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君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ (1)光孝天皇は誰のために若菜をつんでいたのでしょうか。 (2)上賀茂神社の乙子神事では小松をひいて若菜をつむそうで もとは宮中の年中行事であったようです。 http://puchitabi.jp/09/02/post-1220.html この歌は乙子神事のもとになった年中行事を詠ったものと考えていいでしょうか。
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この頃には君と言えば天皇・貴人や、恋人・夫婦が相手を呼ぶ時に使われていました。例えば光孝帝が遍昭の70歳の祝いの折に詠んだ かくしつつとにも角にもながらへて君が八千代に逢ふよしもがな や、里に籠っている更衣に贈った、 君がせぬわが手枕は草なれや涙の露のよなよなぞをく などがあります。基経に贈った、というのは面白いですね。基経と天皇は母が姉妹同士、天皇の姪は基経の妻、基経妹の淑子は宇多帝の養母なのでかなり親しかったと思われます。 陽成帝は光孝帝の腹違いの兄(20年上)の孫なので、歌の親しい感じからすると無いように思われます。 若菜摘みの文献、と言いますか村上帝が母の一周忌に詠んだ歌(天暦九年一月四日戌の日) いつしかと君にと思ひし若菜をば法の道にぞ今日は摘みつる 他にも藤原公任が道長に贈った歌(長保四年二月)や伊勢大輔が孫の通宗に贈った歌(一月七日の卯の日) などがありますよ
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http://www.good-land.com/15.htmlを開いてみてください。ほかの回答者のかたがたとはかなり違った解釈だと思いますが。
お礼
何度もありがとうございます。 確かに古今和歌集には詞書に「女の身になって詠んだ歌」と記されているものがたくさんあります! 上賀茂神社の乙子神事が男性の神官によって行われていたので 男性も若菜摘みするものだと思い込んでしまっていましたが 主に女性が行うものだったのですね。 感謝します♪
- 0w0g
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再び、No.2です。 すみません、言葉が足りなかったようです。 一周忌に贈る習慣というよりは、亡くなったのがたまたま一月だったので、毎年、正月になると母后に贈っていた思い出があり、母を偲ぶよすがとして供えたものであると思います。 春の若菜には無病息災を願う意味もあったので宇多朝以降はむしろ長寿の祝いに使用される例の方が多かったように思います。ただ記憶があやふやで出典を覚えていないのですが。 今の七草粥の元になったのは別ルートなので七日にも若菜を摘んでいたことでしょうし。 何か話がそれまくりで申し訳ありません。
お礼
何度もありがとうございます。 回答者さまの説明不足ではなくて、私の早合点です~ 訂正をありがとうございます。 >毎年、正月になると母后に贈っていた思い出があり、母を偲ぶよすがとして供えたもの なるほど、若菜が長寿の祝いに贈られるものだったら ご指摘のように考えるのが妥当ですね!
"http://www.good-land.com/15.html" をご覧になると面白い解釈が書かれております。
お礼
回答ありがとうございます。 せっかくリンク貼ってくださったのですが 「ページが見つかりません」というメッセージが出ます。 どんな解釈なのか興味津々です。 お手数ですがキーワードのようなものだけでもお教えいただけませんでしょうか。
- 0w0g
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1)古今集・光孝天皇御集共に天皇が親王だった時に摘んだ若菜を「人」に贈る時に添えた歌となっていて性別すらも不明です。 2)についても恐らくはご指摘のように子の日の遊びの折に摘んだ若菜と考えられますが、春(正月)に若菜を摘み、贈るという行為自体が初子の日限定という訳ではなく縁起モノでしたのでこれも不明と言わざるを得ません。
お礼
ありがとうございます。 のちに天皇となった人が「君」と呼んだのは誰だったのか、気になりますね。 個人的には藤原基経じゃないか、と思っていますが 親王が基経を「君」と呼ぶのはおかしいでしょうか。 としたら陽成天皇かな? >春(正月)に若菜を摘み、贈るという行為自体が初子の日限定という訳ではなく 春の野に出て、と詠っているので正月のことだと思いますが 特に子の日、というわけではなかったのですね。 何か、子の日以外に若菜摘みをしたというような文献をご存知でしたら 教えていただけませんでしょうか。
- spring135
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不明
お礼
ありがとうございます。 大変参考になりました。
お礼
再度の回答をありがとうございます。 君と言う言葉は天皇だけをさす言葉ではなかったのですね。 使用例も添えていただき大変勉強になりました。 光孝天皇が君と読んだ相手が、基経はありえるけれども陽成天皇はない、 というのもナットクです。 一周忌などに若菜を贈る習慣もあったのですね。 たいへん勉強になりました!