過去=超光速)と空間仮設(空間の広がり=予測=未来= 光速下)の相補分化として、環境性は自我成立のための 必要だと言える。 そうした自己存在の本質に根差した原理的相補性を認識 できない、現象表面的な肉体的自覚において、自己矛盾 としての業(環境との対立)は生じる。
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有難うございました。 とても難しいですね。 熟読します。
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お礼
有難うございました。 難しいが頑張って読み解いてみます。
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