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後小松院は後小松天皇、では小松院は光孝天皇?又は?
後小松天皇の追号は本人の遺詔により「後小松院」と贈られたとのことです。対する小松天皇はおられませんが、光孝天皇が長く小松帝とされたということで、このことに対して後小松天皇とされたと聞きました。 後小松院で調べると後小松天皇に行きつきますが、小松院で調べても何も出てきません。 そこで質問です。 小松院は光孝天皇の追号と考えられるのでしょうか? 仮に小松院という墨書きがある天皇家ゆかりの品が存在した場合、光孝天皇ゆかりの品と考えられるのでしょうか?それとも光孝天皇以外にも可能性がある天皇がおられるのでしょうか?
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- tanuki4u
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補足
早速のご回答、ありがとうございます。 実は質問段階で1300年代の南北朝のころであればすっきりするのに、時代が違っているなあ・・?と考えながら質問させていただいたのです。 話の出所は、吉野方面に1000年以上続いたお宅(相当部分は外部との関係などで証明できています)があります。その家で後醍醐天皇の時代の、それも南朝側として伝えられている話があります。残念ながらその家の人々は既に相当高齢で、調べることが出来ないということで、知識のない私に調べてほしいと依頼されたものです。 今回小松皇后の可能性をご指摘いただき検索したところ、小松天皇の存在を知りました。そして時代が1300年代であるということで、言い伝えが真実である可能性が出てきました。 そこで追加の質問にお答えいただければと考えています。 1、小松天皇(皇后)の天皇家の系譜の中での位置づけ(歴代天皇には出てきません) 2、後小松天皇は南朝から北朝へ取り戻した天皇です。南朝の関係天皇の”後”とはならないと思うのですが、どのように考えればいいのでしょうか。 歴史の知識が無いが故、本当に困っています。どうぞ宜しくお願いいたします。