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何故、信長は戦いが下手だという人が多いのでしょう

どうして織田信長は戦いが下手だという人が多いのでしょうか? 彼の戦歴を見る限り、日本屈指の戦術家と思うのですが・・・

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noname#180728
noname#180728
回答No.14

戦国の最終的な勝者は徳川家康で、その家臣団の多くは旧武田家の関係者ですから、徳川家康と武田信玄を貶めることは出来ません。 織田信長は武田信玄より戦が下手でないと徳川幕府にとって困るわけで、そうなると信玄と何度も戦った上杉謙信も信玄と同等かそれ以上の戦上手とせざる得ない。 この神のような武田信玄と戦ったのが徳川家康で、史実を大きく曲げるわけにはいかないので、大枠は外さない範囲で、織田信長は武田家の前に風前の灯火だったが、律儀な神君家康公は信長を見捨てずに常に味方したので、天下の覇者になれた、勇猛果敢な武田家臣団は武田家滅亡の後、家康公の人柄を見込んで徳川家に仕官し、幕府創成期を支え、お旗本として徳川家臣団の中核になった。 こういう絵図を描きたいんですから、織田信長は猜疑心が強く人徳がない、一方家康は温厚篤実な性格で、主君のためには命を捨てる家臣が多数いる。 織田信長は戦下手で、何度も首を取られかけたが、そのたびに家康が救援に向かい、勇猛果敢な三河武士の尽力で危機を脱した。 幕府旗本のご先祖である武田武士団は、三河武士に匹敵する勇猛さが有り、実力では織田軍団を上回りながら、武運つたなく負けてしまった、決してお旗本方のご先祖が弱いわけではなく、運が悪かっただけで、織田の弱兵と勇敢に戦ったが、数に負けたから不名誉ではない。 幕府の中核の旧武田系の旗本を傷つけず、なおかつ徳川家を持ち上げるには、ちょっと歴史を加筆修正したと言うことかと。

rabirabi88
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そういえば、信長は家康にものすごく気を使っている逸話がたくさんありますが、何故か信康殺しの首謀者になってたりしますしね。 簡潔にまとめられていてわかりやすかったです。 ありがとうございます。 この回答をベストアンサーとさせていただきます。 しかし、天王寺をはじめとした、信長が寡兵、または不利な状況で戦った話の多くが無視される現象はどういうことなんでしょうかね~。

その他の回答 (13)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

戦術家ではなく、戦国時代一番の戦略家だったと思います。その点のスケールの大きさにおいては、武田信玄よりずっと上だと思います。 基本的に織田信長の軍事指揮は、桶狭間の戦い以降はリスクを負う戦法は取っていません。基本的に相手より大軍を率いて、その兵数の有利さが有利に働くような戦い方をとっています。だけど、そこまでしてもちょいちょい負けることがありました。特に石山本願寺との戦いではしばしば辛酸を舐めさせられています。 そのへんが「信長は戦争下手」といわれるゆえんでしょうね。 囲碁でいえば、目の前の石の取り合いには夢中にならないタイプですね。最終的に勝負に勝てるなら、多少石を取られることにはこだわらない、そういう意味では本当に強い人だったと思います。それゆえに、優れた戦略家であったと思います。

rabirabi88
質問者

お礼

>基本的に織田信長の軍事指揮は、桶狭間の戦い以降はリスクを負う戦法は取っていません。基本的に相手より大軍を率いて、その兵数の有利さが有利に働くような戦い方をとっています。 森部の戦い、六条本國寺の攻防戦,天王寺の戦いなど、寡兵で大軍を破っている戦いをしていますし、刀根坂の戦いも、諸将が動かず、少数の本陣の馬廻りのみで朝倉を追撃するなどリスクを犯しているように感じられます。 >特に石山本願寺との戦いではしばしば辛酸を舐めさせられています。 そのへんが「信長は戦争下手」といわれるゆえんでしょうね。 なるほど。 ありがとうございます。 戦略家としての面が強い信長というのは理解していますが、戦術家としての信長は過小評価の嫌いがあると感じたので質問してみました。 回答ありがとうございました。

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (292/2662)
回答No.2

戦術より戦略だと思うがね 武田や上杉の全盛時はひたすら頭下げて 戦うのをできるだけさけてましたし 勝てる時に戦って勝ち 負けそうな戦はできるだけ逃げる はじめから負けそうな戦はしないから戦歴は良くなる だから戦術の勝利で戦略の負けを覆すようなことは殆ど無かった 戦場な立った時点で勝敗は決まっていたことがほとんど

rabirabi88
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >はじめから負けそうな戦はしないから戦歴は良くなる >だから戦術の勝利で戦略の負けを覆すようなことは殆ど無かった これは、どの武将にもいえる事では? 上杉謙信にしても、負けそうな戦いは避けて、味方の城が攻撃されても救援にすら行かないことが多々ありますよね。 信長のやった桶狭間のほうが稀有な例だと思います。

  • ennalyt
  • ベストアンサー率29% (398/1331)
回答No.1

「戦略」と「戦術」をごっちゃにしてませんか? ちゃんばらが強くとも、部下の兵を率いるのが下手だと、大将になってもボロ負けします。 逆に大将は、刀なんか持ったことなくてもいいんです。 武将を適切に配置したり、周辺諸国との交渉が上手かったりすれば勝てるので。 信長は人材の登用が上手かったと思います。 木下藤吉郎のような怪しい出自の者を武将に付ける戦国大名が他に居たでしょうか?

rabirabi88
質問者

お礼

>「戦略」と「戦術」をごっちゃにしてませんか? していません。 質問の内容は、信長の戦い、戦術についてです。 どうして皆、あれほど卓越した用兵をおこなう信長を戦略家としてしか見ないのか、疑問に思い質問した訳です。 >信長は人材の登用が上手かったと思います。 たしかに、そうですね。 柴田勝家にしても、出自が不明な挙句敵対していたのを許して重用していますよね。 質問の意図と違う答えでしたが、回答ありがとうございます。

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