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信長と幸若舞

他の人の質問の回答を考えていて、ふと、織田信長が、桶狭間の戦いに向かうにあたって、また、本能寺の変で死に直面して、「幸若舞」を舞ったというのが気になりました。 事実は分かりませんが、仮に事実だったとして、「この二つの場面で、信長が「幸若舞」を舞った時の心境はどのように違っていたでしょうか???」ということに興味が湧いてきました。 BAは選ばないで締め切ります。それでも良ければ、皆さんのお考えを披露していただければありがたいです。

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  • fujic-1990
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回答No.1

 桶狭間へ向かう時には、「人間界の50年は、四天王界(下天)の1日にすぎない」だったら、好きに生きてやろうじゃないか、という一種の居直り、悪く言えば自暴自棄的な高揚感を奮い立たせるために舞ったものと思います。  本能寺の変では、「長いと思った50年(信長は享年49歳)だったが、すぎてしまえば、たしかにわずか1日のことのようだったなぁ」という一種の諦めの境地で、死を迎えて心を鎮めるために舞ったものと思います。  余談ですが、幸若舞歌詞は、「人間の寿命は50年だ」という意味ではありません。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 私は、信長には、「自暴自棄」というのは似合わないような気がします。「死」を覚悟して立ち向かうところに、「生」を見出そうとしたのではないかと考えました。 本能寺では、まさに「是非に及ばず」という心境だったのだろうと考えました。 余談ですが、幸若舞歌詞は、「人間の寿命は50年だ」という意味ではありません。……調べてみて、漠然とではありますが、理解できたのではないか???と思います。

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