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織田信長について
戦国時代の織田信長は、超有名ですが、最近の歴史の本を読んでいると、信長の政策のうち、その多くが、独創的なものではなく、信長が最初に行ったものではなかった、とされているようです。 また、昔は、独創的な戦術と言われていたもののうち、桶狭間の戦いは奇襲作戦ではなく、長篠の戦いでは三段撃ちはなく、美濃攻略でも一夜城はなく、というところで、戦術的に独創性がそんなにあったわけでもない、と言われているようだす。 政治的にも、信長包囲網を作られてしまったり、石山合戦では、必ずしも必要がなかったのに、本願寺と泥沼の戦争をしたり、失敗もおおかったようです。 ただ、それでも、天下統一まで、あと少し、というところまで成功してきたという事実はあるわけです。 信長が成功した要因として、他の戦国大名と、決定的に異なったのは、どういう点だったのでしょうか?
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- i3six
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過去や形に囚われない柔軟さが、他の戦国武将より優れていたと思います。 その中でも居城を何度か変えたところが、実は、一番すごいところだとおもいこ 当時戦国武将に居城をみずから、移すなんて発想は、なかった。 もしですが、この発想を武田信玄や、上杉謙信をはじめ戦国武将に、この発想を持っていたら…きっと違う世界になっていたと思います。
- delicatessen38
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織田信長公は、リーダーとして優れていたのでないかと思います。 これは、戦国大名として、というより、日本人の歴史上、特異な存在だったのでないでしょうか? 日本のリーダーというと、歴代、大石内蔵助に代表されるような、下からの要望を吸い上げてまとめあげる調整型のリーダーが多いものだと思います。 それで成功する場合が日本では多いのですが、時に、リーダーの責任があやふやになって、各下部組織が暴走を重ねて日本全体を破滅に導いた太平洋戦争の様な例もあります。 戦国武将では、武田信玄ほどの人物であっても、甲信地方をまとめ上げるのが精一杯で、天下に乗り出したのは晩年の50を過ぎてからです。戦場では果断なリーダーであった信玄も、政治家として家臣を統率して行く能力は、織田信長公に1歩ゆずったのでないでしょうか? 信長公は、流浪の将軍足利義昭から庇護を求められると、「天下布武」というテーマを明確に掲げ、家臣のみでなく、服属して日の浅い美濃・伊勢勢も、外様の近江・浅井勢をもまとめ上げて、短期間での京への上洛を果たします。 「強い統制力で天下を統一する」という信長公の掲げた命題が、荒縄の様に乱れた戦国の日本で強い求心力を持って作用して、豊臣秀吉、徳川家康公という3代に渡る大テーマとなって、歴史を変革して行ったのです。 運が良かったというのもあったかも知れません。 でも、同じ条件に置かれながら動かなかった朝倉義景の例もある訳で、機を捉え、進むべき方向を大きく内外に示し、主従関係を越えて人々を惹きつけ動かした指導力は、まさに、信長公の優れた点だったのではないでしょうか?
- あずき なな(@azuki-7)
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兵農分離は少なくとも日本では信長が最初です 戦国武将にとってもっとも重要なのは戦です その戦を効率的に進められるようにしたので天下統一が一気に加速しました 信長が惜しかったのは 美濃攻略に約8年を要した事です その後のスピードを考えると 美濃を2年ぐらいで攻略できていれば 本能寺の変の頃には完全に天下統一を成し遂げていたでしょう
- access-free
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火縄銃は約50m限界ですから、長篠の戦いは刀と槍が主流でした。信長は先見性を持って室町幕府を終わらせました。 地球儀、望遠鏡に初めて触れたり、西洋のマントも付けていたようです。 また、経済網と情報収集にも優れていました。
- jkpawapuro
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商業の流通を図り税を集め足軽を雇う、足軽だから鉄砲を装備させる。 これを大規模にやったはやはり信長でしょう。 普通の支配者は関所を増やし通行税を取るんです。 あとは座を奨励し座から上納金を取ります。 信長は関所を廃し城下町を作り、城下町で商売をさせ売り上げに税をかけるんです。小規模な楽座は前例もあります、でもこの方針を主要流通ルートを抑え大規模に行ったのが信長の特徴なんです。 これは大きな商圏、つまり大きな所領を抑えてこそ効果が倍増するんです。 そしてこれまで武力は所領の石高とそれに伴った人口に比例してたのが、(ちょうど鉄砲が出現したこともあいまって、)経済力を武力に直結させたのが特徴といえます。 ただしこれは大きな軋轢も生みますよ。それぞれの小領主や寺社が好き勝手に通行税をかけていたのを禁止するわけですから、既成勢力と激しく対立します。叡山や特に本願寺と対立したのもこれが原因でしょうし、主要街道を直轄化するために跡目争いから付き従ってた最古参の家臣佐久間親子を追放、秀吉の転封はうまくいったのでしょう光秀の転封失敗がが本能寺の変の一因とも言われています。 あと忘れてはいけないのは信長こそ信玄謙信以上の軍事の天才ですよ。 桶狭間と桶狭間と石山合戦、二度現代人がいくら考えてもわからない無謀な突撃で戦況をひっくり返してます。特に前者はなぜ成功したのか後者はそこまで自身がリスクを負う必要ないのに意味がわかりません。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2300/5115)
>信長が最初に行ったものではなかった、とされているようです。 その通りで、「戦術はあったが、誰も実行出来なかった」戦術・交渉を行ったのですね。 >長篠の戦いでは三段撃ちはなく これは、発掘調査でも疑問視されていますね。 確か、見つかった弾は数個に過ぎません。 また、武田側武将が息絶えた場所も戦場から放れすぎています。 太閤記と同じで、江戸時代の軍記物語の影響でしようね。 >石山合戦では、必ずしも必要がなかった これは、比叡山焼き討ちと同じです。 武装化した寺院攻略の一環ですね。 質問者さまがご存知か否か分かりませんが、本願寺の次は「高野山」「根来寺」でした。 幸い、高野山攻撃の前に本能寺で亡くなりましたが・・・。 >信長が成功した要因として、他の戦国大名と、決定的に異なったのは、どういう点だったのでしょうか? 「前例にとらわれない行動」を、とった事でしようかね。 身分に関係なく、能力主義で人材を集めた事も重要でしよう。 桶狭間の戦いでも、綿密に計画を立てて「常時、今川軍の動静を監視」していましたよね。 論功賞では、武将よりも「今川勢の情報を随時報告していた物見担当者」が一番の功績になっています。 今の政治家・公務員でも「前例が無い」との理由で、多くの(国民からの)要望が無視されていますよね。 前例が無い事を実行すると、責任を取る事になりますから・・・。 ただ、この複雑な時代では「前例が無い事を行う指導者」が求められている様です。 トランプ大統領は「意味不明」と報道されていますが、何も不思議ではありません。 「メキシコからの不法入国者・移民を厳重に取り締まる」 何も、間違っていません。 「中国に会社を設置する時に、最新技術を(中国に)移転する必要は無い」 認めると、また中国が(開発費が不要なので)安価な偽物を世界各国に(独自開発商品として)輸出します。 トランプは、過去の大統領の政策にとらわれない政治をしているに過ぎません。 現に、米国の失業率は大幅に改善しています。米国のGDPも上昇中。米国の株価も上昇中。 現時点では、経済では「アメリカの一人勝ち」なのです。 トランプの政策が全て正しいとは言いませんが、前例にとらわれない事も為政者には必要です。
- E-1077
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古きものに執着せず、新しい考えややり方をいち早く受け入れられる度量があったのではないかと思います。