南朝の熊沢天皇について
私は南朝の正統天皇を自称する熊沢(寛道)氏が、本当にそうなのかどうかに関して、全く知識がありません。しかし、熊沢氏が南朝の天皇でないことは、現在では一般的には常識となっていると思います。
ところで、熊沢氏について書かれた本を読むと、熊沢寛道氏は父親から天皇の正系であると教えられたとあります。
根拠はそれだけなんでしょうか?
何か文物は残っていないのでしょうか?
(長浜天皇のように、真贋問題はあるにしても、それなりの伝統のある人もいるようですが、まったくただの雑貨商だったでしょうか?)
あるいは、南朝天皇の正系かどうかは別としても、南朝方の皇子、公家や大名や近親といった人たちの子孫であるというような証拠はあるのでしょうか?
私の知人にも南朝の系統の大名の子孫がおりますが、それなりの文物も残っており、南朝系の武将であったことは周知のこととなっておりますし、大学から調査なども入ります。落ちぶれてからも、地方の土豪・旧家として残っているわけです。
熊沢氏の家も、そんな感じなのであれば、天皇の子孫と思う根拠もまんざらではないようにも思いますが、たしか先祖が大工だったとか、本人は雑貨商をしていたと書かれているばかりで、どんな家筋であったのか(南朝の系統を引いていることは確実な家なのか、とか)さっぱり書いていません。
この辺の事情に詳しい方、ご教示くださいませ。熊沢氏の息子さんは、天皇運動はされていないようですが、やはり天皇の家系と信じておられるようですし、熊沢一族からは自称南朝天皇が4人も出たそうです。
熊沢氏は、それなりにそう信じるに足るような旧家だったり、証拠があるでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 そういえば、ほのめかしているという話を聞いたことがありました(細かいことは全然知りません)。天皇の子というのは、真偽未決のようですが、それはさておいて、公家世界と接点のある生まれというのは、ほぼ確実な情報なのかなと思いました。