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様々な怒りのコントロールについて
- 怒りのコントロールには心理、脳、哲学、宗教など様々な方法があります
- 自分を律して怒りを抑える方法もありますが、心理的な影響も考慮しなければなりません
- 他者の不条理な怒りに一方的に受け止めるだけでは心身に悪影響を与えることもあります
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質問者が選んだベストアンサー
No.9 です。 >ダメージを選べるというのは、斬新な発想だと思います。 「七つの習慣」に、「人間は、刺激と反応の間に選択の自由を持っている」とあります。 私は、その考えに感銘を受けました。 さて、 ダメージによる怒りの他に、独裁者の怒りという物もあるのではないか、と私は最初、考えました。 No.5の方の言う、相手への甘えですね。 以前働いた会社のワンマン社長が、そんな独裁者の怒りに満ちていました。 そんな人は、周りの人がまるでテレパスでもあるかのように、独裁者である自分の意を汲んで動いてくれる事を望みます。 そして、それが叶わないと怒ります。 しかし、独裁者の怒りは結局、独裁者としての自分の立場が揺らぐことへの恐怖、つまり、虚栄へのダメージによって生じているようです。 非常にもろい虚栄の持ち主です。 義憤や社会の巨悪への怒りという物は、自分自身と社会全体の一体感を感じた際に、社会全体が受けたのダメージを、自身が受けたダメージと同等と見なすことで生まれます。 これは、愛する人が傷つけられたときの怒りと同質の怒りなので、問題ありません。 しかし、単純にそうであればいいのですが、中には複雑な人がいて、「義憤を感じる素晴らしい自分」と言う虚栄を、周囲の人に認めさせるために怒りを演じている人がいます。 そして、それを認めさせることに失敗すると、自分の虚栄に対するダメージを感じて、本当に怒ります。 結果、「あなたも、自分と同じ義憤を感じるべきだ」、と他人に強要しようとします。 言ってることは正しいが、動機が不純です。 いわゆる、偽善者です。 独裁者と偽善者にならないように、自分自身を良く観察するべきだと思います。 そうすれば、少なくとも、独裁者と偽善者の怒りから解放されます。 そのためには、大切なのは、自分自身に嘘をつかないことです。
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- hekiyu
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当為と現実の差が怒りになるんではないですか。 あいつは、俺のモノを盗るべきではなかったのに 盗りやがった。 だから怒りが湧く。 こういう図式ではないですか。 怒りをコントロールする方法ですが、あいつはおれのモノを 盗りやがった、と俺は思っている。 この「俺は思っている」を付加すると、感情が客観化され、沈静化の方向に 向かいます。 女性だったら「私は思っている」ですね。 ”自分にも、相手にとってもよりよい方法で自他の怒りをコントロールできないか” ↑ ボコボコにしてやれば、自分はすっきりするし、相手は 二度とやらない、と反省するから、双方にとってよい解決方法。
お礼
ご回答ありがとうございます。 主語をつけることで、感情が客観化されるということですね。 しかし、暴力は、目には目の世界は地獄です。なんの解決にもなりません。私などは自己嫌悪に陥りますし、虚しいというのは、若い頃、ケンカに明け暮れてきた人も言ってました。
>確かにそうですので、「よりよい」と付記しましたが…。 だから条件が薄いんですよ。条件が不十分過ぎて、回答不能なんですよ。 例えばね、『利権争いによる紛争について』とか『もし些細な事で自分が怒りが沸いた場合その自分の怒りを静める為には』とか多少なりとも条件を書くものですが書かれていないので答えを書いたところで条件によってパラドックスが発生する可能性がありますよ。
お礼
具体的な問いについて、答えを得たいのではありません。 具体的な方法は世にいくつもあり、取捨選択で迷っているのが質問の趣旨ですが、具体的な悩み相談でしたら、それこそ、質問自体がパラドックスに陥ってしまいます。 ここは哲学カテゴリですので、抽象論でお願いしたいと思います。
- 雪中庵(@psytex)
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「相手を許す」事からスタートしようとするから、無理が生じるのです。 腹が立つのは、相手が自分の思い通りにならない事による=相手への甘えが先入しています。 石につまずいてコケた時に、石に怒る人がいるでしょうか?
お礼
質問には、スタートしようとは書かれてません。相手を許すということも選択肢のひとつだと述べてます。 許すということはある意味、最高の方法だと思いますが。 ご回答ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 何故怒っているか。これを見究めることではないですか。 怒りをどうしようかは まったく問うことはありません。 もしそうなら なぜ怒りが起こるのか。これについて考えることがよいでしょう。 なぜ怒っているのかが分かれば おのづから解き方が見出されましょう。問題が分かったのですから。 ぎゃくに言えば なぜ怒りをコントロールするのでしょう? なぜ しなければなりませんか? なぜ 道徳や宗教の倫理規範に従わねばならないのでしょう? 公憤というものがいっさいないとでも思っていましょうか。 なぜ心理学にせよ哲学にせよ その心的現象についての認識を得たただそれだけで 何か問題が解決すると思うのでしょう? 認識したままに行動すれば 問題のしかるべき解き方に成るとお思いでしょうか? 問題は 何なのでしょう? それも明らかにしないで いったい何を人は求めて行動しましょうや。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >何故怒っているか。これを見究めることではないですか。 私もそれがベストではないかなと思ってます。 感情というのは結果論であると思いました。 過去に怒り、傷ついた気持ちがそのまま解消されないで古傷となっていたものが、当時と同じ場面や状況で刺激され、怒りの渦中にいてさえ、そのようにふと、気が付きました。 >なぜ 道徳や宗教の倫理規範に従わねばならないのでしょう? 従わねばならないという気持ちはありません。先人のだした答えに納得するからです。 科学的な怒りの対処の仕方で、どうしてもどうしても答えがでない場合に、より強い精神論の方がすとんとくるものがあります。 また、宗教という領域内で、誰それが言ったかということは関係ありません。名も知られてない誰かの言葉でも、それ自体が光っていれば、それはブッダの言葉よりもありがたいものです。 >問題は 何なのでしょう? 問題が何であるかわかってます。 しかし怒りという結果論だけをみて、原因と向き合ってません。なぜならば古い感情や書き換えが不可能な過去と向き合うのが怖いからです。 しかし、どのフィールドで言われていることも、素晴らしいので、どれを選ぶか、選択し実行したところで正しいのか、もし正しくなければそれに費やした時間とエネルギーがもったいないとすら考えてしまいます。
- ノーバン(@nobound)
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園子温監督の映画 「ヒミズ」は設定はひどいですが、あの主人公の男の子の態度、強い相手、暴力的な相手にも「うるせえ、死ね、ボケ」といえる強さは、参考になるような気がしました。いじめが大問題になっていますが、対処法としていわれる「強くなれ」とは、腕力をつけろというより、芯を持てということだとすると、芯を持つとはどういうことなのか? こんな時代、おとなしいだけの優等生では、やはり学校でも社会でも、一人で生きていく上でとても生きづらくなっているような気がします。自我が育つときに、社会性を全く保ったまま自我が育つことがありうるのか?だとすると、ある時期の怒りのような反社会性は、逆に生きる上で必要なのではないか?そして芯の弱い子というのは、この反社会性を、がんじがらめに縛られていて出せない子のことのように思います。誰に縛られているかを考えると、あまり学校、学校ばかりは言えない気もしますが、逆に社会的学校でそれを育てられないかどうか?生きる上での何らかの武器は確かに必要な気がしますが、怒りは重要な鉄砲玉じゃあないですか?
お礼
異議があります。 >おとなしいだけの優等生では おとなしいというのは個性です。人と違う目立つ個性があるからといって、暴力の対象になるのは不条理です。 あの子は殺されたわけです。「いじめ」という言い方ではなく立派な犯罪です。それを隠ぺいするのも犯罪教唆で、同じことです。隠ぺいをおかしいと言っている他の子供たちの方が「まとも」です。こんな社会だったら生きているのが嫌になると思う方が「健全」です。 >芯の弱い子というのは、この反社会性を、がんじがらめに縛られていて出せない子のことのように思います。 弱さが、反社会性の犠牲になるいわれはありません。 犯罪から身を守ることすらかなわない女性や子供、年寄りはどうすればよいのでしょう? また復讐という悪循環になれば、それは犯罪者と同じレベルに陥るわけです。 回答者様の考え方は少々危険なものを感じさせられます。 >怒りのような反社会性は、逆に生きる上で必要なのではないか? 反社会性は、犯罪的なので、反骨精神といった方が適切かと思われます。 これは本当に必要なことでこのような腐敗した政治や社会、原発や災害、教育などの世界の不条理に疑義を持ち続けることは必須なはずなのに、この日本はあまりにも無関心、自分以外のことへの興味がなさすぎます。(デモに参加した自分への満足で足りてるだけなら本当は何も変わらないです) 怒りはエネルギーにもなることは、私も分かっていますが、負のエネルギーは確かに自分を消耗させるんですよ。
どうすればいいのかと迷った時は、本当は何をどうしたいのかと自分自身に尋ねてみると良いですよ。スピリチュアル的な言い方をすると、感情とか思考などを極力客体化し、観照者に徹する事でベストの答えを導き出す、みたいな感じになるのかな。 本来、問題解決の方法に高尚も低俗も無く、その方法で上手く行くか、いかないかという、それだけの話の筈なんです。だって、愛し、許し、受け入れるのがベストの選択である場合もあれば、心底から憎悪し、我が身を顧みず吠え狂うのがベストの場合だってあるんですから。 その場、その場で出てくるものが、本来はベストの選択である筈なんです。だけど、それを狂わせるものがある。そしてそれは外から来るものではなく、内に潜むものであるからこそ、自己に打ち勝つ事が真の勝利であると言われているんです。 人は小手先の技術で生きるにあらず。感情の波に翻弄される事なく、コントロールなどと言うケチ臭い手法にもとらわれず、自分という「軸」を信頼して、超然と事にあたってみて下さい。
お礼
>問題解決の方法に高尚も低俗も無く なるほどです。ひとつ学びました。 観照とは「主観を交えず、対象のあるがままの姿を眺めること。静かな心で対象に向かい、その本質をとらえること。」とありますが、怒ってるときは静観することはできませんし、「本当は何をどうしたいのか」と自分に訊くのも本当の自分を探すのと同じくらい難しいことですが、客観視は、冷静な感情を伴うのは、日ごろから感じてますが、ただ気持ちを抑えることなく、なぜこの刺激で怒りの感情が刺激されるのかを考えないと、抑圧になってしまうと思われるのです。 外の現象は自分の心の中を反映したもの…とはまったく同感ですし、実感もしていますが、相対的なものに惑わされることない絶対的にブレない自分、になるのは、なかなか難しいものですが、感情におぼれて地獄をみるよりは、悟りを開いた気持ちにでもなった方がどれだけ心身によいか… 分かってるのですが、なかなか具体的な方法が分かりません。
>そうなると、一方的な他者の不条理な怒りを、単に受け止めているだけでは、抑圧され、心身にとってよくありません。 まあそうでしょうな。 >自分にも、相手にとってもよりよい方法で自他の怒りをコントロールできないか? それは100%は無理です。「自他共に不条理でない欲とはなにか」と聞かれたことありますが相手の心情などに左右される事がしばしばですので相手の心情がどのような心情か?前後関係は?その人の性格は?遺伝的な性質は?等々すべて理解しないかぎり100%は無理です。あえて答えを出すならその怒りの元になる情報、怒りの元になる脳もしくはシステム&脳内分泌物質をすべて取り除く。これが解決になります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >それは100%は無理です。 確かにそうですので、「よりよい」と付記しましたが…。
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お礼
再度のご回答ありがとうございます。 「七つの習慣」、私も読んでみたいと思います。 >独裁者としての自分の立場が揺らぐことへの恐怖 わかります。 どの独裁者も、その立場になるまでは「攻め」ることもあると思いますが、今度はその立場を維持するため、下からの攻防を阻止するために保守的にならざるをえません。 一見偉い立場なのですが、その態度は「叱る」と似て非なるものです。本人も会社のため、部下のためと称し、それらをすり替えるわけです。これは上司部下の関係だけではなく、親子、夫と妻、教師と生徒、先輩後輩、飼い主とペット…あらゆる、関係に潜在している、たちの悪いものです。 この問題はモラハラ、パワハラと名付けられ、やっと顕在化されましたが… 私はまたそのようなことの被害者でもありますが。 なので、私と対峙する者が一方的な怒りを発する際、同じ感情に陥っては損だとようやく、頭ではなく、心の法で納得することができたので、どうにかして方法を考えているしだいです。 >義憤や社会の巨悪への怒りという物は、自分自身と社会全体の一体感を感じた際に、社会全体が受けたのダメージを、自身が受けたダメージと同等と見なすことで生まれます。 なるほど!なぜ、社会の不条理や不正にこれほど怒るのか…これまでずっと漠然としていた思いの原因を示してくださったようで、ありがたいです。 >それを認めさせることに失敗すると、自分の虚栄に対するダメージを感じて、本当に怒ります。 よく政治家にいますねー。小物なんですよね。 >自分自身に嘘をつかないことです。 もう、これは本当にいつも自分に心掛けていることですので、ここのお答えにみつけられたので、嬉しく思いました。