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ことばがなければ区別できない?

質問お願いします。 今言語学をかじりだして疑問に思うことがあります。人はことばがなければ何も区別がつかなくなってしまうという内容が本に書かれていたのですが、しかしパソコンとぬいぐるみの違いは一目瞭然ですし、ことばがなくなってしまってもそれを表現して相手に伝えることはできなくてもものの区別はできるような気がします。 どなたかお優しい方でことばがなければ何も区別がつかなくなってしまうんだよ!ということを私に教えていただけませんか?

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  • poomen
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回答No.5

 現代言語学にいたる新書かなにかを読まれたのでしょうか?事例が書いてあったと思うのですが・・  まずパソコンとぬいぐるみの区別の事例は適当ではありません。  言語が生まれ、それがその言語を使用する特定の集団の中でどのような働きをし、どのような影響を我々に与え、また我々は言語をどう用いてきたか等歴史の中でのお話になります。日本語や英語のように長い歴史を持ち近代化された社会まで生き延びてきた言語ではその本質が見えにくくなっているのです。しかしそれでもその本質を見ることは出来ます。  まず自然にある様々な万物現象・・川、山、森、木、動物等々、にはそれぞれ名前が付いていますが・・まず「もの」が先にあって、それに人間が後から名前を付けたという考え方があります。で、現在ではこの考え方は完全に否定されています。  なぜかといいますと様々な言語を比較して、二つの言語を比較するだけでいろいろなものを示す言葉が「等価」ではないことがすぐにわかるのです。  一例を挙げますと、このサイトでも話題になっていたのですが、日本語では「蝶々」と「蛾」は区別されます。英語でもバタフライとモスに区別します。ところがフランス語では「パピヨン」でいいのです。区別しません。  日本語と英語の例で行きましょう。「水」と「湯」という区別があります。英語で「湯」を現す単語は書けますか・・・・・実は水も湯も「ウオーター」です。  虹の色は何色か・・英語では6色です。日本語は7色です。極論すると二つにしか区分しない言語もあります。英語圏の色彩分別能力が劣っているという生理的現実はありません。虹の色を離れると英語の色を現す英単語で日本語に置き換えるのが難しい色もあります。その逆もまたしかりです。「indigo」なんかどうですか?  「オレンジ色の猫」という表現があるのですが、「あれがそうだよ」と指さされてみるとどう見ても日本語ネイティブには「茶色」なんですね。同一であるはずの可視光線の色を示す、オレンジ色と茶色、レッドと赤その他諸々の示す範囲が言語毎に微妙にずれているというのは常識です。  さらに日本語の中でも「源氏物語」に出てくる多種多様な色彩の区別はもはや「現代日本語」を話す我々には分別不可能です・・「どれもおなじ若葉色に近い黄緑でいいじゃないか」といいたいものをそれぞれ表す言葉が「源氏」には5-10くらい出てきます。他の色についても同様です。平安貴族から見ると現代日本人は色弱かアホに見えることでしょう。    次は人間の肉体で考えてみましょう。「ひげの生えた唇」という英語表現がありますが、日本語では許容できない文章です。しかしこれは「lip」と「唇」の指し示す範囲が英語と日本語で違うことから起きる表現です。「lip」は粘膜と鼻の間の皮膚もあわせています。「唇」は粘膜質だけを指す言葉です。この場合肉体を区分する言葉としてlipと唇は「等価」ではないことを示しています。  次に歴史的要素と動物区分の例を挙げましょう。英語はずいぶん適当な言語だなと思った瞬間、cow、bull、ox を使い分ける英語ネイティブにとって一言「牛」といってはばからない日本語ネイティブ奇妙に見えます。とはいえ今やニューヨーカーですと瞬時にcow、bull、ox を使い分けるのは難しいでしょうが、失敗すると英語ネイティブの間では大恥をかくことになります。  くどくなりましたが、これからいえることは、言語はコミュニケーションの手段ですが、それ故にその言葉が指し示すものの「範囲・領域」は言語毎に違いがあります。自然や動物色彩その他を指し示す言葉(名辞)とは形容詞は実は「差異」を示すのがその本質です。 ・連続的な色彩の変化をいくつかに区分します。 ・四つ足の似たような動物を区分します ・動物をいろいろに区分します。 ・植物をいろいろに区分します。  そしてもうひとつ重要なのは指し示されるものと、示す言葉との間には必然性はありません。日本語で「いぬ」と呼ばれる生き物はなぜ「いぬ」と呼ばれたのかわかっていません。しかしいったん他の動物から区分されて「いぬ」と呼ばれると、それはその言語の中で強制力を持ちます。「嫌だ、俺はとんと呼びたい」といっても相手にされないどころか制裁を受けることになります・・・馬鹿というわけですね。  なお、言語が生まれた頃「いぬ」は実にシンプルでした。現在の多様な犬の種類は人間が交配によって育種したものです。これはその他のことでも留意すべき事です  現代言語学の始まりとされるソシュールはこれを「言語(名辞)は恣意的である」「言語(名辞)の本質とは差異の提示である」という言葉で表現しています。形容詞はまさに「差異」示す言葉ですよね。    まとめです。ある言語の原初的形態がある集団の中に生まれますと、その言語に応じてその社会集団は世界を、自然現象を、森羅万象を切り分けていきます。これによってコミュニーケーションは飛躍的に能率的になります。「あれ、あれ」というより、あの「左」の「緑」の「高い」「木」の「下」に「豚」がいるといった方がより正確に伝わりますよね。  私たちが目にしている自然は実は混沌としたものです。言語は生まれた時からその混沌としたものを区別して、整理して、秩序立てる役割を担ってきました。これを言語の「文節化機能」といいます。「文節化」とはある連続体に切れ目を入れて名前を付けて二人以上の間の人間のコミュニケーションを円滑にする、と考えればいいでしょうね。  人体でいえば、足、手、腕、肘、脛、太もも、人差し指、腹、背中、脇、額、頬・・そしてこの区分は言語毎に微妙に異なるということです。  赤ちゃんは最初言葉を持ちません。が、マーマから始まり、その言語共同体の約束事・強制である言葉を身につけて、その言語共同体特有の文節化を行い、人を区分し、天候を区分し、自分の身体区分することを覚えて行きます。  最初のパソコンとぬいぐるみの区別はその言語の基本となる語彙を知り得てからのお話でしょう。質問者と回答者は同じ言語共同体の一員として共通の世界観を持っています。だから互いに了解可能です。2歳児にはは無理でしょうね。  追伸  私、海辺の育ちではありませんので魚の区別が付きません。漁師さんから見るとアホのようです。なぜなら魚の名前をほとんど知らないのです。のでいちいち尋ねるしかありません。でたいてい忘れてしまいます。しかし漁師さんはそれでは生計が立てられないでしょう。  一方星座好きの私は星空を見ると瞬時に星座に切り分けて、バラバラの星の集団を一つの秩序ある集団にに切り分けて楽しんでいます。星座に興味のない方はポカーンとするしかありません。そしてその星の配置の切り分け方=星座も言語集団毎に違うのはご存じの通りです

その他の回答 (9)

  • toast5
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回答No.10

こういう場合は「なんという本に書いてあった」と明記した方がいいと思うのですが、 >ことばがなければ何も区別がつかなくなってしまうんだよ!ということを私に 言葉がなくたっていろいろ識別可能です。鯉だって雀だっていろいろ識別して反応を変えます。 ヒトが来たから餌がもらえる、とか、ヒトが来たから逃げよう、とか。 ただ、言葉があると識別が可搬的(伝達可能)になったり、 レコーダブル(記録可能)になったりします。

noname#160411
noname#160411
回答No.9

>パソコンとぬいぐるみの違いは一目瞭然です それはあなたが「パソコン」「ぬいぐるみ」という言葉を知っているからだ、ということです。 言語がないまま育ち、そのときの状況を言語を獲得してから後書き表したのが、ヘレン・ケラー「わたしの生涯」です。角川文庫だったと思いますが、絶版かもしれません。図書館などで探してみてください。言葉がない状態の人間がどのようにモノを感じるか認識するか(というか認識できないか)がよくわかると思います。ヘレン・ケラーがまだ小さい頃の話なので、最初の方を読むだけですみます。ご一読をお勧めします。

  • key00001
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回答No.8

「パソコンとぬいぐるみの違い」と言うのは、「識別」かと思いますよ。 「言語を持たない動物」でお考えになれば良いです。 動物は「エサ」を、「食べられる/食べられない」などと、識別はしています。 あるいはペットの犬や猫は、飼い主と来客なども、識別が出来ます。 恐らく動物も、パソコンとぬいぐるみは違うものであると言う程度の識別は可能かと思います。 動物も、視覚,嗅覚,聴覚などで、「違い」を「識別」する能力は持っているのです。 一般的な会話なら、動物も「区別」していると言っても良いですけどね。 ただ「区別」と言うのは、正確・厳密には「違い」などを認識して分けることです。 動物は、それを「エサ」とか「飼い主」などと認識して、区別しているワケではありません。 「食べられる」とか「違う」と言うことなどが、「判る」と言うだけです。 一方、質問者さんが「ごはん」を前にして、五感を用いて「食べられるかどうか?」と言う判断(識別)はしませんよね? 視覚的に「米」「肉」「野菜」などと識別し、知識として「それらは食べられる」と知っている(認識している)から、疑いを持たず食べているワケです。 人間は、他の動物の様に、臭ったり舐めてみて、いちいち「食べられるか?」と言う、動物的な判断(識別)はしていません。 視覚のみで、後は経験(≒知識)で、「食べられる」とか「美味しいそう」と言う判断(区別)が出来る動物なんです。 この豊富な知識の蓄えこそが、他の動物との違いであり、人間が進化した理由です。 知識を豊富に蓄えるために、たとえば人間は他の動物より味覚なども発達しているんです。 動物も、好みの味などはある様ですが、人間ほど繊細に味わう能力は有りませんし、色などを見分ける能力も低いです。 本題の「ことば」ですが、質問者さんが「パソコンとぬいぐるみ」を見て「違う」と判ると言うのは、それらを「違うもの」とだけ識別しているワケではないですよね? 視覚情報を頭の中で、一つは「パソコン」、もう一つは「ぬいぐるみ」と、認識(識別)した上で、「違うもの」と言っているのです。 動物ですと、頭の中にそういう認識は無くて、「違うもの」と言うことが判るだけです。 犬のオモチャなどでも、「これは自分のオモチャだ!」と認識しているワケでは無くて、「これで遊んで良いか?」と言うことが「判る」と言うだけなんです。 もう少し正確に言いますと、犬の場合は、人間で言えば3歳児並みの知能で、チンパンジーですと5歳児並みと言われてますので、その程度までの知識の蓄えとか、「区別が出来る」と言っても良いです。 ですから、多少は人間の「ことば」も理解しますが、自分がことばを話すレベルには、到達しません。 計算が出来る様な天才チンパンジーなどですと、パソコンとぬいぐるみの違いを、ことばに近い概念で、理解・記憶しているかも知れませんが・・・。 数字なども、「3」と「5」では「形状が違う」と言う識別は、動物でも可能ですが、人間の場合は「3と5」の形状の違いを識別した上で、「意味も違う」とか「同じではない」などの認識・判断をして、区別しているんです。 下手な説明で申し訳ありませんが、少しでも「区別」のイメージが伝われば幸甚です。

noname#194996
noname#194996
回答No.7

>人はことばがなければ何も区別がつかなくなってしまうという 翻訳がまちがっているんじゃあないでしょうか。 人は言葉がなければ世界を理解することはできないということだと思います。 わかる(分かる)という日本語がありますが、これが本質をいいあてています。区別、とはちょっとにゅーあんすがちがいます。ものごとを理解する(この解という語もそうですね、中国語ですが、)ここにもヒントがあります。 世界を理解する作業は、その中にある無数のものごとをまず分けて、分類していくことから始まるといっていいと思います。そのためのツールが言語なのです。言語がなければそういった作業ができないということです。AとBを区別するためにそれぞれにまず名前を付けるという作業です。個々の名前は言葉のはじまりでもあります。ぬいぐるみとパソコンを区別するには、言葉は不要かもしれませんが、春はあけぼのがいいとか、冬はあさまだきがいいとか、ちょっとひねった概念を区別して明快に理解するには言葉以外のツールはまず考えられませんね。 そういう風に理解されればいいのではないのではないでしょうか。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.6

1。    「人はことばがなければ何も区別がつかなくなってしまうという内容が本に書かれていたのですが、」     こんなことが書けるのは、言語習得以前の乳幼児を見たことの無い人でしょう。質問者さんのカンは、その本の著者より正しいと思います。 2。    どなたかお優しい方でことばがなければ何も区別がつかなくなってしまうんだよ!ということを私に教えていただけませんか?   自分で言うのも変ですが僕は優しい人間だと思うんですが、「ことばがなければ何も区別がつかなくなってしまうんだよ!」などと思ったことはありません。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.4

見た目ではパソコンと縫いぐるみを区別することが出来ても、それを記憶しようとしたら、 それを表すマーク名前という言葉が必要ではないでしょうか。名前という言葉が共通の物として、 通用することで、誰が見てもそれがパソコンであり、ぬいぐるみであるという客観性を 得ることができるのではないかと思います。 人間の成長の過程でも、赤ちゃんはぬいぐるみとパソコンを前にして、ぬいぐるみがほしい ことを伝えるのに、最初は指さしたり動作で表現しても、お母さんが、くまのプーさんがほしいのね。 とぬいぐるみの名前を教えると、そのあとはぬいぐるみの名前を言うでしょう。 たとえ見た目で主観的な区別ができても、それをあらわす言葉がなければ、客観的な区別が 出来なくなってしまうという意味ではないでしょうか。

noname#194289
noname#194289
回答No.3

ほかの方がおっしゃっている区別を切り取るとか切断するというような言葉で説明している人もいると思います。もともと切り離して存在していないものをあたかも切りはなされてあるかのように変える働きが言葉にはあるようです。空の部分と山の部分はどこか違うことは言葉がなくても分かるはずですが、言葉がないと指でさしてもどこを指しているかもわからないというようなことではないでしょうか。

  • aries_1
  • ベストアンサー率45% (144/319)
回答No.2

ある物体を見たとき、私達は無意識的に「丸いものだ」とか、「大きいものだ」等、いろいろな感想を持ちます。 しかし、言葉がなければ、「丸い」、「大きい」等の概念自体が無くなるので何の感想も持たない(持てない)ことになります。 よって言葉が無ければ、物体は目に見えてもそれらがどんな形や大きさや色なのかは分からず、物の区別ができないことになります。 分かりにくかったらすみませんm(__)m

0046vs
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます!!No,1さんのお礼に書いた私の考えと少し似ている気がしました!私の考えはこれであってるのでしょうか?

回答No.1

例えば、文明社会にどっぷりと浸かっている人の一群があり、その一方に、未開の地に住む一群がある、と。 未開の地に住む人たちの眼機能は相当なものでして、視力も、色彩識別能力も文明人より数段に上だとしても、自然のながで生き抜く際に不必要な色に対する言葉がない場合があり、そうすると、眼機能に劣るはずの文明人が簡単に識別できる色彩区別が出来ません。緑から青に至る色彩域の中で、特にそういう事態が生じます。言葉があって、初めて、その色彩区別が可能になるのであって、現に、私たちだったら明らかな色彩の違いを、彼らは、全く、認識できません。緑色に近い色と青色に近い色のカードを提示されると、首を傾げて同じ色であると主張します。そういう科学的な実証実験(報告)は多数有ります。 または、「山」「空」という言葉を知ってから、私たちは、山の稜線をはっきりと認識するのであって、そのような言葉が無ければ、山は空と一体となって、単なる周囲を取り囲む絵風景になってしまうということなのでしょうね。言葉は、モノを区別(区分、識別)する働きがあるのです。

0046vs
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございました! 回答者様の答えと自分の中の混乱状況を整理して考えたのですが、言葉が無くても山と空が同じものではないと目で見てわかるけども言葉がなければ山と空が違うものだということさえ意識しないということでしょうか??それとはまた違うのでしょうか?

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